箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

四畳半タイムマシンブルースを観たら僕も学生時代にタイムスリップした。

既に小説は読んでいたんだけど、劇場版アニメをリアタイで観ることができず、この度ディズニープラスに加入して、ようやく「四畳半タイムマシンブルース」を視聴することができた。

 

 

このアニメは「四畳半神話大系」の続編というか、スピンオフ作品であり、主人公「私」が映画研究サークル「みそぎ」に入会した世界線の出来事が描かれている。

 

ノリとしてはいつもの四畳半メンバーが集まって、ドタバタコメディを繰り広げ、「私」が小津に振り回されながらも、最終的には明石さんと良い感じになり、「成就した恋ほど語るに値しないものはない」という定番のセリフで終わる。要するに、いつもの四畳半だ。

 

ただし、タイムマシンというギミックを用いたレトリックが随所に散りばめられており、純文学・哲学的な要素の強い本編よりも、エンタメに振り切った感じがする。特に、「私」と明石さんの恋愛にフォーカスが当てられているため、明石さんが好きな人ならたぶん満足できる内容になっていると思う。

(要するに明石さんの出番が多い)

 

ちなみに、僕は「四畳半神話大系」以外の森見作品はあまり好きではなく、初めて読んだ「夜は短し歩けよ乙女」は、ファンタジー色が強すぎて受け付けなかった。現実離れした「黒髪の乙女」よりも、現実にいそうな「明石さん」の方が好印象なのはそういう理由だと思う。

 

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僕が四畳半神話大系に惹かれるのは、何を隠そう僕自身が京都で大学生をやっていたからである。

 

森見登美彦は、京都という街を摩訶不思議な空間として描くことが多いが、僕には何となくこの感覚が分かる。あの街は、市街地エリアこそ普通の街だが、少し市街地から離れると、嵐山の鈴虫寺みたいな浮世離れした空間が突如として現れる。要するに、現実とファンタジーが入り混じった不思議なエリアなのだ。

それゆえに、森見文学が「マジックリアリズム」と位置づけられるのも納得である。言うまでもなく、京都がリアリズムとファンタジーの狭間にあるからに他ならない。

 

そして、この感性に惹きつけられるように、同じサブカル系のアーティストが森見作品の脇を固めるのも決して偶然ではない。楽曲はアジカン、キャラデザは中村佑介、アニメ演出は湯浅政明なんだけど、いずれのアーティストも「マジックリアリズム」的な要素を持っていて、どこかに「現実と虚構の狭間」のような思想・価値観を持っていると僕は感じる。

僕はアジカンも、中村佑介も、湯浅政明も大好きであり、学生時代はまさにアジカンばっかり聞いていたし、中村佑介の初画集「Blue」も発売日に購入するぐらい好きだ。湯浅作品に出会うのは少し後のことだが、四畳半神話大系で衝撃を受けてからは、彼の作品にもよく目を通すようになった。

 

いずれも僕の学生時代の良い思い出であり、四畳半神話大系を観ていると、僕は学生時代にタイムスリップしたような感覚になれる。僕にとっては昔も今も、そしてこれからも特別な作品であり続けるだろう。