箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

伴名錬とSF小説の現在地

伴名錬のSF短編集を読む前の僕は、「伴名錬という人はさぞかし有名なSF作家なんだろう」と思っていた。「SF 小説 おすすめ」といったワードでネット検索すると、決まって伴名錬の作品か、伴名錬のSF小説アンソロジーが検索上位に並んでおり、その事実が僕を確信へと近づけたのだ。だから「なめらかな世界と、その敵」を読む時も、そういう心持だった。

 

 

SF界隈に明るい読者さんであればもうお気づきだろうけど、僕はSF小説をほとんど知らず、没頭したこともない。子どもの時に星新一ショートショートを読んで以来、まともにSF小説を読んだことがないと思う。強いて言うなら、SF小説原作のアニメや映画を観るぐらいだろうか。

だから、伴名錬のことを詳しく調べていくうちに僕はSF界隈の知識の乏しさに早速直面した。伴名錬が有名なSF作家さんなのは間違いないのだけど、それは僕の想像する大御所作家とはかけ離れていたからだ。

 

伴名錬は、1988年生まれであり、大学在学中の2010年に角川書店主催の第17回日本ホラー小説大賞を受賞し、同年にデビューを果たしている。しかし、その後、2019年に「なめらかな世界と、その敵」を刊行するまでの9年間にわたって、ほとんど表舞台には姿を見せず、同人誌に作品を発表していたという。それこそSF小説に精通しているコアなファンのみぞ知る「幻のSF作家」だったのだ。

 

僕は、このような伴名錬の今日に至るまでの苦労に思いを馳せて、文壇に限らず、物語コンテンツ業界において、いかにSFが冷遇されているかを思い知った。

 

***

 

筒井康隆が「士農工商SF小説」と自嘲するぐらいSF小説は長年にわたって文壇から無視され続けていた。SF界隈では伝説的な作家である星新一でさえも、一度も著名な文学賞を受賞していない。直木賞の候補に上がるぐらいには文芸と認められている節もあったけれど、審査員から「人間が書けていない」と酷評されたという。

 

翻って伴名錬について。伴名錬が初受賞を果たしたのが「ホラー小説大賞」だったのは、その当時、SF小説の新人賞が無かったからであり、9年間にもわたって表舞台に姿を見せなかったのは、担当編集者に企画を送っても反応がなく、連絡が取れなくなったからだと氏は語っている。それぐらいSF小説は居場所がなかった。

「なめらかな世界と、その敵」に収録されている短編「ホーリーアイアンメイデン」は、いかにも太宰的(耽美的)な書簡形式で綴られており、SFの枠を超えた文芸作品を書きたい、SFというジャンルをもっと周知させたいという氏の意志の現れではないかと僕は感じている。ちなみに、僕は氏の短編集の中でこの作品が一番好きだ。

 

***

 

たぶん、SF小説が隆盛を極めていた頃、世の中には科学オタクが溢れかえり、ロボットやらタイムマシンやらポストアポカリプスやら、そういうマニアックなものを好んで享受する人種がたくさん居たと想像する。70年代・80年代のアニメや漫画を見ていれば何となく分かる。

 

だけど、いつしかそういうマニアックな層は居なくなってしまい、SF的な要素は、ラノベなどの大衆文学の中に取り込まれ、現代人の感覚に合うようにカスタマイズされていった。その結果、SF要素を全面に押し出した作品(スペオペなど)は鳴りを潜めるようになる。

例えば、過去改変をテーマにした「シュタインズ・ゲート」、並行世界をテーマにした「四畳半神話大系」などは、SF要素を含みつつも、現代日本を舞台にした若者たちの群像劇を描いているという点で、多くの読者の共感を生むことに成功した。SF作品は、こういう大衆向けのラノベに集約されていき、純粋な意味でのSF小説は衰退していった…と僕は考えている。

 

そういう観点から見たときに、伴名錬は、純粋な意味でのSF小説をもう一度現代社会に復興させたいと考えているように見える。漫画家の赤坂アカが表紙イラストを担当しているのも、現代人との距離を縮めたいからではなかろうか。邪推かもしれないが。

僕は、自分自身の好みで言えば、ラノベよりも伴名氏が描くSF小説の方が好きだし、これをきっかけにSF小説を読んでみたいと思えるようになった。