箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

夏の日に板東英二さんの最期を想う。

7月も終わりを告げようとしていて、明日から夏本番の8月へと突入する。

 

かくいう僕はと言うと、ちょいちょい出かけようとはするものの、どこもかしこも大勢の人でごった返しており、外出する意欲が日々減退している。

ついこないだも逗子・葉山に出かけたら、どの道も渋滞していて、この時期に観光地に来るべきじゃなかったなーと激しく後悔した。大人しく家で筋トレをしてた方が良かった。

 

そんなこんなで、最近は外出頻度を落とし、日中は家でゆっくり過ごすことが多く、日が沈んで涼しくなってから、散歩に出かけている。夕暮れの街の風景を見ていると、不思議と気持ちが落ち着くし、僕はこの時期の夕方が好きだ。

 

そして、色んなことを考える。

 

最近は板東英二さんの逝去をニュースで知って、何とも言えないしんみりとした気持ちになっていた。今から2〜3年前に「消息不明」「親族と連絡を取っていない」といったニュースを見かけたことに端を発している。

 

news.livedoor.com

 

聞けば、2020年頃に自宅で怪我をされたのをきっかけに、テレビ出演を自粛されるようになったという。どこまで本当か分からないものの、地元・徳島にいる親戚をはじめ、長女との関係性も途絶したと報道されていた。

(実際はそんなことはなく、家族に見守られながら息を引き取られている)

 

・・・ただ、メディアを避けるようにして最後の余生を過ごされたのは事実だ。

 

僕は、このニュースを聞いたときに、人間が最終的に行き着くのは、坂東さんのような最期ではないかと思った。要するに、1人で静かに過ごしたいと思うのが摂理ではないかと思うのだ。

 

実際、現時点において、僕は親戚付き合いをそこまで重視していない。数年前に父方の兄弟間で相続トラブルが起こり、これまでの様々な経験を踏まえて、「血の繋がり」「親族の絆」といったものに疑念が生じたことも大きい。

結局、人間は「我が身」と「我が子」が一番大切であり、いくら血の繋がった一族といえども「他人」の域を出ることはない。そんなふうに思っている自分がいる。

 

将来、親が亡くなって、実家を引き払ったら、たぶん地元にいる親戚と連絡を取ることはないだろうと思う。実姉と事務的な連絡をするだけにとどまり、あとは妻と2人でゆっくり静かに暮らしたいと願っている。現時点ですでにそう思っているんだから、10年後、20年後、30年後には余計にそうなる。

 

友人付き合いも同様であり、一部の友人を除いて、関係性は完全に途絶えた。

10代・20代のときに必死に作った交友関係なんて、結局なんにも残らなかったなーと思う。今となっては。

 

***

 

一部の報道では、坂東さんは孤独だったのではないかと囁かれているが、僕はまったくそう思わない。

もし仮に、坂東さんが孤独を嫌う人なんだったら、もっと表舞台に出てきて、友人や親戚との付き合いを重視されたはずである。それをせずに自分から距離を取っている時点で、「親戚や友人との関係性」を「不要」と自主判断したに他ならず、ゆえに孤独もへったくれもない。それが坂東さんが望む最期だったのだ。

 

最期はそうなる。でも孤独ではない。あるべき姿に帰るだけのような気がする。

そんなことをツラツラと考える。

 

筋トレに勤しむ日々を雑多に語る。

去年の今ごろも全く同じことを言ってたけど、愚図ついた梅雨前線が日本列島から姿を消せば、スカッとした夏空が広がって、本格的な猛暑がやってくる。いよいよ夏本番だ。

 

かくいう自分は、もっぱら筋トレに勤しむ日々を送っていて、ほとんど変わらない身体を毎晩鏡の前でチェックしながら、いつか胸板や腹筋がくっきり見える日が来ると信じて、ちょっとずつトレーニングに取り組んでいる。

 

というわけで、僕なりの筋トレのやり方は以下のとおり。

 

