箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

漫画はスモールビジネスで良い。

最近、ジャンプの発行部数が100万部を切ってしまったらしく、この事実を聞いて、僕の中でますます確信を強めていることがある。

 

「漫画はスモールビジネスで良い」

 

・・・ここ最近、僕はずっとそう思っている。

 

もっと正確にいえば、「コンテンツプラットフォームが多様化した現代においては、全世代にリーチする方法が存在しないので、スモールビジネスをやる方が向いている」と表現した方が良いかもしれない。

 

たとえば、冒頭に述べたジャンプが現在どういう状況に陥っているかというと、端的にいえば、読者が高齢化の一途を辿っている。

「花さか天使テンテンくん」の作者の小栗先生によると、連載初掲載号である1997年11号時点での読者の平均年齢が「14.7歳」だったのに対して、2021年3月時点での平均年齢は「28歳」だという。

 

 

ちなみに、大手少年誌はどこも似たようなものであり、僕の経験からいうと、たぶん今の平均年齢はもっと上がっていて、「30歳前後」ではないかと思う。

 

つまり、今から2〜30年前(1990〜2000年代)にジャンプを熱心に読んでいた小中高生が、そのまま年齢を重ねて大人になり、その人たちが今も熱心にジャンプを読んでいると考えるのが自然である。新しいお客さん(=若い読者)は増えていないのだ。

もし、若い読者が増えているというのであれば、平均年齢の上昇はどこかで頭打ちになるか、あるいは、下がっていかないとおかしい。

 

実際、「若者のマンガ離れ」というトピックで書かれた下記の記事によると、この20年でジャンプを読む中高生は10分の1に減ったとされている。

(ちなみに、この記事の中で触れられている『世代別の漫画不読率』を見ると、世代が上がっていくにつれて、漫画を読まない人の割合は増えていくので、熱心にジャンプを読んでいる人たちもいずれは読まなくなると予想される)

 

president.jp

 

ただし、若者は、マンガそのものを読まなくなったのではなく、紙の雑誌が読まれなくなっただけで、無料で読めるスマホアプリに流れたのではないかと考える人もいる。

 

***

 

もっとも、僕が問題視しているのはそこじゃない。

若者のマンガ離れが進んでいるのかどうかなんて、正直どっちでもいい。もっと重要な問題がある。

 

それはなにか。

 

仮に、現代の若者が、「週刊少年ジャンプ」ではなく、無料で読める「ジャンプ+」に流れたと仮定しよう。つまり、ちゃんと若者の間にも漫画カルチャーは残っていて、彼らの間にも流行りの漫画がある、と。

 

しかし、そうだったとしても、彼らの間で流行っている漫画が社会的なブームになることはないし、実際、そんな社会現象になるような漫画をひとつも聞いた(読んだ)ことがない。

 

なぜなら、世代間のトレンドやカルチャーはほぼ完全に断絶しているからだ。

 

おじさんが熱心に読んでいる「週刊少年ジャンプ」を中高生が読むこともないし、かと言って、中高生が熱心に見ている「TikTok」をおじさんが見ることもない。

おじさんが、女子中高生の間で流行っている韓流アイドルをまったく知らないのと同じように、今の女子中高生は山口達也チャンネルを知らないだろう(もちろんゼロではないだろうけど)。

 

ここが、ジャンプ黄金期と現代の一番大きな違いである。

世代ごとに触れているプラットフォームやコンテンツがまるっきり違うのだ。

 

はるか昔、「テレビ」という支配的なマスメディアが幅を利かせていた時代は、若者が新しいカルチャーやムーブメントを作り、それがテレビを通して、全世代に波及していった。

だから、ダウンタウンという新しいお笑いがブームを起こし、SMAPやモー娘。といった国民的アイドルも生まれた。親世代でも、若者の間で流行っているものを容易に知ることができたからだ。

 

しかし、今は違う。

「TikTokで大人気の◯◯ちゃん」と言われても、それが誰なのか分からない。

「Youtube登録者数▲▲万人の◯◯◯」と言われても、初めて聞いた名前だったりする。

 

10代の若者にしか分からない配信者。

30代の主婦にしか分からない韓流スター。

50代のおじさん会社員にしか分からないビジネス系Youtuber・・・等々。

 

それぞれの世代ごとに、それぞれの流行りがあって、それぞれの世代で消費されている。

エンタメとかファッションなども全部そう。それぞれで完結しており、その先がない。

 

