箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

作品の出発点と読者が食べたいもの

さてさて、今日もブログを書いていこう。

 

ぶっちゃけ全くと言っていいほど練習が捗っておらず、次の作品のイメージも湧いてこないので、その鬱屈とした感情を吐き出すためにブログを利用させてもらっている。

 

なんていうか、自分が描きたい絵とか、テーマとか、ジャンルとか、ちゃんと決まっているようで、あんまり決まってない状況であり、今のところ、「僕が描きたいものはコレ!」っていう確たる方向性も特に無い。

このブログでも過去に何度か触れたように、僕には、異常なまでにこだわってしまう癖(へき)もなければ、描きたいモチーフも決まっていないし、「僕らしさ」という目立った個性もない。

 

だから、描くたびにコロコロと絵柄も変わってしまうし、それまではシンプルなデフォルメ絵が好きだったのに、昨年の8月頃は「線を簡素化してシンプルに描くのが良くない」と思っていたらしい。

 

実際、僕はその後の模写練習を経て、裏那先生のような細かい描き込みがなされた絵柄を目指してみたものの、今回でその絵柄の限界を感じてしまい、再びキャラを記号化した絵に戻そうと思ったりしている。絵柄については、あっちに行ったり、こっちに行ったり、文字通りコロコロとスタンスが変化し続けている。

 

まだまだ自分は下手なので、絵柄とか個性とか言ってられるレベルじゃないし、描くたびに絵柄が変わるのは、ジャンルや作品の雰囲気を意識的に変えていることが根底にあるので、新しい作品やジャンルに挑戦するという意味でいえば、絵柄が変わってしまうこと自体が悪いとは思っていない。

 

だけど、いつになったら、「これが俺の漫画だ!」と胸を張れるのだろうか。今回の作品にそれがあったかと言われると、満足している部分もあるものの、到底そこまでの水準には達していない。「まだまだ未熟だな・・・」と感じてしまっているのが本音だ。

僕が満足できるのは次なのか、その次なのか、はたまたその次なのか。一歩ずつ進んでいくしかないけど、なかなかガッチリと歯車が噛み合うことがない。クリエイティブとはかくも厳しい世界なんだなと思う。

 

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あるいは、僕の中でひとつだけ思っていることがあり、「コメディに振り切った作品」を描かなかったことが、絵柄不安定の原因ではないかと思ったりもしている。

 

と言うのも、今までの僕は、「こういう絵が描きたい」というイメージからスタートして、作品のストーリーを膨らませていくことが多く、そうすると、どうしても「シリアスで真面目な物語」になりがちだった。僕は漫画よりも映画の方が摂取量が多かったので、映画みたいなカッコいいカメラアングルで描くことを考えてしまうし、内容としても映画みたいに起承転結がしっかりとしたストーリーを真面目に考えてしまうのだ。

 

そうすると、漫画に求められている「コミカルさ」がどんどん無くなっていき、映画のようなリアリティを必要とする作品にどんどん偏っていく。もし仮に、僕にそのリアリティを表現するだけの画力があったならば、ちゃんと作品として成立していたかもしれないが、それだけの画力が僕には無かったので、上手く表現することができず、ずーっとミスマッチが生じていた・・・ということなのかもしれない。

 

要するに、「こういう絵が描きたい」とか、「こういうカメラアングルにしたい」とか、そういった僕の美意識を起点にするのではなく、最初から「コメディを描く」とジャンルを決めて、それに合った絵を模索する方が実は良いのかもしれない。

今回の作品では、意識的に「コミカルな場面」を描こうと気を付けていたんだけど、結局、最終的には「真面目な物語」に収束していったので、次回作については、「最初から最後までコメディを貫く」と心に決めて描いてみようと思っている。

(シリアスな作風からコメディ漫画に転向した遠藤達哉先生も、「シリアス禁止」と自分に言い聞かせながら描かれているらしい)

 

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あと、もうひとつ、僕には信念というかプライドみたいなものがあって、「他人と作風が被りたくない」という愚かな執着心がある。だから、意識的に変わったものを描こうとしており、これが作品を複雑なものにして、読む人の感情移入を妨げている元凶なのかもしれない。

 

心配しなくても、自分の作品は自分にしか描けないし、他人と同じ作品になることはない。だから、「他人と違うものを描く」と強く意識する必要なんて、本当はどこにもない。個性なんて勝手に出てくるからだ。

 

また、読者が求めているものは「ちょっと違うもの」であり、「見たことも聞いたこともないような全く新しいもの」を必ずしも求めているわけではない。

例えば、お店に食べに行って、どこの国の料理か分からない謎のシチューが出てきたら、客としても困惑するだけである。それがめちゃくちゃ美味ければ問題ないが、たいていは「微妙な味」なので、「欲しいのはこれじゃない」と思われて終わりである。

 

多くの読者が求めているのは「カレー」とか「焼き肉」とか「お寿司」とかであり、今まで食べてきたカレーとは少し違うカレーが食べたいだけなのだ。ちょっと変わった具材が入ってるとか、半分カレーで半分ハヤシライスとかね。そういうのを見て、「おっ、新しいメニューじゃん♫」と喜ぶわけだ。間違っても、どこの国の料理か分からない謎のシチューを食べたいわけではない。この点を勘違いしてはならない。

 

だから、次に描く作品は、明確に「この作品を意識しました」という元ネタが必要だし、読む人からしても、「この人は◯◯先生のような作品が描きたいんだな」とか「△△先生と同じジャンルを描いてるんだな」と分かるものにしなければならない。ある意味で、そういう部分での我を捨てる必要はある。

 

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以上を一言でまとめると、「我を捨ててコメディを描く」・・・である。それ以外は余計なことを考えない。