まず、ジムに通う費用がないので、自宅だけで筋トレを実施することに。

ただし、自重だけで筋トレをやると、種目が限られるうえに、重さを増やせないといった問題があるため、運動効率を考慮してダンベルとトレーニングベンチだけは購入することにした。

ダンベルは、近所のハードオフに行って、片方10kgのダンベル(重りを変えられる)を2個、4kgのダンベルを2個購入。トレーニングベンチは、Youtubeのレビューを参考にして、評判の良かったリーディングエッジのベンチをAmazonで購入した。

 

 

他にもプッシュアップバーなども購入して、トータルで2万ぐらい・・・だったと思う。

 

筋トレ初心者はこんだけあればそれなりのトレーニングが出来るし、月会費3000円のチョコザップに1年通うよりも安いと考えれば、お得ではないだろうか。物足りなくなれば、可変式ダンベルとか、懸垂マシンを後から買い足せばOKだし。

 

んで、ChatGPTにも相談したうえで、筋トレの日を「胸・肩」「背中・腕」「脚・腹筋」に三分割し、「胸・肩」「背中・腕」を週に2回、「脚・腹筋」を週に1回実施することにした。

具体的なメニューについては、回数・セットを決めてやるのではなく、Youtubeで「6種目5分」といったサーキット動画を検索し、その動画に沿って同じメニューをこなすようにしている。「10回×3セット」といった回数をこなすよりも、そっちの方がシンプルにキツイし、「同じペースで完走できるようになる」といった目標も立てやすいので、自分には合ってるように思う。

 

ただ、このやり方は暫定的なものであり、腹筋は毎日やっても良いような気もするし、腕立てのようなシンプルメニューの頻度を2日に1回にしたいと思ったりもしているので、そのうち週間メニューは変えると思う。

 

なお、ウォーキングもなんやかんやで継続中であり、毎日夕食後30分ぐらい歩くようにしている。やっぱり歩くと気持ち良いので。

 

***

 

筋トレを始めてから、明らかに身体の調子が良い・・・と日々感じる。いや、調子が良いというか、本来の体調は元々こうだったというか。

 

デスクワーク中心の生活を送っていると、頭がボーッとしたり、肩こりが酷くなって頭痛がしたり、目眩や吐き気を催したり、寝付きが悪かったり、とにかく色んな不調を覚えることが多く、だから漫画家は早死にするんだなと本気で思う。こんな生活を平然と続けられる人なんてそうはいない。特に僕のような虚弱体質の人間には無理だ。

 

日々のデスクワークで削られてしまったマイナス分を、筋トレで補ってプラマイゼロに戻しているというか、ある程度の年齢までくると、純然たるプラスになることはないので、めちゃくちゃ頑張ってようやく「普通」になる。

 

僕はそうやって「普通」をキープしたい。

マッチョになりたいとかではない。今更なってどうする。健康ならそれでいい。

 

そんなことを考えながら、今日も一歩ずつ。

 

ウォーキングを見直す。

昨年の6月頃、「ウォーキングだけでどこまで痩せられるか」というテーマを掲げ、毎日ウォーキングに取り組む日々を送っていた。

 

 

ただ、1年間取り組んだ結果、ウォーキングに限界を感じたのが正直なところであり、今後はウォーキングではなく筋トレをメインにしていこうと決めた。

(たとえウォーキングをやったとしても気分転換の散歩ぐらいしかしないと思う)

 

本日は、そう思った理由をツラツラと書いてみたい。

 

***

 

まず、断っておくと、ウォーキングだけで痩せることは全然可能である。

 

実際、僕は昨年の6月から本格的にウォーキングに取り組んだ結果、2ヶ月間で約7kgの減量に成功している。

 

 

・・・ただし、巷で散々言われているように、ウォーキングは効率が悪い。

 

僕は片足に2.5kgずつアンクルウェイトをつけて、1日10kmぐらい(約1時間半)のウォーキングを続けていたが、こんだけやっても決して筋肉がつくわけではなく、ウォーキングを途中でやめれば太る・・・というジレンマと背中合わせだった。

 