だから、「若者が新しいムーブメントを作って、それが全世代に波及していくというブームの法則はもうとっくに廃れたと考えた方が良い。

(少子化が進む現代では尚更そうである)

 

***

 

僕は、この事実の方が重要だと考えている。

 

「100%不可能」と言ってるわけではないが、ジャンプのように、「若い作家に新しい作品を描いてもらい、それを若者の間で流行らせるだけでなく、全世代に波及させて新しいブームを作る(単行本やグッズを短期集中で売りまくる)」というビジネスモデルはかなり成立しづらくなっている・・・と言わざるを得ない。

 

もし流行ったとしても、「若者だけ」とか、「おじさん世代だけ」という限定的なブームになるだろう。漫画に限らず、どんな種類のコンテンツでもそれは同じである。

 

・・・でも、僕はそれで良いと思う。

 

むしろ、テレビ全盛期(≒ジャンプ黄金期)のように、「皆が同じコンテンツに触れて、皆が同じモノ・ヒトを好きになる」という状況の方が異様である。

 

生まれ育った環境も違うし、関わってきた人間や触れてきたカルチャー、学んできた知識だって全然違う。何だったら、言語も、肌の色も、宗教も違う。

そうやって、人それぞれ価値観や好みは異なっているはずなのに、まるで感情を操作されているかのように、なぜか同じものを崇拝する。テレビが「マインドコントロール装置」と揶揄されるのは、それが所以である。

 

だから、ジャンプが653万部売れていたのも本当は異常であり、100万部を下回るようになった今の方が正常だと思っている。僕からすれば、「発行部数が減少した」のではなく、「人々の好みが正常に多様化した」に過ぎない。現代人はマインドコントロールからやっと解き放たれたのだ。

 

だから、人それぞれ自分が好きなものを、それぞれのコミュニティの中で、好きなように享受していけばいい。今はそういう時代であり、僕が「スモールビジネスでいい」と言ってるのはそういう意味だ。

 

例えば、僕の好きな松村上久郎さんというイラストレーターは、「バンド・デシネ」という欧米圏の漫画スタイルで作品を描き、それをSNSなどを通じて宣伝し、ネットで販売したりしている。そうやって独自のコミュニティを作り、コアなファンを獲得して、自分なりの規模でスモールビジネスを展開されている。

 

 

ジャンプの部数(読者)が減っていく一方で、こうやって自分の手の届く範囲だけでビジネスをやっているクリエイターもいる。

「一億総表現者の時代」と言われる現代において、むしろ松村さんのような小規模ビジネスの方が、漫画のあり方に合っていると思えてならない。

 

***

 

最後にひとつ余談を。

 

たぶん、今後の出版社の役割は、「プロモーター」から、「スポンサー」や「インベスター」へと変容していって、「ビジネスとしてスケールできるものにだけ出資する」という役割を担うようになると思う。

例えて言うなら、「やる気のある若者を雇って、繁盛店の店主に育てる」のではなく、「SNSでバズりまくっている田舎のラーメン屋をフランチャイズ化する」・・・みたいな話だ。口は出さずに金だけ出す、みたいな。

 

「気になってる人が男じゃなかった」を執筆されている新井すみこ先生もまさにそうで、同作がSNSでバズったのをきっかけにして、出版社(KADOKAWA)から単行本化のお声がかかった。

しかも、SNSでバズってる漫画の単行本は売れづらい傾向があるにもかかわらず、Xの作品更新だけで、200万部以上のヒットを記録している。「百合」という決してメジャーなジャンルではないにもかかわらず、だ。

 

 

作家からすれば、これが理想であることは言うまでもない。

 

これまでの商業漫画というのは、(特に週刊連載の世界においては)連載しているだけでは赤字であり、単行本がヒットしてようやく黒字になる・・・という意味の分からない搾取ビジネスだった。

「将来ヒットすれば赤字をカバーできるよ!それまでは耐え忍ぼうぜ!」と、漫画家にリスクを負わせて、ガッポリと印税を取ってきたのだ。そんなの漫画家からすれば嫌に決まってる。

 

そうではなく、基本はリスクを負わないスモールビジネスを展開していって、新井先生のようにビジネスとしてスケールできる場合のみ、出版社が出資して単行本化し、利益を分配する。この方がよっぽど健全である。

 

逆にいえば、それ以外に出版社の役割はなくなる。そんな日が来るような気もしている。

 

 

