箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

商業漫画家ではなく同人作家を目指す理由を分析してみる。

漫画家として活動をしていくにあたって、ほとんどの人が「商業漫画家としてやっていくか(プロを目指すか)」または「趣味や同人活動としてやっていくか」の二択を迫られる。

 

fumufumunews.jp

 

例えば、この記事でインタビューに答えられている小田桐さんは、漫画を描くことをライフワークとして一生続けていくんだろうと考えつつも、商業系の漫画家になろうとは思っていなかったと言う。

初めて漫画新人賞で佳作を受賞した時に、担当編集者から長期連載の話を打診されたが、会社員を辞めてまで連載漫画を描く意思はなく、この打診を断ったらしい。「編集さんとも2回くらいしか会っていない」という言葉が印象深い。

私の考えとして、安定した生活がないと心の余裕がなくなって、いい作品は描けないっていう確信があったんです。例えば、“今は貧乏だけど、売れる漫画を描いて取り返すために頑張ろう!”って思える人は、漫画家に向いていると思います。でも、私の場合はそういう不安要素があると“生活を安定させなきゃ”で頭がいっぱいになるし、創作にリソースが割けなくなって最善を尽くせません。ずっと続けていくには、会社員として働きながら漫画を描くというのが私には合っていたので、連載にこだわりはなかったです。

(インタビュー記事より引用。太字は筆者によるもの)

 

note.com

 

また、4年ほど前にnoteでバズったこちらの記事は、漫画家のJunichi Kubotaniさんが「商業漫画家になる意味」に疑問を呈しており、商業漫画とは、漫画家と担当編集の間で行われる外注の無報酬コンペであると主張を展開。

そして、漫画家と出版社との間に存在する不公平感・上下関係、ビジネスという観点から見た商業漫画の実態に鋭くメスを入れ、敢えて商業漫画家を目指す意味はないのではないかと締め括っている。

「めちゃくちゃ売れたい」とか「めちゃくちゃ売れる自信がある」ならその方がいいんじゃないかなって僕は思います。ただ、漫画を描きたいだけだったら商業漫画じゃなくても生活できるし、好きなものを好きなように描けてリスクが少ないのは個人での活動だと思います。出版社で描いても出版社に守られないっていうのも不思議な話なんですが、現状はそうであるとしか言えません。
 どちらかといえば、今まで商業媒体ではめちゃくちゃ売れないと漫画家として生活できなかったけど、ネットや流通の発達で「個人で活動するという選択肢が増えた」という印象です。あんまり売れてない漫画家が漫画を描くのを辞めなくて済むようになったって感じでしょうか。

(note記事より引用。太字は筆者によるもの)

 

この2人は、いわゆる同人活動として漫画を描くことを選択した漫画家であり、そこに至った理由は異なるものの、「めちゃくちゃ売れたい」というより、「好きなものを好きなように描きたい」という自分の創作スタンスを優先したという点で共通していると言える。

 

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こういう話を聞いていて、僕が率直に感じることは、出版社や担当編集に対する不信感…ということになるのかなと思う。

 

上記の話で言うなら、Junichi Kubotaniさんは言わずもがな、おそらく小田桐さんも同じことを感じているんじゃないだろうか。

小田桐さんは、会社員を辞めることによって収入に関する不安が増加し、創作にリソースが割けなくなると述べており、それだけ聞くと、小田桐さん自身の考え方やスタンスの問題と言っているように聞こえなくもないけれど、そもそも担当編集の提示した連載の企画が魅力的ではなかったことが原因とも言える。

もし、担当編集の提示した企画が、小田桐さんの魂を揺さぶるほど魅力的で、小田桐さんが「たとえ、しばらく無収入になったとしても、その漫画が描きたい!俺はこの編集者を信じる!」と思ったのであれば、問題なく首を縦に振っただろうし、喜んで会社員も辞めただろうと思う。結局、小田桐さんをそこまで本気にさせることが出来なかっただけの話である。

 

まあ、編集者からすれば、小田桐さんは数多の漫画家の中の1人に過ぎず、編集者自身も小田桐さんに対してそこまでリソースを割けなかったんだろうけど、このような漫画家と編集者とのミスマッチが頻発しているのが現在の漫画出版業界の実態であり、巷間には「この編集者を信じて良いのか」という不信感が渦巻いている。

Junichiさんが言っている「リスク」とは、単純に「経済的に搾取されるリスク」という意味だけでなく、編集者との人間関係、すなわち「信用リスク」の話と捉えるべきだと思う。この信用リスクが増大しているからこそ、商業漫画家から同人活動への流れが隆盛しているとは言えまいか。

 

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昔だったら、「この編集者と心中してやる」という漫画家もいただろうし、本気でぶつかり合って、心と心が通じ合う信頼関係も構築出来ていただろう。まあ、もちろん今も居るとは思うけどね。

ただ、時代が移り変わるにつれて、徐々に漫画家を取り巻く環境も変わっていって、「こいつの言うことを信じていいのか?」「いや、自分のやりたいようにやろう」みたいに考える人が増えていった。

 

個人的にはたぶんその方向性で合っていると思う。本来、創作なんて自分の好きなようにやるのが一番良いに決まっているし、「このやり方が王道」と言えるものは存在しなくなった。

たとえて言うなら、お笑い芸人のキャリアみたいなもんで。お笑い芸人として天下を取りたいなら、お笑い養成所に入って、漫才新人賞を受賞して、テレビ番組にも起用されるようになって、徐々に認知度を上げていって、そのうち冠番組を持つ…みたいな成功のモデルコースがあったけども、今は下積みをしなくても、Youtubeで一気に人気を得ることも不可能じゃなくなった。

その根底にあるのは、テレビという既存メディアに対する不信感だと思うけど、この不信感は何も間違っていない。むしろ、テレビの言うことを信じて、テレビと心中しようと言う方が馬鹿である。

 

ただ、もしこれが編集者との間の信用リスクの問題と言うのであれば、何らかの解決策があるような気もしているし、漫画出版業界に大きな変革が起こることによって、再び「商業漫画家を目指す」という選択肢が主流になる日が来るかもしれない。