僕の事例をもう少し詳しく説明すると、6月から10月頃まではウォーキングを毎日継続していたが、そこから忙しくなってしまい、ウォーキングの頻度が減少。さらに、デスクワーク中心の生活をしているため、自然と食事量が増えていき、たった1〜2か月で元の体重に戻ってしまった。いわゆるリバウンドってやつである。

 

その後、年が明けてからはウォーキングのペースを取り戻したものの、食事量が増えてしまったため、まったく体重が減らず、同じ体重でずーっと何か月も推移している。

 

つまり、ウォーキングというのは、ちゃんと食事制限をしたうえで、毎日継続している限りは痩せるんだけど、筋肉がつかないので、「痩せやすい身体」はいつまで経っても手に入らない。代謝は悪いままなのだ。

人間は年齢を重ねるごとに、どんどん筋肉量は減っていき、代謝も下がっていくため、理論的にいえば、同じ食事量を続けている限り、運動量(ウォーキング量)を増やさないと体型は維持できないことになる。消費カロリーを摂取カロリーが上回ってしまうからだ。

 

もし仮に、今後もウォーキング中心の生活を送りたいのであれば、年齢を重ねるごとに1日の摂取カロリーを減らしていくか、1日の消費カロリーを増やすためにウォーキングの量・時間を増やすしかない(あるいはその両方)。

 

***

 

しかし、これには問題がある。

 

僕はウォーキングが全く苦じゃないので、ウォーキングを毎日継続すること自体は何の問題もない。

ただ、ウォーキングを続けても見た目の変化がないし、ウォーキングの運動効果がどれぐらいなのか、この1年で大体分かったため、「ウォーキングで痩せる」ということに対して、モチベーションを維持するのが難しくなりつつある。

 

特に、「見た目の変化がない」というのが、僕の中で引っかかっており、同じ運動をするのであれば、見た目の変化がある筋トレの方がモチベーション維持という観点からは軍配があがる。

 

また、自分の生活スタイルもこの1年で少し変化していて、毎日1時間半もウォーキングに時間を割くのが厳しくなってきており、もっと少ない時間で、多くの効果を得られる筋トレの方が効率が良いと感じるようになってきた。

(これ以上、ウォーキングの量は増やせないし、続けるのであれば負荷を上げるしかない)

 

さらに、僕がウォーキングを続けているのは、「気分転換になる」「歩きながらマインドや思考を整理できる」という理由もあるんだけど、筋トレをやって、パーッとシャワーを浴びた方が気分転換になるし、マインドリセットや思考整理も頻繁にやる必要はなく、たまにやるだけで良いと感じる。

逆に、毎日ウォーキングをやっていると、同じような課題や悩みが頭の中をグルグルと巡ることになり、余計なことに脳のリソースを割いているように思わなくもない。むしろ僕に必要なのは、「筋トレで無心になる時間」ではないかと。

 

なので、毎日の運動は筋トレをメインにし、たまに気分転換でウォーキングをする。それが自分に合っていると思う。

 

***

 

ちなみに、去年の今ごろと大体同じぐらいの体重なので、筋トレでどれぐらい痩せられるのかを記録しながら、このブログで結果報告とかもやっていきたい。

 

というわけで、自分のペースでちょくちょくやっていきます。

 

梅雨空の下であれこれと近況をまとめてみる。

最近は梅雨空が続いて、スッキリとしない天気が多い。

ChatGTPに「いつ梅雨が明けるのか」と聞いたら、7月の中旬頃だそうで、例年いつもそうだったかなぁと首を傾げながら、ポツポツと滴り落ちる雨粒を眺める。

 

そんなこんなで、最近の創作近況をば。

 

今年に入ってからずっと取り組んでいた原稿については3月頃に完成しており、その後、以前から興味のあった某漫画賞に応募したところ、見事に落選の憂き目に遭うことになる。それが4月頃の話。

残念ながら、担当希望の連絡はなく、作品のフィードバックもなかった。もっと言うなら落選の連絡もなかった。その雑誌は、受賞結果の発表をオンラインでしかやらない媒体であり、そこに作品が無かったら落選したと思ってくださいってことなんだろうと解釈した。うーむ。力及ばず・・・。

