箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

画力オバケだらけになってしまった商業漫画界について(個人活動の考察)

僕が子どもの頃は、150キロを超えるスピードボールを投げられるピッチャーなんてほぼ皆無であり、それこそ伊良部投手(元ロッテ・阪神など)か、山口和男投手(元オリックス)ぐらいしか居なかったように記憶している(もう少し時代を遡るなら、中日の与田投手なども居たが)。

 

オリックスが近鉄バッファローズと合併する前の時代に、グリーンスタジアム神戸(現ほっともっとスタジアム神戸)で山口投手の直球を生で見たことがあるんだけど、電光掲示板に「150」と表示されるたびに、胸が高鳴ったのを昨日のことのように思い出す。

 

そして、そういう状況は10年ぐらい前まではほぼ同じであり、日本のプロ野球界において、150キロを超える直球を投げるピッチャーはそんなに居なかった。だからこそ「150キロを投げられたら凄い」という風潮も存在したし、松坂大輔投手、五十嵐亮太投手、藤川球児投手、ダルビッシュ有投手といった150キロ以上の豪速球を投げられるピッチャーに注目が集まったのも自然の流れだったと言える。

 

しかし、ここ数年で日本プロ野球界の「常識」や「スピードの基準」は明らかに変化した。「150キロを投げられて当たり前」という世界に突入したのだ。

 

1軍で投げるピッチャーは平気で150キロを超えるボールをバンバン投げるし、聞くところによると、福岡ソフトバンクホークスでは、1軍に昇格するための条件が「150キロを投げられること」らしい。

いや、というか、150キロどころか、160キロを投げるピッチャーも出てきており、ロサンゼルス・ドジャースで大活躍中の大谷翔平選手を筆頭に、ニューヨーク・メッツの藤浪投手、千葉ロッテの佐々木朗希投手、西武の平良投手、オリックスの山下舜平大投手など、160キロを投げられるピッチャーが続々と出てきている。

 

その結果、「150キロ」と球速表示されても、全く驚かなくなってしまった。近年における「150キロの希少価値」は確実に下がっているのだ。

 

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なんで急に野球の話をしたかと言うと、漫画・イラスト界隈でも全く同じことが起こっているからだ。

 

昔は、画力の高い作家は一部しかおらず、それ以外の作家との明確な「格差」が存在した。「神」と崇められる作家がいる一方で、そんなに絵の上手くない作家もちゃんと存在したのが昔の漫画・イラスト業界だった。

 

ただし、その格差はあくまでも「画力」の話であり、「売れる・売れない」とは関係がない。言うなれば、画力の高くない作家でも「唯一無二の個性」をアピールすることで大ヒット作を生み出し、漫画界で生き残っていった例が数多くある。

例えば、「クレヨンしんちゃん」を描かれている臼井儀人先生はまさにそのパターンであり、臼井先生は画力こそ高くはないが、「野原しんのすけ」という唯一無二の強烈なキャラクターを描くことで漫画界の荒波を生き抜いていった。

 

昔の野球界でたとえるなら、星野伸之投手(元オリックス・阪神)のような存在と言えば分かりやすいかもしれない。星野投手の直球は最高でも130キロぐらいしか出ないが、100キロ未満のスローカーブを巧みに操り、「緩急」という唯一無二の個性でプロ野球という荒波を生き抜いていった。境遇としては同じだと僕は思っている。

 

要するに、少なくとも2〜30年前の漫画・イラスト界隈は、山口投手のように150キロを投げられる神作家(今で言う「神絵師」)がいる一方で、星野投手のように130キロぐらいしか球速が出ない変則的な作家もちゃんといて、両者が共存している世界だった。

 

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しかし、現在の漫画・イラスト界隈は違う。

 

ここ十数年で画力の平均レベルは爆上がりし、プロの作家としてデビューできる最低ラインは物凄く高くなった。それこそ、「上手い絵が描けて当たり前(150キロを投げられて当たり前)」という世界になったのだ。

 

だから、最近の商業誌で見かける漫画はどれもこれも絵が上手い。プロの第一線で活躍されている有名作家はもちろんのこと、「本当にこれが初連載作品なの?」と驚く新人作家さんもたくさんいる。

例えば、マガジンで連載中の「ガチアクタ」を初めて読んだとき、これが裏那先生の初連載作品だと知って衝撃を受けた。当たり前のように「神作家レベルの絵」を描いていたからだ。

 

イラスト界隈も同じである。SNSで見かけるイラストはどれもこれも上手い絵ばかりで、フォロワー数がそれほど多くない人でも、当たり前のようにプロ級のイラストを描く。たぶん、漫画業界以上にイラストレーターは飽和状態に達しているのかもしれない。

 

