箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

【ストーリーは重要ではない?】漫画と映画の着眼点の違いについて

僕がよく参考にさせて頂いている「佐渡島チャンネルさん(元モーニング編集部)」に、以下の動画がある。

 

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この動画は、青年誌と少年誌の両方を経験したことのある稀有なキャリアをお持ちの村松さんという編集者が、青年誌と少年誌の違いを語っており、「キャラの位置付け」や「購買動機」といった点に違いがあると指摘しつつ、青年誌と少年誌における優先順位を以下のようにまとめている。

 

少年誌:①キャラ>②企画>③テーマ>④ストーリー

青年誌:①テーマ>②企画>③キャラ>④ストーリー

 

ここで着目したいのはストーリーの位置付けであり、村松さん曰く、少年誌・青年誌のいずれにおいても、ストーリーの優先順位が一番低いという。これは、ストーリーを一番重視しがちな新人作家にとっては身につまされる話だ。

 

そして、僕はこの話を聞いた時、これは漫画と映画の違いでもあるのではないかと感じた。今日はそんな話をツラツラと書いてみたい。

 

漫画と映画の着眼点の違い

「SAVE THE CATの法則」といった映画脚本に関する指南書には、「物語の構成を15個のシーンに分解しろ」・・・といったテクニックが書かれている。これらの内容は、一見すると「なるほど」と思わなくもないが、三幕構成やブレイク・スナイダー・ビート・シートといった物語構成に関する考え方は、ぶっちゃけ2時間前後の時間的な尺が与えられている映画だからこそ効果的なのであって、せいぜい3〜40ページ程度で話をまとめなければならない漫画には当てはまらないのではないかとずっと思ってきた。

 

実際のところ、連載漫画だろうが、読み切り漫画だろうが、その各話において、そんなにたくさんのことは起こらない。ページや紙幅の関係上、「序盤に伏線を張り、それを後半に回収して大どんでん返しをぶちかます」みたいな映画的な演出はどうしても取りづらいのだ(長期連載を通して、伏線を回収することはあるだろうが)。

例えば、僕が最近読んだ「チ。-地球の運動について-」や「あかね噺」といった作品においても、その第1話において、それほど多くの出来事は起こっていないし、物語自体は非常にシンプルなものであることが分かる。前者は「天動説を信じている少年が、地動説を研究している者と出会って、地動説の話を聞く」というシンプルな流れだし、後者は「落語家の真打を目指している父親の姿を見て育った少女が、師匠に破門されて落語家の道を閉ざされてしまった父親に代わり、落語家を目指す」という王道の展開である。シーンに分解してみても、そんなにたくさんのシーンはない。

 

それでも、これらの作品が「面白い」と感じるのは、とんでもない展開が起こっているからではなく、キャラやテーマが丁寧に掘り下げられているからに他ならない。これは、他の漫画作品でも全く同じである。

要するに、映画が「奇想天外なストーリーで観客を楽しませよう」としているのに対して、漫画は「キャラやテーマを掘り下げ、キャラの考え方や立場の変化を見せることで読者を楽しませよう」としている点に違いがある。そもそもの着眼点が違うのだ。

 

こういう風に考えれば、村松さんの指摘も合点がいく。最初からストーリーありきで考えるのは映画のような作り方であって、漫画では、まず最初にキャラやテーマ・企画を考えなければならず、それを掘り下げていったものがストーリーなのだという理解が前提にあるのではないだろうか。

つまり、「ストーリーが重要ではない」と言ってるのではなく、「キャラやテーマを掘り下げていけば自然と面白いストーリーになる」と言ってるのではないかと僕は解釈している。

 

こねくり回すな!掘り下げろ!

だが、映画を見て育ち、映画をこよなく愛する僕からすると、ストーリーや展開の面白さにどうしても目が行ってしまう。

 

例えば、「火星探索をしているNASAの隊員が大嵐に巻き込まれて宇宙船を失う」といったストーリーがあったとすると、「大嵐に巻き込まれる」とか「宇宙船を失う」といった展開ばかりに目がいってしまい、そこを面白いと思ってしまう。僕はそういう性分なのだ。

(こういうのは、アニメ映画監督や演出家にありがちな話だと勝手に思っており、僕が好きなアニメ映画監督の湯浅政明監督も「展開や演出ばかりに目がいく」と語っている)

 

しかし、漫画的な面白さの話をすると、そういった出来事に巻き込まれた登場人物の「人間性」を見せないといけない。例えば、「何とか頑張って宇宙船を修理しようと試みる」とか、「宇宙船が壊れたのを仲間のせいにする」といったエピソードを描くことによって、キャラクターの本性をえぐり出そうとするわけだ。これがキャラを掘り下げる・・ということに他ならない。

つまり、「大嵐に巻き込まれる」とか「宇宙船が壊れる」といった出来事・展開は、キャラクターの人間性をえぐり出すための舞台装置の一つに過ぎず、それ自体は物語の目的ではないし、面白さの本質ではない。どこまでいっても、人間性とかテーマといった本質的なものを追求しろということだ。

 

僕はこれらのことを「(ストーリーや展開を)こねくり回すな!(キャラの人間性やテーマを)掘り下げろ!」という教訓にしたためて、胸に刻んでいる。