アップルペンシル用の木製グリップを買ったら最新のiPad Proが欲しくなった。

最近、ハンドメイドグッズを扱っているサイトを覗いていたときに、アップルペンシル用の素敵な木製グリップを見かけて、それが「グリップを装着したままマグネット充電できます」という謳い文句の代物だった。

 

僕は思わず、その商品を二度見する。

 

 

以前、このブログでも紹介した葉車堂さんの木製グリップもそうなんだけど、この手の木製グリップというのは、装着したまま充電することができず、充電のたびにグリップを外さないといけない仕様になっている(・・・ことが多い)。

まーこれがヒジョーに面倒臭い。抜き挿ししているうちに緩くなってきてしまうおそれもあって、僕は次第に使わなくなってしまった。実際、数回抜き挿ししただけで、若干緩くなったような気もする。

 

 

というわけで、現在、僕はエレコムが出しているシリコングリップを使っており、装着したまま充電できるのはやっぱり楽だなーと実感している。握り心地もこれで問題ない。

 

 

ただ、シリコングリップにもちゃんと弱点はあって、使っているうちに汚れが目立つようになってくるし、長時間使用していれば手汗・手垢でベタベタしてくる。夏場は結構最悪だ。また、シリコンゴムなので、徐々に素材が伸びてきて、ちょっとしたはずみで抜けてしまうことも多々。

 

さらに、装着したまま充電できるように側面がフラットに加工されていて、普通のペンとは握り心地が異なる。これも地味にストレス。

 

なので、僕は、本音を言うなら、握り心地の良い木製グリップで、なおかつ、装着したまま充電できる物があったら、それを使いたいとずっと思っていた。

 

***

 

「やっと自分の望みに適う物が見つかった」

 

僕が使用しているアップルペンシル第2世代にも対応しているということで、早速その木製グリップを購入した。

本当に届くのを心待ちにしていたし、おそらく、最近買った商品の中では、ダントツで一番期待した商品だと思う。

 

しかし・・・。

 

手元に届いた商品を試しながら戸惑いが増していく。

アップルペンシルにグリップを装着して、iPad側面のマグネットにくっつけると、ピタッと吸着するものの、まったく充電される気配がない。

 

「え、あれ・・・?」

 

グリップの上下を逆にしてみてもダメ。

マグネット吸着の位置を工夫してみてもダメ。

iPadを再起動してもダメ。

 

何をやっても充電できない。

 

その後、出品者に問い合わせて、色々とやり取りを進めていった結果、そのグリップは、Apple Pencil Proでは充電可能だけど、Apple Pencil 第2世代では充電できないことが判明した。

出品者の説明によると、Proと同じ寸法だったので、第2世代でも問題なく充電できると思い、確認していなかった・・・ということだった。謝罪して頂いたうえで、返品に対応するとお申し出頂いたが、僕はこれを丁重に断って、そのまま受領することにした。

 

***

 

ガッカリしたのは事実だが、別に出品者に怒ってるわけではない。

 

もともとiPad Proを買い替える予定だったので、「その時のために取っておこう」という考えが先に出てきたというか。

要するに、そのグリップを返品するよりも、それを手元に取っておいて、新しいiPad Proを買いたいと思っちゃったのだ。

 

しかし、最新のiPad Proはめちゃくちゃ高い。

僕が欲しいM5チップ・13インチの1TBモデルは37万円もする。

 

 

パソコンと液タブを両方買うよりかは安いけど、普通に考えれば高い。

 

だけど、高性能のiPad Proを買って、この木製グリップを使って、良い作品を描きたいなーというモチベーションが湧いてきた。それまで頑張ろうと。何度も言うように高いけどね。

 

そろそろ秋晴れが見たいなーって思いつつ、滴り落ちる雨音を聞きながら、秋は深まっていく。

 

デスク作業環境を見直す。

最近、引っ越しを間近に控えていて、自分の仕事部屋のレイアウトを改めて考えたところ、「作業スペース」と「趣味・娯楽スペース」を分けようと思い立つ。

 

要するに、デスクを2台置いて、片方を「クリエイティブ作業に打ち込むデスク」とし、もう片方を「動画を視聴したり、ゆったりくつろぐデスク」にする・・・という感じだ。

次の新居では、寝室と仕事部屋を別々にすることができ、しかも仕事部屋が5畳ぐらいの広さになる予定なので、このレイアウトが可能となっている。

 

***

 