つまり、現在の漫画・イラスト界隈は、昔の山口和男投手のようなピッチャーがゴロゴロ居るような世界になってしまった。「1軍でプロデビューしたいなら、最低でも150キロを投げないと厳しい」と言ってるのと同じで、漫画・イラスト界隈でも、「昔の神絵師レベルが、プロとしてやっていくための現在の最低水準」という感じになってきているように感じる。

 

まさに「150キロを見ても驚かない世界」が眼の前にあるのだ。

 

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なんで、こんなにもレベルが上がったかと言うと、言うまでもないが、SNSなどを通じて簡単に情報共有できる時代になったからだ。野球の技術にしても、昔だったら、強豪校に行くとか、元プロ野球選手からコーチングを受けるとか、野球技術を向上させる手段は極めて限定的だったが、今はYoutubeに野球の専門チャンネルがたくさんあり、プロのピッチャーやバッターの動作解析情報が簡単に手に入る。しかも無料で、だ。

 

漫画・イラストも全く同じで、Youtubeには漫画・イラストの専門チャンネルがそれこそ星の数ほどあり、いろんな人が絵を描くためのノウハウを無料で公開している。昔みたいに、美大に行くとか、絵画教室に通うとか、プロの漫画家の元でアシスタントをするとか、そういう特殊な環境じゃないと手に入らなかった情報が簡単に手に入る時代になった。画力の平均レベルが上がるのも当然である。

 

ただ、それは今日の本題とは違うので、脇に置いとこう。

 

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少し話題を変える。

 

僕は、松村上久郎さんというイラストレーターの絵柄が結構好きで、氏が描くごちゃごちゃとした世界観に一時期めちゃくちゃハマっており、氏が執筆した「ごちゃごちゃした世界の描き方」という電子書籍を購入させてもらったこともある。

matsumura.booth.pm

 

松村さんは、イラストだけでなく、漫画制作、ノウハウ本の販売、Youtubeチャンネルの運営など、幅広く活動されているクリエイターであり、最近は画集も発売されたらしい。

 

 

なんで急に、松村さんの話を持ち出したかと言うと、画力オバケだらけになってしまった商業漫画界でメンタルを消耗しながら汲々と漫画を描くよりも、松村さんのように、自分だけのコミュニティを作り、自分の作品を好きになってくれるコアなファンを増やしながら、そのファン向けにコンテンツを販売していく方が、これからの漫画クリエイターの生き方として理に適っていると思うからだ。

 

要するに、大谷翔平選手のような大天才(万人受けする画力オバケ)は別だとしても、星野伸之投手のような変則的でニッチな作品を描く人は、150キロ以上の速球を投げることを求められる商業漫画界で、ほぼ確実に編集者に絵柄・作風を矯正されながら描くことになる(自分の個性・魅力を消されて平均化されてしまう)。

そんな憂き目に遭うぐらいだったら、自分の作品を好きになってくれるニッチなファンを自力で獲得しに行った方が絶対に良い。たとえそれが、現在の商業漫画のトレンドから外れていようが、自分の作品を好きだと言ってくれるコアなファンに刺さればそれで良いからだ。

 

実際のところ、松村さんの作風は、現在の商業漫画界のトレンドとは違うし、画力が高いタイプでもない。失礼ながら、めちゃくちゃバズる作風ではないと思う。

例えば、「気になってる人が男じゃなかった」がバズりまくっている新井すみこさんは、画力も高く、絵柄も今風であり、X(旧Twitter)でのフォロワー数が100万人を超える "オバケ" だが、松村さんは明らかにそういうタイプではない。

 

たぶん、新井さんなら商業誌でも余裕でやっていけると思うけども、松村さんが商業誌に挑戦したとすると、絵柄・作風はそれなりに矯正されると思う。そう考えるなら、Youtubeで15万人登録者、Xで2.5万人のフォロワーを獲得した現在の戦略は絶対に正しいといえる。何度も言うが、そのフォロワーにさえ刺さればいいからだ。

 

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実のところ、僕は、松村さんのようなやり方が自分に合っているような気もしていて、10万人に面白いと言ってもらえる大衆的な作品を描くことよりも、100人のコアなファンに面白いと言ってもらえるニッチな作品を描く方が性に合っているんじゃないかと思ったりもする。

 

もちろん、今は「大衆的」だの「ニッチ」だの、そんな偉そうなことを言えるほどの実力がないし、そんなことを言ってる暇があったら、もっと練習しろって話なんだけど、画力オバケだらけになってしまい、皆が皆、150キロ以上の豪速球ばかりを投げるようになってしまった現在の漫画・イラスト界を見ていると、星野伸之投手のような奴が居ても良いんじゃねえの?と思ってしまうのも事実だ。

(そういう個性派作家はもちろん居るし、漫画業界がそういう可能性を否定しているわけではないのは分かっている)

 

なんていうか、商業誌応募用に漫画を描くたびに同じことを考えているような気もする。トレンドとか意識せずに自由に描きてえなーとか。