箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

僕が物を買うときに基準にしていること。

僕が思うに、「衝動的な買い物」は「思い出」に残らないし、逆に「なんでこんな物を買ったんだろう」という「後悔」が残ることもある。というか、そんなものばっかりである。

 

衝動買いした物の中には、長年にわたって使い込んでいくうちに、「愛着」が湧いてくるアイテムもあるだろうけど、僕の身の回りにある物を見渡したときに、非常に高価な物(液タブとかiPadなど)を除けば、いつ・どこで・なんのために買ったのか、いまいち思い出せない物で溢れ返っている。

 

例えば、僕は、PORTER(吉田カバン)の「タンカーポーチ」を、もうかれこれ10年以上にわたって愛用しており、このカバンに対して物凄い愛着を持っているけど、いつ・どこで買ったのか、何のためにこのカバンを買ったのか、さっぱり覚えていない。

 

 

こんなにも愛着を抱いている大切なアイテムなのに、購入した当時の動機・感情を思い出せないのは、なんだか寂しい気がする。

 

「初めてのバイト代で買ったんだよなー」とか。

「尊敬している◯◯さんが使っていると聞いて、奮発して買ったんだよなー」とか。

 

・・・そういう思い出が欲しい。

最近は物に対して、「特別感」を求めるようになってきた気がする。

 

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そう思うようになったのは、ハンドメイドの革財布を買ったのがきっかけだった。

 

 

昨年、コンパクトな財布が欲しいと思った僕は、「長く愛用していきたい」「愛着の湧く財布を買いたい」と考え、色々と調べたところ、家から車で30分ぐらいの場所に、ハンドメイドの小さな革物工房があることを知った。

 

しかし、そのお店には公式ホームページがなく、グーグル・マップで調べても、口コミ情報が全然出てこない。ただ「ハンドメイドの革財布を扱っているお店がそこにある」ということが分かるのみだった。

さらに調べてみると、インスタグラムのアカウントが存在しており、そのアカウントを覗いてみると、とても可愛らしい革小物の写真が掲載されていた。ひっそりと目立たないように、コツコツと革製品を作り続けている。そんな素敵なお店だった。

 

僕は、気づいたらそのお店に「財布をオーダーしたい」とDMを送っていた。

 

直接、お店にも足を運び、優しそうな職人さんと一緒に革や色を選ぶ。オーダーメイドなので、まさに世界にひとつしかない自分だけの財布を作るわけだ。僕の心は踊った。妻と一緒に色違いの財布を作ろうということになり、僕はブラック、妻はココアブラウンの革にした。

 

完成した財布を手に取った時の感動も覚えているし、時折この財布をマジマジと眺め、エイジングを楽しみながら、楽しい記憶に浸る。僕にとっては、もう既にとても大切な物になっている。

 

 

値段で言えば、以前使っていたブランド物の長財布の方が圧倒的に高く、10倍以上の価格差がある。しかし、有名なCMのキャッチコピーが言うように、「思い出はプライスレス」である。

「俺はこんなにも高い財布を持ってるんだぜ」という見栄が欲しいなら、10万でも20万でも積めばいい。でも、僕の中にあるこの大切な思い出だけは、いくら積んでも絶対に買えない。そして、僕が欲しいのはむしろその思い出である。

 

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なので、僕は、「日常的に必要としている物(生活必需品、消耗品、本、カフェ代など)」や「仕事をするうえで絶対に必要な物(パソコン、液タブ、ノートなど)」を除き、それを買うかどうか悩んだら、「大切な思い出(かけがえのない体験)になりそうな特別な理由を付与できた場合に限り購入する」というルールを設けることにした。

 

例えば、古いスマホを新しいものに買い替えるとか、仕事で必要になるCLIP STUDIOの課金をするとか、そういうものは既に正当な購入理由が存在するので、「必要」と感じた時点で買ってもいい。

しかし、例えば、「万年筆・インク」や「高級なバッグ」は別に必須ではなく、手元に存在しなくても生活・仕事に支障をきたすものではない。こういう物を買う場合は、必ずそれを購入することに関して「特別な理由」を考えてみる。それが思い浮かばなければ買わない。

 