まず、趣味・娯楽スペースについては、幅1200mm・奥行600〜700mmの天板を買ってきて、そこにスチールのデスク脚を取り付ける予定。

その上に、PC・モニター・キーボード・マウスを置いて、PC作業をしたり、ゆったり映画を見たりできるスペースにする。ここについては迷いがない。

 

問題は作業スペース。

今のところ、僕の中で2つの選択肢があり、1つ目は「製図テーブル」を使うこと。

 

 

製図テーブルというのは、天板自体に傾斜をつけることができ、ペン立てとか引き出しが一体になっている機能デスクのことをいう。海外では「Drafting Table」と呼ばれていて、デザイナーやアーティストが使っているところをよく見かける。

 

たとえば、こちらの方は製図テーブルを漫画制作デスクとして利用されている。

 

youtu.be

 

絵を描く人なら、傾斜をつけることの重要性はお分かりだろう。

こうやって傾斜をつけることで自然と背筋を伸ばすことができ、適度に目と手元の距離を離せるので、猫背・肩こり・目の疲れを緩和することができる。完全に絵師向けのデスクなのだ。

 

・・・ところが、この製図テーブル、日本ではほぼ見かけることはない。

 

製図テーブルを使っている漫画家さんを見たことがないし、僕がネットで調べた限り、この手のテーブルを現役で使っているクリエイターは、目黒ケイさんという方しか確認できなかった。そういう意味では、超レアなデスクと言ってもいいかもしれない。

 


www.youtube.com

 

まあ、さすがに、世の中にはもっと使っている人は居ると思うんだけど、製図テーブルのメインユーザーって、かなりアナログ派のクリエイターだと思うし、Youtubeにデスクツアー動画をあげることもないため、ほとんど情報が出てこないんだと思われる。Xで情報発信している人も少ない。

(目黒ケイさんにしても、自らデスク環境を情報発信しているのではなく、上記トバログというチャンネルでたまたま紹介されただけである)

 

また、大抵の人は、デスクは部屋にひとつしか置けないし、液タブを使って絵を描く場合、PC接続が必須になるため、普通のフラットタイプのデスクの上に、PCとモニターを置いて、手前にタブレットを置く・・・という定番の配置になりやすい。というか、これ以外に選択肢がなく、「製図テーブルを使う」という発想すらないと思う。

 

ただ、アナログ寄りの作業をするんだったら便利であることは間違いないし、導入コストも安いので、ダメ元で試しに使ってみるのもアリかなーと思ったりもする。

 

<製図テーブル>

  • メリット:導入コストが安い(ネットで2〜3万円ぐらい)、機能性・デザイン性が高い
  • デメリット:昇降できない、本や飲み物を置く場所を別で用意する必要がある

 

***

 

そして、2つ目の候補が、「電動昇降デスクの上で傾斜台」を使うこと。

 

イメージとしては、幅1400mm×奥行600mmぐらいの天板に、電動昇降脚を取り付けて、そのデスクの上に角度を変えられる傾斜台を置く。たぶん、これがもっとも無難な構成になるはず。

 

 

これなら、傾斜をつけられる上に、疲れたら立って作業することもできるし、デスクの上に別途ペン立てなどを用意しなければならない不便さはあるものの、本(資料)・ファイル・飲み物をデスク上に置くこともできるので、トータルで見たときに作業効率はむしろ良い。傾斜台も邪魔ならどかせばOK。

 

ただし、天板・電動昇降脚・傾斜台をそれぞれ購入しなければならず、どうしても導入コストは高くなる。

ちなみに、Amazonで激安で売られている昇降デスクとかもあるんだけど、天板が気に入らなかったり、昇降範囲が狭かったりして、結局満足がいくものを買おうと思ったら、たぶん7〜8万円はかかると思われる。

 

<電動昇降デスク+傾斜台>

  • メリット:立って作業することもできる、色々と物を置ける
  • デメリット:導入コストが高い、デスク上の物が増える

 

***

 

この2つのどちらが良いかは、はっきりと答えが出せていなくて、「昇降できるかどうか」という点をどのぐらい重視するのか、再度自分の中で考えている。

(ここが一番大きな違いなので)

 

この点、現在進行系で「COFO Desk Premium」という電動昇降デスクを使っている経験からいうと、立って作業をする機会は普通にあるし、他にもコンタクトレンズを装着するときに、手元の鏡との距離を近づけるために、微妙にデスクの高さを調整したり・・・といったこともある。昇降機能が便利なのは間違いない。

 

