箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

「少年ジャンプがどうしても伝えたいマンガの描き方」について率直に感じたこと。

ここ数日はシナリオ創作系のインプット作業ばかりやっていて、今日もずっと本を読んでいた。それがこちら。

 

 

ジャンプ編集部がジャンプでの連載を目指している中高生向けに作った指南書、という位置づけの本。

 

前から存在は知っていたけど、書店でパラッとめくって読んだ時に、「随分と子ども向けの本だな」と思ってしまい、この本の存在自体を忘れていた。

だけど、最近になって、王道の少年漫画を描くのに必要なマインド・姿勢をもう一度学び直したいと思い、再び本著を手に取った…という流れになる。

 

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んで、この本の感想をざっくり述べると、

本著は、「漫画の描き方に絶対の正解なんて無いので、漫画を描きまくって、自分なりの正解を見つけてね」っていう至極当然の結論を述べており、特に目新しい発見は無かったし、ジャンプならではのセオリーやルールみたいなものも一切触れられておらず、ノウハウ本というよりも、「漫画業界に飛び込みたいなら、こういうマインドを持て!」と檄を飛ばす啓発本のように感じた。

 

・・・うーん。しかし、その檄の飛ばし方が根本的にズレていると僕は思う。

 

本著は「自分の好きなものを自由に描けば良い」という主張を全面に押し出し、「どんな作品でもウェルカム!」というムードを醸し出しているが、「進撃の巨人」の諫山先生のケース(※)もあるため、本音を包み隠さずに言うと、その主張は果たして本当だろうか?・・・と、疑っている自分が居る。

(※)諫山先生が新人の頃に、ジャンプ編集部に持ち込みに行ったところ、担当者から「ジャンプを持って来い」と突き返されたという有名な逸話がある。

 

純粋無垢な中高生たちはその言葉を信じて、自分の好きなものを好きなように描き、やっとの思いで描き上げた作品を意気揚々とジャンプに投稿すると思うんだけど、それがジャンプの方向性と合っていなければ、当然ダメということになるし、ジャンプ編集部からすれば、そうやって壁にぶつかった時に改めて自分の作風を見直せば良い(編集者と一緒に修正していけば良い)と考えているのかもしれないが、だったら最初から「こういう作品はダメだよ」と指南すべきではないかと思う。

 

要するに、

一番肝心な部分を隠しているように感じてしまう。

 

最初から「これがダメ」「あれがダメ」とNGを突き付けてしまうと、漫画を描く上での自由な発想が阻害されてしまい、型にハマった作品ばかりが量産される恐れがあるので、それを避けるために「どんな作品でも良いよ」と間口を広げているのは分かる。僕もバカではないので。

だけど、それは言い方の問題というか、「ジャンプでは正義や友情のために勇気を振り絞って戦うヒーロー型の主人公が望ましいけど、必ずしもそういう主人公じゃないとダメなわけじゃないよ。君がカッコいいと思う主人公をとりあえず描いてみてくれ」と言えば、ジャンプの基本理念(王道)も分かったうえで、ジャンプの王道と自分の好みがどう食い違っているのかも分析できる。中高生だってバカではないのだから、そう言えば良いじゃないか。

 

というか、「どんな作品でも良いよ」という言葉は、優しい言葉のように見えて、実は優しさの欠片もない残酷な言葉だと僕は思っている。実際のところ、どんな作品でも良いわけがなく、ダメなものであれば、容赦なく「ダメ」と否定される。漫画とはそういう世界だ。「こういうものは良い」「こういうものはダメ」というれっきとした線引きがある。

つまり、「どんな作品でも良いよ」という言葉の裏側には、「才能のある人を出来るだけ多く囲い込みたいので、そのために間口は広げておこう」という大人たちの汚い魂胆が見え隠れしているように僕には感じてしまう。その言葉を信じて、最終的に傷つくのは純粋無垢な漫画家志望者たちだ。

 

