箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

友達不要論について改めて考えてみる。

何年か前に、林先生がテレビで「友達は少ないに越したことはない」という話をしていて、友人不要論が一躍脚光を浴びたこともあったんだけど、これについては僕の中で既に答えが出ていて、「価値観の合う友人が居るなら、その友人と仲良くしていけば良いし、そういう友人が居ないなら1人の時間を大切にすれば良い」と思っている。

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というか、気の合う友人が沢山いて、休日になれば必ず友人とどこかに遊びに行く…というタイプの人は、人生において「友人は必要なのか?」という疑問が頭をよぎることすら無いだろうし、そういうタイプの人に対して、「友人は本当に必要ですか?要らないんじゃないですか?」と問いかけたところで、友人は必要だと答えるに決まっている。

つまり、この議論は友人との人間関係に悩み、友人の必要性に疑問を感じている人にこそ意味のあるものであって、そういう悩みや疑問に直面している人の気持ちを軽くするためにも「友人は不要です」と言ってあげた方が良い(逆に言えば、それ以外にこの議論をする意味はないと思う)。

 

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僕たち現代人は、「友達をたくさん作った方が人生の幸福度は高くなる」という宗教教育を受けてきた。その最たる例が学校であり、調和を尊ぶ学校教育環境において友達を作ろうとしない奴は変態以外の何者でもなく、徹底的に迫害の対象となってきた歴史がある。「友達100人できるかな」という狂気じみた歌がそれを物語っている。

そのような傾向に拍車をかけたのが漫画・ドラマ・映画といった大衆コンテンツであり、「3年B組 金八先生」「ごくせん」「GTO」といった学園ドラマにおいて「友達は素晴らしい」「友達はかけがえの無い大切な財産」という価値観をこれでもかと連呼し、徹底的に国民の頭に刷り込んでいった。

 

その結果、「友達の居ない奴はおかしい」というねじ曲がった社会通念が出来上がってしまった。食堂でぼっち飯を食う奴に対して後ろ指を指す文化はここから来ている。

 

だが、これは考えてみればおかしな話で、そもそも「学校」という場所は、属性の異なる同世代の子どもを同じ屋根の下に押し込んで、それぞれ互いの相性を見定める「お試しマッチングイベント」とでも呼ぶべき催事を実施している超カオスな環境であり、せいぜい数百人ぐらいの小規模な人数の中で、自分と価値観の合う人間を探せと言ってるわけだ。価値観の合う人間が見つからなかったとしても何らおかしなことではない。

特に公立の小・中学校はその傾向が顕著で、たまたま同じ時期・同じ地域に生まれたという理由だけで、たまたま同じ学校に通っているだけであり、自らが望んでその学校を選んだわけでもないし、人生の初期ステージとでも呼ぶべき小・中学校は、本来交わることのない属性の人間も入り混じった超特殊な時期であることを強調しておく。

 

そして、仮に学校の中に自分と近しい属性の人間が居たとして、そのような人間と常に行動を共にする理由もない。友達と群れをなすのは「孤独な学校生活を送りたくない」という生存バイアスに基づくものであり、自分の人生を価値的なものにしたいとか、人生の幸福度を上げたいといった肯定的な意味合いを持つことは稀である。それが証拠に、学校を卒業したら連絡を取らなくなる友人だって沢山いるはずであり、そういう友人については孤独を紛らわせる以上に一緒にいる理由はなかったわけだ。

 

少なくとも僕は、数年間にわたる「お試しマッチングイベント」を経て、嫌というほど人間関係に疲弊してしまった身である。

自由気ままにゴーイング・マイウェイの人生を謳歌するか、あるいは周囲に対して「俺様の価値観に従え」と横暴なジャイアニズムを振りかざすことが出来たのであれば、結果も変わったと思うが、僕はいずれの性格でもないので、自分の意見を曲げて周囲に譲歩するしかなく、モーニング娘がそれほど好きでもないのに、「市井紗耶香が一番好き」というキャラを演じていたのはここだけの秘密だ(本当のファンの方には申し訳ないが…)。

 

そんな人生が楽しいはずがなく、僕と同じような体験を積み重ねてきた人は、大人になってから「1人で居る時間が一番楽しい」という結論にたどり着いたと思う。僕はそうなった。

ちなみに、「年齢を重ねるごとに友人が出来なくなってきた」と言う人もいるが、それは歳を重ねるにつれて価値観が変わってきたとか、周囲とウマが合わなくなってきたとか、そういうことではなく、大人になってから友人と関わる時間が減り、1人で過ごす時間が増えた結果、そちらの方が楽しいということに気づいた…というだけだと思っている。

 

つまり、僕の考え方によると、友人の必要性の議論は、人生の楽しみ方の違いに帰結する

価値観の合う友人がたくさんいて、そういう友人たちと過ごす時間が楽しいというならそうすれば良いし、そういう友人がおらず、1人で過ごす時間が楽しいというなら1人で居た方が良い。どっちが正しいとか、どっちが間違っているという話ではなく、「友人との関わりを断って1人で過ごす時間を大切にする人生もアリ」というだけだ。

 

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