ただ、立って作業する時間割合で言うと、たぶん全体の10%にも満たず、椅子での作業に耐えられなくなったときに、「疲労を紛らわすために仕方なく立つ」ということが多い。

しかし、これは冷静に考えればおかしな話で、「疲労を感じるまで長時間にわたって椅子に座っていること」がそもそも問題であり、そこまで追い詰められる前に、ちゃんと立って運動するとか、身体をほぐすとか、適度に休憩を取るといったことをした方がいいし、むしろ、電動昇降デスクがあるせいで、「立った状態で作業を継続出来てしまう」という弊害が発生しているような気がしないでもない。

 

実際、電動昇降デスクを導入したからといって、劇的に身体が健康になったということもなく、逆に作業時間が増えてしまい、体調を崩すときもあった。

たとえて言うなら、フットレストとかヘッドレストが付いている快適なオフィスチェアを使ったせいで、長時間椅子に座って作業してしまい、逆に肩こりが酷くなった・・・みたいな話に近いと思っている。

 

僕が思うに、作業デスクというのは多少不便な方がいい。

 

「疲れたから立って作業するかー」ではなく、「これ以上作業を継続できないから、ちょっと休もう」の方が全然良い。「疲れ」というのは、「休め」という脳からのサインなのだから。

ゆえに、デスク環境にはある程度の「不便さ」みたいなものを残しておいて、「その不便さゆえに作業を中断しなければならない」という状態にわざとしておいた方がいい。割と本気でそう思う。

 

んで、その「多少の不便さ」みたいなものが残っているのが製図テーブルなのかなぁと。今のところ、そっちに気持ちが傾いている。

PC作業環境が当たり前になった現代において、こんな不便なアナログ専用台を使う人は少なくなったと思うけど、だからこそ僕は「良い」と感じているのかもしれない。

 

関東に移り住んで5回目の引っ越しをする。

近々引っ越すことになる。

関東に引っ越してきてから、これで5回目の引っ越しだ。

 

次に住む予定の新居は、なだらかな丘陵地の坂を上がったところに建っていて、2階の窓から見える街の景色が「エモい」と僕の中でもっぱら話題だ。そんなにすごく高台に位置しているというほどでもないけど、周囲に高い建物がないおかげで、視界が広くて気持ちがいい。

 

僕は、この景色を眺めたとき、丘の上に住んでいた友人の家に遊びに行ったときのことをふと思い出した。遠い昔の話だ。たしか中学1年生の頃だったと思う。

そのとき、2階の窓から見えた街の景色がやたらと綺麗で、いつかこんな高台の家に住んでみたいと思い描いたものだった。思えば、その当時の僕は、「耳をすませば」に出てくる地球屋に憧れていて、高いところにある家がなんか好きだった。

 

あれから数十年が経ち、ちょっとだけ夢が叶ったような気がして、少しうれしい。

(ちなみに、反対側の部屋の窓からは森が見えるので、僕の中ではそこもポイントが高かったりする)

 

***

 

現在は、ちょっとずつ持ち物の断捨離を進めながら、大型家具を処分したり、新調する予定のデスクを検討したり、引っ越し前のワクワク感を絶賛満喫中だ。デスクについては幅広の天板をDIYをする予定なので、うまくいったらブログでも紹介したい。

 

あと、たぶん、次引っ越したら、よほどのことがない限り、その次の引っ越しは当分無いと思う。骨を埋めるまではいかないまでも、人生後半における大部分の時間をその家で過ごすことになる・・・はずである。

 

そんなことを言いつつ、実際はどうなるか分からないけどね。人生というのは本当に摩訶不思議で、10年以上前は関西の実家に暮らしていたのに、今は縁もゆかりもない土地に定住しようとしている。

もしかしたら、10年後はタイとかシンガポールに移住してるかもしれないし、田舎の古民家をリノベして、そこでVlogをYoutubeにアップしながら暮らしているかもしれない。

 

そんな想像を膨らませつつ、今年の夏もゆっくり静かに過ぎていく。

 

(写真は新居と何の関係もありません)

ダイエットの方向性と最近のニュースのこと。

ここ最近、ダイエットの甲斐もあってか、順調に痩せてきており、2ヶ月で約4kgの減量に成功した。

 

ただ、筋トレについては、徐々に「面倒臭い」「しんどい」という気持ちが勝るようになってしまい、自分にはなんだかんだで有酸素運動の方が向いてるなーと感じて、ウォーキングとか、10分間エクササイズを中心にやるようになった。