あと、もう一つだけ。

「好きなものを描いていいよ」と言ってしまうと、ジャンプで連載中の人気作品を模倣した作品ばかりになるんじゃないか?と思わなくもない。だって、ジャンプを目指している人たちは、ジャンプ作品を読んで育ったのだから。

 

例えば、僕が小学生だった頃、僕の周りにいた友達は、ほぼ全員が鳥山先生の絵(もっと言えばスーパーサイヤ人の孫悟空の絵)を描いて遊んでいた。ジャンプというのはそのぐらい強い影響力を持っていて、確固たる思想を持っていない子どもたちは、無意識のうちに流行に流されてしまう。最近は、藤本タツキ先生の作品を模倣した投稿が増え、それを見た編集者がウンザリしている…という話を聞いたこともある。

 

勘違いして欲しくないのは、有名作家の模倣をダメだと言ってるわけではなく、むしろ逆に、僕はどんどん模倣すべきだと思う。ところが、本著は、あたかも綺羅星のように輝く唯一無二の「個性」が最初からあるかのように謳っており、「さあ!あなただけの個性を見せてくれ!」「あなたの中にある『好き』を爆発させよう!」と、やたら強調しており、ここに強い違和感を覚えてしまう。

これは僕の勝手な想像でしかないけど、本著を読んでいる99%の人は、最初から唯一無二の個性なんて持っておらず、好き勝手に漫画を描いたとしても、知らず知らずのうちに誰かの作品の模倣になってしまい、編集者や読者から「それは◯◯先生の真似だよね?」と冷たく突き放されて撃沈する。そこで、ようやく自分のやっていることが「模倣」でしかないことに気づき、自分だけの個性を磨こうと努力していくわけだ。

 

つまり、よっぽどの天才でもない限り、「模倣」こそが創作活動における最初の第一歩と言っても過言ではない。

 

しかし、本著はそれも言わない。「流行なんて気にしなくていいよ」「好きなものを描こう」というが、僕はむしろ逆に、「流行作品を意識しろ」「模倣しまくれ」と檄を飛ばし、「そこから少しずつ個性を育てていけば良いんだよ」と言うべきじゃないかと思う。効果的な練習方法として「模写」を挙げるぐらいだったら、そう言い切るべきだ。

要するに、本著の言い方だと、最初から唯一無二の個性を持っている1%以下の天才にしか当てはまらず、その他の大多数の漫画家志望者は、本著の言う通りに漫画を描いたとしても、「自分には個性的な作品が描けない」と絶望するだけだと思う。それとも、そういう人はお断りなのだろうか。

 

この本を読んでいると、次から次にそういう「反駁」や「疑問」が僕の中に芽生えてしまい、かなり早い段階からウンザリしてしまった。はっきり言ってしまうと、綺麗事が多すぎると思う。

 

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唯一、参考になったのは人気作家たちのQ&Aだろうか。

個人的には空知先生の話がめちゃくちゃ良くて、漫画を描くときに心がけていることとして、空知先生は「自分の描きたいものと読者の見たいもの、2つの線が重なる交差点を探すこと」(P.92)と回答されており、「あーその考え方めっちゃ良いなぁ」と思わず唸ってしまった。

 

・・・でも、そこだけかな。

 

原稿用紙の使い方とか、デジタル・アナログで漫画を描くときの道具の紹介とか、全く知らない人にとっては参考になると思うけど、この本は「狭くて浅い情報」しか手に入らないので、本気で描こうと思ったら、この情報だけでは全く足りない。

僕はデジタルで描いているけど、もっと詳しい本は他にあるし、ネットで検索すれば色々と情報は手に入るので、敢えてこの本で勉強する必要もない(純粋にCLIP STUDIOの使い方の説明だけを載せればいいのに、最後まで会話形式にこだわっているのもよく分からない)。

 

これが率直な感想。

しばらくインプット作業が続いたので明日から再び練習の日々に戻ります。それではまた。