僕が考えるに、「特別な理由」とは以下のようなものである。

  • 誕生日などのお祝い。
  • 旅行などに行ったときの記念。
  • 何かを達成したときの自分へのご褒美。
  • 自分の尊敬している人が使用している(強くオススメしている)。
  • 自分の尊敬している人が販売している。
  • 絶対に今しか手に入らない期間限定品。
  • 世界にひとつしかない自分だけのオーダー品。

 

・・・等々。

 

ちなみに、僕は最近、「ステッドラー 925 25」という製図用シャーペンを購入したんだけど、「仕事で使うから」という理由がある一方で、「憧れの漫画家である井上雄彦先生が使用されているから」という特別な理由もあった。そのため、何の迷いもなく購入に踏み切った。

 

 

こういうふうに、「特別な理由を付与できた場合にだけ購入する」というルールを設ければ、咄嗟の衝動買いを抑えることもできるし、後から振り返ったときに自分だけの思い出に浸ることもできる。「あのとき、井上先生が使っていると聞いて、同じものを買ったんだよなー」みたいな。そうすれば、自然と愛着も湧くし、物を大切にしようと思える。このルールに従って、物を買い続ける限り、自分の身の回りにあるものは「大切な物」で溢れ返っていくはずだ。

 

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また、「生活や仕事で必須ではない」と判断した物であっても、「何かを達成したときのご褒美としていつか買おう」と思っていれば、それが日々のモチベーションにも繋がっていく。

 

例えば、僕は製図用シャーペンをいくつか持っているものの、一番メジャーな芯径である「0.5mm」を1本も持っていない。そのため、有名な製図用シャーペンである「ロットリング600」を試しに買ってみようかと考えてみたこともある。

しかし、「絶対に0.5mmの製図用シャーペンが必要か?」と言われるとかなり怪しい。僕が既に所持している「グラフギア1000」の「0.3mm」でも事足りているからだ。また、「ロットリング600」は、「重い」「グリップが細くて持ちづらい」「ガイドパイプが折れやすい」といったネガティブな意見もあって、自分に合わない可能性もある(店頭で触ってみた感じだと、個人的にはめちゃくちゃ好みだが)。

 

そこで僕は、「ロットリング600(0.5mm)」を「直近に掲げた目標を達成できた場合に限り、自分へのご褒美として買う」と決めた。

 

 

ロットリング600は定価3,600円ぐらいなので、別に高級品ではないし、すぐに買おうと思えば買える。しかし、それではダメなのだ。実際に使ってみて、「あーやっぱり要らなかった」「自分には合わなかった」と思ってしまったら、その時点で無用の長物と化してしまう。

しかし、何かを達成したご褒美に買ったものであれば、仮に使いづらい物だったとしても、「あのとき、◯◯を達成して、自分へのご褒美としてこれを買ったんだよな」と思い出に浸ることができる。そのまま使い続けても良いし、大切に保管していても良い。

 

つまり、「欲しいけど、必須ではない物」は、何かの記念や人生のターニングポイントと結びつけることによって、「大切な物」にすることができるし、それを買うために頑張ろうと自分のモチベーションアップにも繋がる。「物欲」を「モチベーション」に変えて、購入理由に「特別感」を持たせるわけだ。

 

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最近、「買い物はストレス回避行動の一種」と聞いて、「なるほど。確かにそうかもしれない」と痛感している。このところ、メンタルが若干崩れていて、何を買うわけでもないのに、Amazonやメルカリを見ている頻度がやたらと多いからだ。

 

んで、絶対に必要なわけでもないのに、「自分への投資」などと自己正当化して、気づいたら何かをポチっている。しかし、結局あまり使うこともなく、そのままメルカリで売りに出したりする。「あー勿体無い」と思っても後の祭りだ。

 

逆に、メンタルが落ち着いていて、何かに集中出来ているときは、物欲も自然と抑えられて、余計な買い物もしない。僕にとっての一番の理想は、そういう「余計な物を買わない」というスタンスなんだけども、消費行動そのものを過度に規制すれば、自分の生活を必要以上にせせこましいものにするだけである。

 

だからこそ、自分の中で基準をつくった。これを今後も徹底していきたい。