箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

キラキラネームを付けたことを親が後悔してはいけない。

キラキラネーム_後悔

 最近ですね。キラキラネームをつけた親の中には、そのような変わった名前を付けたことを後悔している人も少なからずいるという話を聞きました。後悔するぐらいだったら最初から付けんなよとツッコミが入りそうですが、私は、「あなたが後悔してしまったら、子どもはどうなるんだよ」と思います。

 それは、世界に1人しかいない可愛い我が子だから、特別な名前を付けてあげたいという愛情からくるものだったのかもしれない。一時の感情に流されて「何となく」付けてしまったものかもしれない。何でも良いんですけど、「絶対に後悔するな」と思いますし、「後悔しているということを絶対に子どもに伝えるな」と思っているんです。

 

 だって、ちょっと考えてみてください。キラキラネームを付けられたことを理由として、イジメられたり、就職の際に不利になったとします。場合によっては、「なんで、こんな変な名前を付けたんだ」と親を恨むかもしれないし、親と激しく衝突するかもしれない。そのときに、親から「変な名前を付けてしまったことを後悔している」なんて言われた日には、子どもはどうやって自分のアイデンティティを維持すればいいんですか?名付け親自身も「変な名前」と認識している名称を、この先もずっと背負って生きていくんですよ?

 名前は、親が子どもに最初に与えるアイデンティティですが、それを与えた当人が、それを否定するということは、「お前は俺の子じゃない」って告げられるぐらい辛いことだと思うのです。

 

 少し自分の同級生の話をしたいと思います。その同級生は「桂」という珍しい名前でした(姓ではなく名です)。「けい」ではなく「かつら」と読むため、心無い同級生から、「おい、ハゲ」とか、「お前、カツラ被ってんだろ?」と揶揄されることもありました。名前を理由としてイジメられていたのです。

 このことを重く見た担任の先生が、学級会を開き、そのようなイジメをやめるように諭していると、イジメられていたその同級生が、「皆に話したいことがあります」と手を挙げたのです。「何を話すんだろう?」と、クラス全員の視線が集中する中、ぽつりぽつりと自分の名前について語り始めました。今でも覚えています。

 

 「桂」とは、非常に丈夫な木で、道行く人の癒やしにもなっている街路樹。どっしりと構え、周囲の人を和ませることの出来る子に育って欲しいとの思いで、付けてもらった。この名前が嫌で嫌で仕方なかったが、名前の由来を知ってからは、この名に恥じない人間になりたいと思っているし、この名を付けてもらったことを感謝していると。

 「桂」という名前の由来を知って驚くとともに、その同級生の親への感謝の言葉を聞き、イジメていた人間も改悛したのか、名前を理由とするイジメはパタッとなくなりました。

 

 想像でしかありませんが、おそらく親と何度も衝突したのでしょう。「なんで、こんな変な名前を付けたんだ」と。そこで、名前の由来を聞き、親の思いを知ったことで、その同級生は、親との溝や名前に対する葛藤を乗り越えていきました。

 しかし、もし、上記同級生が、親と衝突した際、「苦労をかけさせてすまん」と謝られでもしていたら、どうなっていたでしょうか。行き場のない思いを抱え、もしかすると一生親を憎んで生きていたかもしれません。救いようのない話です。

 

 何か深い思いがあって付けたのなら、その愛情を変わらず注げばいい。特に何も考えずに付けたのだとしても、「お前の人間性を見ずに、名前で差別するような奴なんかほっとけ」と強く育てればいい。いずれにせよ、キラキラネームを付けたことをあなたが後悔してはいけない。絶対に。