 

実は、それまで在籍していた少年誌から専属契約のお話も頂戴していたのだけど、どうしてもその雑誌に挑戦したいという気持ちが強く、退路を断っての挑戦だった。結果として上手くいかなかったけど、自分としてはまったく後悔はなく、自分のやりたいことは全部出来たし、挑戦して良かったなーと思う。

 

ただ、2回目の挑戦はもう無い・・・かな。

もし仮に、少しでもフィードバックがあったなら(言い換えるなら、自分の作品の改善点が少しでも把握出来たなら)、もう一度その雑誌を目指そうという気力やモチベーションも生まれたかもしれないけど、それが全く分からない以上、同じ賞を目指すのはリスキーだと感じてしまう。自分の作風は脈無しだと割り切って、また別の目標を見つけるしかない。

 

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というわけで、英気を養うために、4月・5月は完全オフにした。ほんとになーんも描いていない。たまに模写をするぐらい。

 

全然違うことをやろうと思って、小型AT限定の二輪免許も取りに行った。久しぶりに通う教習所は刺激がたくさんあり、悪戦苦闘しながらも無事に免許も取得できた。

(免許を取得した直後だけど、たぶん将来的には限定解除をしに行くと思う)

 

 

そうやって2か月ぐらいオフにしたことにより、自分の中で色々と考えることもあって、葛藤だったり、反駁だったり、展望だったり、反省だったり、そういう色んなものが頭の中を行ったり来たりしながら、ちょっとずつ思考が再構成されていった。

 

・・・まず、漫画執筆は身体に悪い。年を重ねるごとにそれを痛感する日々である。

 

こんなことを言うと、プロ向きじゃないと笑われそうだけど、1日中デスクにしがみついて描くもんじゃないと思う。僕が生来の虚弱体質ということもあってか、ずーっと漫画を描き続けていると、そのうち座るのがキツくなるぐらいの吐き気に襲われて、1日中ベッドで横になる日が定期的にやってくる。ほんとにそれ以外に何も出来ないのだ。

 

今年に入ってからも、そういうことが何度かあり、原稿を描き終えた直後ぐらい(4月頃)に、無性に背中が痒くなる症状が起きて、これにも非常に悩まされた。皮膚科や肝臓内科で診てもらったものの、まったく原因が分からず、寝ても覚めても背中がムズムズと痒くなるのだ。

現在は症状は収まったものの、ストレスとか、運動不足とか、肥満とか、血行不良とか、そういうものが折り重なって、知らず知らずのうちに身体に負担をかけていたんだろうなと思う。同じ生活を続けていたら、間違いなくどこかでぶっ倒れていただろう。

 

なんというか、もっと健康的な範囲内で、自由に描くべきというか・・・。

 

元来、漫画を描くこと自体は義務ではないし、生活していくうえで必須の要素でもない。ほとんど大半の人が「趣味」としてやっていて、本当にごく一部の人だけが「生業」にしているだけである。つまり、漫画というのは「趣味」であることが原則である。

しかも、SNS漫画が主流になりつつあり、インディーズ連載という新たな形式も生まれた今となっては、「趣味」と「生業」の境界線は限りなく曖昧になったと感じる。趣味のノリで漫画を描き続けていた人が、たまたま偶然スカウトされて、趣味の延長として連載漫画を描く・・・という時代なのだ。

 

 

そうであるならば、まず趣味として描くことを確立する。順番としてはそっちが先のはず。

だから、身体を壊してまで描くべきではないし、自分の生活スタイルに合っていないこともやるべきではない。どこか特定の雑誌の傾向に合わせて作風を変えたり、目先の利益に飛びつくべきでもない。

 

「趣味」を極めていった先に「仕事」がある。最初から「仕事」として存在しているわけじゃない。それを肝に銘じる。

 

***

 

この2か月ぐらいは、とにかく健康的に過ごすことをテーマにしていて、毎日ウォーキングをしたり、筋トレをしたり、食事にも気を使った結果、以前よりも体調不良を覚える瞬間は減って、身体や頭がスッキリすることが増えた。

