箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

「マガデミー賞」から学ぶ現代における漫画のキャラクター像について。

漫画のキャラクターを表彰する「マガデミー賞」なるものがあることをご存知だろうか(ちなみに、僕は最近知った)。

 

この賞は、漫画作品を表彰するのではなく、その作品の中に出てくるキャラクターを表彰するという変わった企画であり、2021年に創設されたものらしい。ちなみに、昨年2022年度の受賞キャラクターは以下のラインナップとなっている。

booklive.jp

 

僕のイチオシである裏那先生の「ガチアクタ」から主人公ルドがノミネートされており、見事に新人賞を受賞しているのは素直に嬉しい。

 

・・・が、しかし。過去にノミネートされたキャラクターの出版元を見てみると、講談社、小学館、秋田書店、白泉社といった大手出版社が名前を連ねる中で、集英社が見当たらない。

そのため、ジャンプ系列の作品からは1人もノミネートされておらず、アーニャ、五条悟、竈門炭治郎、マキマ、王騎…等々、「このキャラがノミネートされていないのはおかしいだろ!」とツッコみたくなるラインナップになっている。

 

ちなみに、一般公募条件を見てみると、別に集英社の作品のキャラは推薦できないといった制約があるわけでもなく、何か恣意的な集票がなされているか、あるいは、大人の事情によってジャンプのキャラを載せられないのか、そういう見えない圧力を感じてしまう(おっと、こんな時間に誰か来たようだ・・・)。

 

・・・まあ、というわけで、どこまで参考にすべきなのか若干疑問の余地は残るものの、最近ウケているキャラクターの傾向として、それなりに参考になる部分もあると思うので、少し中身の分析的なものをしてみる。

 

***

 

で、早速なんだが、受賞キャラの属性や性格がバラバラであるため、この受賞内容をどのように評価すべきなのか、人によって着眼点や結論が微妙に違う。

 

例えば、以下の記事を見てほしい。

 

www.oricon.co.jp

この記事では、読者が共感を覚えるポイントが時代とともに変化しており、かつては超人的な才能を持った主人公が、その才能を開花させながら活躍していくところに共感を覚えていた読者が多いのに対して、近年の読者は地道に泥臭い努力を重ねる「リアルな人間性」に共感を覚えるとしている。

 

以前のスポコン漫画といえば、主人公にもともとの才能や血筋があったり、ある日突然に才能が開花したりして活躍する物語が多かったように思います。それが今の時代では、超人級のキャラクターというよりも、リアルな人間性を持ったキャラクターに支持が集まっているようです。自分を信じるためにどう努力するかという姿が描かれていて、主人公は“努力する”という才能を持っているんです。

 

ブルーロックの潔は、自分の持っている武器を見定めて、それをどう活かすのかを考えて努力するタイプの主人公だし、メダリストの結束いのりは、フィギュアスケートを通して「自分らしく生きたい」と願う等身大の主人公であり、誰か(敵)を倒すというよりは、自分の弱さと向き合って、それを克服しようと努力する姿に共感が集まっていると分析している。

 

その一方で、以下の記事は少し違う視点を持っている。

 

www.hokkoku.co.jp

最近の漫画は、かつての漫画のように圧倒的なスターがおらず、作品やキャラクターが多様化していると前置きした上で、紙媒体が主流だった時代に比べて、電子漫画が主流となった現代は、スキマ時間にサクッと手軽に読めるようになったため、分かりやすくて、展開の早い作品を好む人たちが増えてきたという。

 

趣味の分野においてもタイムパフォーマンスが重視される昨今、漫画にもスピード感が求められ、結末がどうなるか分からないハラハラ感よりも、予定調和な安心感が得られる作品が多い。

 

そのうえで、理想とされるキャラクター像についても、読者に努力を押し付けるのではなく、途中経過をすっ飛ばして、どんどんサクセスしていく姿(結果)を早く見たいというニーズが増えたという。主演男優賞を受賞したBLUE GIANT EXPLORERの宮本大もまさにそうだと。

 

友情・努力・勝利のような王道も人気は変わらずありますが、例えば、今春映画化され話題となった『BLUE GIANT EXPLORER』の宮本大は、サックスをめちゃくちゃ練習しているはずですが、暑苦しい修行シーンとしては描かれていない。コミック界全体的に努力の押し付けが消え、どんどんサクセスしていく姿を見たい、結果を早く見たいといった読者のニーズに沿った展開が多くなった印象です。

 

こういう感じで、「自分なりに泥臭く努力している姿が共感されている」とか、「泥臭い努力をすっ飛ばして、成長した姿だけを見せているのがウケている」とか、人によって言うことが微妙に違う。

 

***

 

というか、これらの記事にひとつ反論すると、僕は「友情・努力・勝利」を基本理念に掲げるジャンプ作品の主人公も含めて考えるのであれば、「天賦の才能を持った超人型の主人公」は未だに根強い人気はあるだろうし、これを考慮に入れないのはどうかと思う。

