箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

SNSにおける自己情報の開示と他者のプライバシーについて

 なんだか憲法の本や論評にありそうな掲題ですね(笑)。

 いやいや、別に法律論を展開するわけではないですよ。今回の記事のカテゴリーは「生活」です。ご安心を(?)

 

 んで、今日は何を言いたいかと言いますと、SNSにおける自己情報の開示の在り方と他者のプライバシーに対する配慮について物申したいと思います。

 ちなみに、以前Facebookとミクシーの対比に関する記事も書いたことがあり、今回の記事と少し関連性もあると思いますのでご紹介させて頂きます。


 

自己情報の開示について

 まず。Youtuberラファエルさん風に物申すならば、「SNSに投稿されているプライベート記事、9割おもんない」。これっすね。

 私自身、Facebookなどを、たまーに見てみるのですが(最近は本当に頻度が減りました)、友達の近況報告とかは大体飛ばし読みして、「いいね」されたリンク記事だけに目を通しています。別に意識してそうしているわけではなく、友達が投稿しているプライベート記事の中に、目に留まるもの(興味を惹かれるもの)がないんです。ちなみに、これは自分も例外じゃないです。私が過去に投稿したプライベート記事も飛ばし読みされていると思います。本当に面白くないので。

 

 なんでSNSに投稿されているプライベート記事(自己情報の開示)が面白くないのか。個人的に察するに、そのような記事は、本質的に「自分を宣伝している広告」だからであると考えています。

 言葉を付け足します。例えば、身近で起こった出来事を仲の良い友人や家族と共有したいと思った場合、いちいちFacebookにあげて報告します?そんなことするより、LINEなどのグループコミュニケーションツールなどを用いてチャットした方が簡便ですし、双方向性(意思疎通性)があるという点において、そちらの方が情報の共有度としては高いです。そして、大抵の場合、それで事足りています。

 消去法的に考えますと、LINEなどのグループコミュニケーションツールを用いて情報共有するにとどまらず、そうではない人(最近繋がっていない人とか、疎遠になった人とか)に対しても発信したいと思った情報があった場合、あるいはそれを超えて情報を拡散したいと思った場合に、これらの情報がFacebookなどのSNSに表出されることが多いと思います。例えば、結婚したとか、転職したとか、なんか大きい仕事したとか、ビジネスの宣伝とか、場合によっては予約をとるのが難しい高級レストランに出かけたとか、お洒落なランチを堪能したとか、自慢したい場合などもあるでしょう。

 

 これって、普段関わりのない人から見たときに、「自分の現在の位置」や「ステータス」を自己宣伝していることに他なりません。そら、面白くないですよ。ネット広告のことを、「ウザい」「無益な情報である」と思う消費者心理と同じです。「別にこちらが求めてもいないのに、一方的に情報が送られてくる」という構造が同じですもん。

 SNSのプライベート投稿の全部が全部、無益な情報とまでは言いませんし、中には共感できるような投稿もあります。でも、そういう風に思える有益な投稿って、大抵「自分の宣伝」ではないんですね。「自分の意見や考え方」を発信していたり、「これは周凄く面白いから、皆にも共有しよう」という、情報の送り手の明確な意図が伝わってくるんです。でも、そういう投稿はほとんどないですね。はい。

 

他者のプライバシーに対する配慮について

 もう一つは、「他者のプライバシーに対する配慮」です。正直、これ欠けてません?

 自分の経験談ですが、ある友人Aと食事に出かけた際、「写真を撮ろう」ということになり、スマホでパシャッと写真を撮りました。後日、違う友人Bから、「〇日、Aと飲んでたでしょ?」といきなり言われ、ビックリしました。聞くと、友人AのFacebookに食事に出かけたことが書かれてあり、写真とともにタグ付されているとのこと。

 別に、私と食事に出かけたことを書くのは良いですよ。でも、バッチリ顔が写っている写真を無許可でアップしたり、タグ付して拡散するってどうなの?なんで無許可でやっていいと思ったの??って感じです。。

 

 あと、見ていて悲しくなる(やるせなくなる)のは、子どもの写真をアップされている方。自分の子どもだからプライバシーなんて配慮しなくて良いと思っているんですかね。当然ですが、憲法や判例は、未成年者・幼児だからプライバシー権の保障が及ばないなんて規定・解釈していませんよ(※)。

 自分の立場に置き換えて考えてください。自分の親が、自分の子どもの頃のアルバム写真(しかも、めっちゃ恥ずかしいやつ)を引っ張り出してきて、それをSNSにアップし、子どもの頃の思い出話とか語り出したらどうします?別に拡散してくれて良いよと思う人もいるかもしれませんが、自分の子どもが是非弁別の判断がつく歳になった時に同じように思う保証なんてありますか??

 はっきり言います。SNSに個人情報をはじめとする自己情報を載せるという行為の意味を理解できず、当該行為の是非善悪を弁識し、真に自身の意思に基づき同意する能力をもたない子どもについて、その子の写真等を載せるべきじゃないです。載せるにしても、厚切りジェイソンさんみたいに、顔にモザイク処理を施すなど、子どものプライバシーに配慮すべきです。

 

(※)最高裁は、昭和44年12月24日判決(京都府学連事件訴訟)において、「個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態を撮影されない自由を有する」としています。

 

新たなメディアとしての自由思想市場と規制

 SNSに限らず、ブログやYoutubeなどのインターネット上のメディアは、テレビに代わる新たなメディアとしての役割が大いに期待されているところではあります。

 しかし、テレビ局には放送法という法規制が及ぶ一方で、インターネット上の言論活動については、これを規制する個別法はなく、民法や刑法といった一般法による規制に委ねられています。

 放送法の合憲性を支える論拠として、視聴者に与える影響が甚大であるといったものがありましたが、現状、インターネットの与える影響力は、テレビ放送に負けずとも劣らないものであり、上記法規制の議論はインターネット上の言論にも当てはまるような気がしないでもないです。

 しかし、これまでは情報の受け手であった非マスコミ・私人が、情報の送り手としての地位を獲得するに至り、インターネット上において、大きな思想の自由市場が形成されている現状を見ますと、これを規制することには自制的であるべきだと思われます。

 

 結局、憲法っぽい記事になっちゃいましたが、SNSにおける情報の開示の在り方について、思うところを物申した次第です。