箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

「マンガ脚本概論」は物語を作る人にとって一番大切なことを伝えている。

世の中は、数多の脚本指南書で溢れかえっている。大きな書店に行けば、必ずシナリオ制作に関するコーナーがあって、そこには花屋の店先に並んだ色とりどりの綺麗な花のように、「物語とはこう書くんだよ」と訴えかける本がズラリと並んでいる。

 

物語創作に関わる誰しもが、一度はこういった類の指南書を手に取って読んだことがあるはずであり、「SAVE THE CATの法則」とか「感情から書く脚本術」あたりは読んだ人も多いだろう。

これらの脚本指南書は、漫画で言えば「鬼滅の刃」とか「呪術廻戦」みたいなもので、もし読んだことがない人がいたら、「え!?読んだことないの!!?」と、変人を見るような目で蔑まれること間違いなしだ。

(すまない。嘘だ)

 

そのような脚本指南書の中に、「神童」などの作品で有名な漫画家・さそうあきら先生が執筆した「マンガ脚本概論」がある。

 

 

僕は、ぶっちゃけた話をすると、漫画家を目指している人であれば、「SAVE THE CATの法則」よりも、こちらの著書のほうが参考になると感じている。そもそも、映画脚本と漫画脚本を比較すること自体がおかしいじゃないかと思うかもしれないが、そういう問題ではなく、さそう先生はもっと本質的な話をされているように感じるのだ。

 

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本書の冒頭、さそう先生は「面白いとは何か」という問いに対して、「共感」と「新しさ」と回答する。これ自体は普通の回答であり、他の人と同じ意見だろう。

 

・・・しかし、

ここから多くの脚本術の指南書が「構成」の話をするのに対して、さそう先生は「イデア」の話を展開する。つまり、「共感」と「新しさ」を含んだ「面白さ」とは、物語の型(構成)ではなく、その人のアイデアの中にあると言ってるのだ。

 

これは当たり前の話のように見えて、全然当たり前の話ではない。と言うのも、誰も「アイデアが一番大事だよ」という当たり前の話をしないからだ。当たり前すぎて説明を省略しているのか、あるいは、誰も「アイデア」を伝えられないからか、いずれにせよ、そういう一番大事な話をすっ飛ばして、「こういう構成(テンプレ)で書け」という話に終始したがる。

そして、この毒牙にかかってしまった初心者は、サンタクロースの存在を信じている純粋無垢な子どものように、「物語の型にはめて書けば面白い話になるんだ」と信じて、ありきたりなテンプレ作品を生み出していく。つまり、世の中の多くのテンプレ作品は、物語の型(構成)にはまっていることに問題があるのではなく、イデアが平凡なことに問題がある

 

しかし、さそう先生は、ちゃんと冒頭において「アイデアが大事」と伝えているし、アイデアの出し方について紙幅を割いて指南している。「平凡なアイデアが新しい発想を邪魔している」というクリエイターの苦悩にも触れている。

要するに、「平凡なアイデアをくぐり抜けた先に、面白い物語があるし、そこにたどり着くためには苦しまなくてはならない」という、本来最初に伝えなければならない漫画家としてのあるべき姿を提示しているのだ。

 

この点において、本書は他の脚本指南書と一線を画している。

 

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個人的には、「アイデア」が全てとまでは言わないまでも、構成とかテンプレといった「型」よりも遥かに重要なものであることは間違いないと確信している。

 

結局のところ、面白い話というのは、キャラとエピソードのアイデアの集積でしかない。一番重要なのはそういうアイデアを出せるかどうか・・という1点である。

もし仮に、「とんでもなく面白いキャラクター」とか「とんでもなく面白いエピソード」のアイデアを捻り出せたのであれば、構成なんて適当でも物語としては面白くなるに決まっている。

それが証拠に、プロの手によって編集されておらず、全く構成が考えられていないインディーズ漫画なのに、とんでもなく面白い作品というのは少なからず存在する。それは、登場するキャラや個々のエピソードのアイデアが秀逸だからに他ならない。その作家さんはそういうアイデアを捻り出せたのだ。

 

だとしたら、漫画創作者が目指すべきことは、物語の型にこだわることではなく、面白いキャラや面白いエピソードのアイデアを捻り出すことである。

そして、さそう先生は、そういったアイデアを捻り出すために、「ものの見方を変えろ」と言い、「よいマンガはそれを読んだ人のものの見方を変える」と主張する。フィクションを作る人の目標はそこにある、と。

 

この意見について、物語創作の本質を突いているなーと僕は思う。と言うのも、他の人と同じ視点で物事を見ている限り、そのアイデアは平凡なものになってしまう。他の人も同じことを感じているからだ。ということは、平凡を脱するためには他の人と視点・視座を変えなければならない

そして、視点・視座を変えたことによって新しく見えたものを「俺は(私は)こう見えたぜ」と読者に伝える。それが既存の価値観と相俟って「共感」を生み、独自の視点であるがゆえに「新しさ」へと繋がって、最終的に「面白い」と感じさせるんだろう。新しいものの見方を伝え、その人のものの見方を変えるというのはそういうことだと僕は解釈している。