 

ちなみに、2020年時点のデータになってしまうが、講談社発行の主要5雑誌(週刊少年マガジン、月刊少年マガジン、週刊ヤングマガジン、モーニング、イブニング)の全ての発行部数を合わせても、週刊少年ジャンプの発行部数に及ばない。年々発行部数が減少の一途をたどるジャンプでも、その影響力は他誌の追随を許さないほどに強大なのだ。

 

例えば、ヒロアカの緑谷出久は、ワンフォーオールという超人的な個性を受け継ぎ、その才能を努力によって開花させていくという王道タイプの主人公だし、あかね噺の桜咲朱音は、落語家の父がいる環境で育ったため、最初の出自からして噺家としての才能を持っている主人公であり、色んな人たちとの触れ合いを通して成長していく王道の展開となっている。

それ以外のジャンプ作品も基本的には同じである。主人公にしかない才能、主人公にしかない能力、主人公にしかないセンス…等々。「この主人公は特別である」という点を全面に押し出すことで、主人公のキャラクターを際立たせている。

(ジャンプの主人公が圧倒的なスター性を持っているのはそれが理由だと思う)

 

なので、「ジャンプ作品の主人公を除外すれば、そりゃそういう結論になるだろうなー」という意図的なものを感じてしまう。

ちなみに、これらの記事では、ガチアクタのルドが一切触れられていないが、ルドは少年漫画に出てくる(典型的な)才能型の主人公であり、「最近は才能型の主人公がウケないんだよな〜」という恣意的な結論を導くために、わざとルドを話題から除外しているように感じる。

 

・・・まあ、その点はいったん置いておこう。

 

つまり、ここまでの話をまとめると、現在の漫画界のキャラクターの図式は、

  1. 「特別な才能を持った主人公が、努力を積み重ねながら成長していく展開」(王道型・ジャンプ型)
  2. 「特別な才能を持たない普通の主人公が、自分なりに泥臭く努力して個性を発揮していく展開」(多様性型)
  3. 「途中経過を見せずに、サクセスしていく姿(結果)だけをテンポ良く見せていく展開」(タイパ型・スピード展開型)

 

・・・この3つに分かれているのではないかと僕は分析した。

 

***

 

まあ、簡単に言うと、漫画に対して、「現実世界では味わうことのできない非リアリティー」を求めているのか、それとも、「自分自身をキャラクターに重ね合わせることが出来るようなリアリティー」を求めているのか、そういう違いに帰結するんだろうと思う。

 

要するに、映画でも、ヒーローものが好きな人がいたり、現実的な人間ドラマが好きな人がいたりするのと理屈は同じであり、これはいつの時代でも変わらない。

なので、キャラクターに対する読者の好みが変わったという意見に対して、僕はそうではなく、ただ単に現代的な悩みを漫画のキャラクターに投影するようになった…と表現する方が適切ではないかと考えている。

 

例えば、これらの記事では、

 

「陰キャだけど皆でバンドやりたい!」とか、

「ゲームが大好き!」とか、

「エロゲーが好きな二次元オタクですけど何か!?」とか、

 

「他人軸に振り回されずに、等身大の願い(悩み)を持った自分らしく生きている主人公がウケている!」と熱弁を振るっているけども、別にそんなの昔から同じである。スラムダンクは、バスケットボールに青春を懸ける等身大の高校生を描いていたし、その時代に合った「悩み」を漫画の主人公は代弁してきた。何も変わらんのだ。

 

その中で、展開が早いとか、テンポよく結果だけを見せていくとか、漫画の描き方は変わってきたと思うけど、人間の普遍的な部分は変わっていないと思うし、いつの時代でもキャラクターの人間性は一緒だろうと僕は思う。

「ドラゴン桜」の著者である三田紀房先生は、高校生を描くにあたって、現代の若者の感覚をどうやって勉強しているのかと尋ねられ、以下のように述べて、「現代の若者を描こう」とはしていないと回答している。

 

現代の若者とか、かつての若者とか、その時代時代の若者像を描こうとするかもしれないけど、僕自身は、あまり人って変わってないと思うんだよね。極端な話をすれば、江戸時代の若者のメンタルもこんな感じ。だから、「現代の若者を描こう」という気持ちは全くないんだよね。

 

www.youtube.com

 

うん。まさにこれだと思う。

 

現代のキャラクター像を分析することも大事だと思うけど、ちゃんと人間性を掘り下げていけば、いつの時代の人にも刺さるのであって、そういう普遍的な部分は何も変わらないし、それを勉強する(自分の中で深めていく)ことの方がよっぽど重要だと思う。

 

今回、マガデミー賞をきっかけとして、キャラクター像について自分なりに考えてみたけど、現時点ではそういう感想かな。今後もキャラについては考えを深めていきたいと思う。