箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

「住みやすい街」は自分の物差しで判断したほうが良い。

最近、「住みやすい街とは何か」ということをウダウダと考えている。

 

世間的にも興味関心の高い分野であり、巷間では「どこに家を建てようか」「どのあたりにマンションを買おうか」みたいな不動産購入の話題と相俟って、「住みやすさ」が語られることが多いんじゃないだろうか。たぶん、失敗談みたいなものも含めると毎日のように目にしている議題だと思う。

私ぐらいの年齢になってくると、預貯金を十分に持っている人も多く、不動産資産への関心が自然と高まる…という感じなんだろうな。

 

そういう理由もあってか、「住みやすい街」の判断基準は「不動産投資」「地価」という観点から測られることが多い。例えば、こちらのランキングを見てほしいんだけど、

 

www.aruhi-corp.co.jp

 

こちらは「発展性(駅前の開発)」や「コストパフォーマンス(坪単価)」といった観点から、不動産投資の将来性に言及しているようなランキングであり、「開発が進んでおらず、駅前も寂れていますが、パン屋の軒数は日本一です」みたいな街はひとつも見当たらない。

まあ、要するに、多くの人にとって「不動産価値がある」と判断できるような街こそが「住みやすい街」ということであり、万人が納得できる基準を示せと言われたら、こういうランキングになるんだろうなと思う。

 

だけど、僕は割と本気で「パン屋の軒数が日本一」みたいな街こそが、僕にとっての住みやすい街なんじゃないかと思っていて、自分なりに住みやすさの独自の判断基準のようなものを形成した方が良いと思っている。

だって、いくら資産形成が重要とは言っても、結局のところ、僕たちはヨボヨボのお爺さん・お婆さんになったときに、自分たちが「住みやすい」と思う終の棲家が必要になるわけで、そんな人間の根源的な衣食住に対する欲求を目の前にして、坪単価がいくらだとか、この街の将来的な発展性がどうだとか、はっきり言ってそんなことはどうでも良く、極端なことを言えば、電車も通っていないド田舎にその価値を見出だせるのであれば、それがその人にとっての「住みやすい街」なんだよ。

 

そして、その「住みやすさ」っていうのは、不動産価値のような定量的な数値では言い表すことのできない不確かなものであり、例えば、街の中に川が流れているとか、高低差のある立体的な構造をしているとか、一般的には忌避されるような事情であっても、それが僕にとっては住みやすい街の不可欠の要素になっている。

 

災害の観点からみたときに、川が流れていることがマイナス要素になりえたとしても、川が流れている街は散歩のしやすい自然豊かな街という感じがするし、起伏の少ない平坦な土地に比べて高低差のある土地は、景色にバリエーションが生まれて、街全体が面白い表情をしているという感じがする。これが僕にとっての「住みやすさ」である。

 

それ以外にも、駅前にチェーン店が集中しているよりも街のあちこちに美味しい個人経営のお店が点在している方が嬉しいし、買い物ができる大型ショッピングモールが近くにあるよりも道があまり混雑せずに車の運転しやすい静かな環境の方が好きだ。そういう自分なりに重要視している住みやすさの指標がいくつかある。

 

もし、今後不動産を購入することがあったとしても、僕はそういう数値化できない指標をベースにして住みやすい街を選んでいくし、不動産の資産性といったものを度外視した自分の中の衣食住の満足度を優先していきたいなと思う。