箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

ポリコレや外見至上主義とは関係なくキャラの見た目の多様性を論じたい。

はじめに断っておくと、僕はポリコレにも興味がないし、外見至上主義(ルッキズム)を批判しているグループと意見を共にしているわけでもなく、もちろん、その反対側に位置する世論に与しているわけでもない。今日ここで書き記す内容は、それら世間の思想とは全く関係のない個人的な意見であることを注記しておく。

 

その前提を踏まえて、昨今のコンテンツに対する考え方を述べると、僕は「ゲーム、アニメ、漫画のキャラクターは、見た目がブサイクでも別に良い」と考えており、そういうコンテンツが増えても良いと考えている。

こんなことを言うと、「それはポリコレだ!」と批判されるかもしれないが、僕は「美人が登場するゲームなんてけしからん!全員ブサイクにしろ!」と言ってるわけではない。美人が登場する作品があってもいいし、ブサイクが登場する作品があってもいいと言ってるだけだ。それが本当の多様性だと思うからだ(そういう意味では、部分的にポリコレ派に近い思想があるのかもしれない)。

 

ところが、ポリコレ派にしても、反ポリコレ派にしても、その考え方が行き過ぎているところがあると感じていて、少しでもキャラの見た目が美人に偏ると、ポリコレ派が「性搾取だ!」と声を荒げ、逆に、キャラの見た目がブサイクになると、反ポリコレ派が「ポリコレだ!つまらん!」と憤る。

こういった意見のぶつかり合いの根底には、「◯◯とはかくあるべき」という信念が通底していて、ふつふつとマグマのように煮えたぎった思想の対立は、もはやカトリックとプロテスタントの宗教戦争のようでもある。

 

僕は、こういった意見の対立を見ていて、そこかしこに欺瞞を感じてしまう。なぜなら、お互いに多様性や平等を口に出しつつ、一部の人権や利益ばかりを重視して、その内実として多様性を否定しているからだ。

 

例えば、ポリコレ団体が「リトル・マーメイド」の主役に黒人女性を起用しろと圧力を掛けたのも、原作の主役が白人女性であることを無視した暴挙だと感じる。黒人の地位向上を謳いつつ、白人が主役を務めることの多様性を否定している…といえるからだ。

もちろん、その逆のケースもある。「Horizon Zero Dawn」というゲームの主人公アーロイの見た目は、どちらかといえば美人ではなくブサイクなんだけども、これに対して、反ポリコレ派は「主人公がブサイクなんてありえない!」と声を荒げた(僕が知る限り、そういうネット意見が多かった)。だけど、このゲームには原作が存在せず、主人公の見た目は本来どんな見た目でも良いはずであり、(たとえそれがポリコレ派による圧力だったとしても)そういう外見的な多様性を否定している…といえる。

 

これらの事例は、「主人公は黒人であるべき」「主人公は美人であるべき」という、「かくあるべき論」を振りかざした結果、それとは逆の思想を持つ人達の逆鱗に触れたケースだといえよう。

 

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話を元に戻す。

つまり、僕は「主人公の見た目は美人であるべき」とも思っていないし、「主人公の見た目はブサイクであるべき」とも思っていない。「どちらでも良い」が本来の正解だ。

 

ところが、今は主人公の見た目を美人にしても、ブサイクにしても、その反対意見を持つグループの逆鱗に触れてしまうという地獄絵図みたいになっていて、この点に問題の深刻さが潜んでいるといえる。

 

ただ、以上の議論を踏まえて、敢えてさらに突っ込んだことを言わせてもらうと、日本のアニメ・漫画・ゲーム界隈では「主人公の見た目は美形でなければならない」という外見至上主義に傾倒した勢力が強すぎる…と思わなくもない。

だから、見た目がブサイクなキャラが出てきた時に「ポリコレだ!つまらん!」と憤る人たちに若干の違和感を感じるというか、そういう人たちに対して、「美少女・美少年が登場するアニメ・漫画・ゲームなんて、他にいくらでもあるのだから、見た目を重視するのなら、そういうコンテンツを消費していれば良いじゃないか」と言いたくなってしまう。

 

んで、こういう思想を持っている人に限って、ゲームのような架空世界に限らず、現実世界でも容姿批判を繰り広げる輩が多い。以前スプラトゥーンの大会で優勝した女性ゲーマーの容姿が批判されるという事案があったんだけど、仮にルックスが良くなかったとして、だから何だというのか。理解に苦しむ。

 

jin115.com

 

まあ、結局のところ、ゲームやアニメに対して、何を求めているかによって結論は変わるんだと思う。

「美少女を見て興奮したい」という人からすれば、ゲームやアニメの主人公の見た目がブサイクであることの意味が理解できないだろうし、リアリティを感じたい人からすれば、美少女ばかりの作品に違和感を覚えるだろう。

 

それが性的搾取だとか、マイノリティの人権だとか、政治的意図によってコンテンツの表現の在り方を捻じ曲げようとするから怒りを感じるユーザーが多いわけで、本来は作品の楽しみ方の違いに帰結するはずであり、そういう議論に戻るべきなんだと思う。