 

そういう日々を送る中で、人間の幸せというのは、健康の上に成り立っていると確信したし、それがひとつの大きなきっかけとなって、漫画との向き合い方も変わったように思う。たとえ漫画を生業に出来たとしても、不健康だったら何の意味もないんだなーと。

 

さて、そういうわけで、次の一歩を踏み出していこうかなと思う。自分なりのペースで、健康的に。

 

色々と悩んだ末にDio110ベーシックを購入した。

先日、ダックス125を試乗してから、色々と悩みまくった末に、現時点ではスクーターを買った方が幸せになれるんじゃないかと思うようになり、最終的に「Dio110ベーシック」を購入することにした。

 

そう思ったら事は早い。

 

早速、グーバイクで新車在庫を検索し、「即納車可」と記載されていた個人店舗に連絡。現車を確認してその場で契約を済ませ、数日後に納車も完了した。

ちなみに、車両価格は22万円。総支払額が25万円ぐらいだった。いやーほんとに安い。

 

購入してから100kmぐらい走行してみたところ、50ccでは得られない加速・エンジンの静音性を感じることができ、かなり満足している。

不満点もほぼなく、メットインスペースが小さいとか、足元が狭いといった意見もあったが、元々50ccに乗ってた僕からすると、こんなのマイナスでもなんでもなかった。全然余裕である。

 

基本的には「これ1台で何でもこなせる万能バイク」という感じであり、最初の1台にピッタリだったのではないかと感じる。ほんとに買って良かった。

 

***

 

ただ、ダックスのような趣味バイクもいつか欲しいと思っておりまして・・・。

というか、将来的にどうなるか分からないけど、もしかしたら小型二輪の限定解除をして、普通二輪を取るかもしれない(現時点でその予定はないけど)。これからの僕の後半人生において、バイクの位置づけは少しずつ大きくなりつつある。

 

僕が思うに、バイクというのは「1人の時間を楽しめるようになった大人向けの乗り物」という側面もあると思っている。

事実、若い頃に仲間たちとバイクを乗り回していた人が、年齢を重ねてソロツーリングを楽しむようになったり、40・50代に差し掛かってからバイクの免許を取る人も多い。

 

僕も同類である。

 

若い頃は「いかに仲間と同じ価値観を共有できるか」という部分を重視していて、それが生きるテーマでもあった。だから、大学の頃は友人と一緒に車でよく出かけた。深夜に心霊スポットに行ったり、四国を一周してみたり。

だけど、大人になっていくにつれて、そういう「友人との時間」よりも「家族との時間」が大事になり、もっと言うなら「自分ひとりだけの時間」の方が大事になっていった。

 

友人と一緒にいても、同調圧力によって自分の気持ちを押し込めざるを得ず、あるいは、必ずしも同調できないことに大切な時間とお金を使わなければならず、それどころか、友人の心無い言葉にいちいち傷つかなければならなかった。

僕は、一体何のために友人と一緒にいるのか分からなくなり、いつしか友人との時間を「拷問」「罰ゲーム」と感じるようになった。

 

今は、かつての友人たちと距離を取るようになって、本当の自分を取り戻すことが出来たと実感している。思えば、自分にとって本当に必要だったのは「1人の時間」だったんだなーと思う。

 

翻って、バイクというのは、そういう「1人の時間」を謳歌することの出来る究極の相棒であり、僕がバイクに対して求めているものはそこである。

別に仲間とのマスツーも必要ないし、ミーティングも必要ない。SNSでバイク好きと繋がりたいとかもない。若い頃だったらそういうバイクライフを満喫したのかもしれないが、たぶん大人になってからバイクに乗る人は、もうとっくにそういうことを卒業している人ではないかと思う。

 

つまり、僕の人生のテーマは、途中から「自由」に変化したんだなと。そういうふうに感じる。バイクがまさにそれを体現しているというか。

 

***

 

まあ、そんなことを言いながら、ダックスを購入することを必死に正当化している。

 

いつか出会えるその日まで。今は辛抱しよう。