 

そこで、あらためて筋トレの意義を考えてみる。

 

素人が思うに、ほとんど多くの人にとって、高負荷の筋トレは不要であり、人生において、100kgのベンチプレスとか、200kgのスクワットを挙げる機会はなく、老後を迎えたときに、ちゃんと自分の脚で元気に歩ける筋力さえ身につけておけば、何の問題もないのではないかと思ったりもする。

 

つまり、僕の考えによると、たしかに筋肉は必要なんだけども、高負荷の筋トレをして「見た目重視の筋肉」を身につける必要はなく、ウォーキングやエクササイズといった運動の中で、生活に必要な筋力さえ維持出来ていれば足りる。

それよりも、ちゃんと余計な贅肉を落とし、姿勢や骨盤の歪みを矯正して、「めぐりの良い健やかな身体」を作っていく方が重要なのではないかと考えている。

 

なので、筋トレをやったとしても、種目をBIG3だけにするとか、頻度も週1回ぐらいにしておくとか、そんぐらいで良いかなーと。そんなこんなで、ちょっとずつ軌道修正しながら、ダイエットを継続していきたい。

 

***

 

閑話休題。

 

ところかわって、最近も物騒なニュースが絶えない。

つい先日も、煽り運転に腹を立てた運転手が、わざと後続車の前方を塞ぐようにして停止し、踏切内に閉じ込められた後続車が電車と衝突する事件があった。

 

news.yahoo.co.jp

 

僕は、このニュースを読んでふと思った。

この運転手は、自身の中にある「怒り」と真面目に向き合って来なかったんだろうなーと。

 

人間は弱い生き物である。誰にだって「怒り」はあるし、時には腹を立てて、汚い言葉を吐いてしまったり、相手に食って掛かることだってあるだろう。

もちろん僕も例外ではなく、もしこの運転手と同じ立場に立たされたとしたら、たぶん同じように後続車に腹を立てていただろうと容易に想像がつく。煽り運転をされて平気な人なんてほとんどおらず、そういう意味では、この運転手の気持ちがまったく分からないわけでもない。

 

だけど、ほとんど大半の人は、腹を立てたからといって、わざと進路を塞ぎ、後続車を踏切の中に閉じ込めるような真似はしない。ちゃんと怒りをコントロールできるからだ。事を荒げたりせずに、グッと溜飲を下げて、その場では冷静に行動を取れるはずだ。

 

しかし、怒りと真面目に向き合わない人は、これがなかなか鎮まらない。

 

打ち寄せる波のように、何度も怒りの感情が胸に押し寄せてきて、あるときダムが決壊するかのように、パァーンと弾けてしまう。「ぶつかりおじさん」とかがまさにその典型例で、ああいう人たちは、怒りをコントロール出来なくなった人間の成れの果てである。

あるいは、他人に迷惑をかけるラインは超えなくとも、不機嫌を隠そうとせずに、攻撃的な態度を取り続ける人とかもまさにそうで、僕からすると、そういうタイプの人たちは、「ぶつかりおじさん」になってしまう一歩手前ぐらいの予備軍だと思っている。

 

そして、怒りと真面目に向き合わなかった結果、「わざと肩をぶつける」とか、「攻撃的な態度を取る」とか、そんなレベルを軽々と超えられる人間になってしまう。この運転手のように、「相手が死んでも構わない」「あわよくば殺してやろう」と、物騒なことを平気で考えられる人に。

 

***

 

僕は、怒りとか、執着みたいなものに対して、数年前ぐらいからやたらと過敏になってきたような気がする。それが人生の幸福度を大きく左右する主要因だと考えるようになったからだ。

 

僕の場合は、過去の人間関係とか、それに起因する体験がスイッチになっていて、ぶわーっと怒りが込み上げてくることが多々ある。時間が経っても決して消えることがなく、何度も何度も打ち寄せる波のように、僕の心にずーっと居座り続ける厄介な奴だ。

 

ちゃんとコイツと向き合い続けなければ、たぶん僕の心も呆気なく食い破られるだろうと思う。だから、何度も何度も向き合う。そのたびに、自分の中で答えを出し、自分を納得させる。もちろん、それで解決するわけではなく、時間が立てばまた同じ感情が沸き起こる。そしたらまた向き合う。

 

それをずーっと繰り返す。それこそ精神修行のように。ひょっとしたら神様が僕に課した宿題なのかもしれない。そんなふうに思う。