箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

ストーリー漫画のコスパの悪さに辟易したので書き殴ります。

ここ数日間にわたってメンタルの落ち込み方が凄かったけど、ちょっとずつ持ち直してきたので、ここいらで気持ちに区切りをつけるというか、ネガティブ感情をリセットする意味でも、今考えていることをバーっと書き残しておこうと思う。あとで見返した時に、あん時はそんなことを思ってたんだなーと笑い話になったら良いなと願いつつ。

 

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んで、最初に結論から言うと、何かの賞に応募するとか、どこかの編集部に持ち込みに行くとか、誰かの評価を媒介とした創作活動はしばらくやめようかなと思う。今の僕の精神衛生的に、上手くいかなかった時のダメージがデカすぎると判断した。

 

まず、その理由の根底に、ストーリー漫画のコスパが悪すぎるという前提問題があって、最初にここから論じさせてもらうと、商業誌に投稿するような20〜30ページ以上のストーリー漫画を描こうと思ったら、それこそ平気で1ヶ月、2ヶ月と湯水のように時間が融けていくという現実がある。僕が直近描いていた作品も4月からプロットを練り始めたので、アイデア構想期間を含めると3ヶ月以上の期間を費やしている計算になる。

 

恐ろしいのはここから。じゃあ、それだけの時間をかけたのだから、当然作品のクオリティは担保されていますよねって話になりそうだけど、残念ながら全くそんなことはなく、3ヶ月もの期間をかけた作品が「面白くない」の一言で一蹴されることも商業誌の世界では当たり前のように発生する。

僕は過去にそういう経験を何度も繰り返してきており、2ヶ月かけて描いた作品が通りすがりの読者の「おもんない」の一言で終焉したり、3ヶ月近くかけて構想を練った企画が担当者によってボツにされたり、一体これまでの制作期間は何だったんだ…と頭を抱えるような涙ぐましい失敗を積み重ねてきた(中には評価された作品もあるけども)。

 

僕のケースはまだ可愛いもので、人によっては半年かけて描いた作品とか、年単位で準備してきた作品が大コケすることだって余裕で発生する。某投稿サイトでは「半年かけて頑張って描きました」といった作者コメントに相反して、編集者による厳しい批判コメントが書き連ねられていたりする。そういう容赦のないビジネス文言を見るたびに、僕は心がキリッと痛む。

要するに、ストーリー漫画は制作に費やした長い時間が無駄になる可能性(それまでの制作期間が水泡に帰すぐらいの酷評を受ける可能性)をデフォルトで内包しているのだ。

 

・・・僕がストーリー漫画のコスパが悪いと言った所以がここにある。

 

例えば、イラストだったら、基本的には制作時間と作品のクオリティは比例関係にあり、時間をかければかけるほど、作品のクオリティは上がっていくのが普通だし、そのイラストを見た人の満足度も上がっていく。つまり、費やした時間や労力に見合うだけの結果(周囲の評価)が得られやすい。

あるいは、仮に反応が悪かったとしても、自分のイラストの問題点を分析し、その反省を活かして次の作品に取り組んでいくことも容易い。ひとつのイラストを描くのに、せいぜい数日〜数週間程度しか掛からないのが普通であり、短期間でトライアンドエラーを繰り返すことが可能だからだ。そうやって、短期間でイラストの技術も伸びていくし、語弊を恐れずに言うなら、イラスト制作はコスパが良いと言える。時間・労力と結果が釣り合っていると言っても良い。

 

しかし、ストーリー漫画はそうはいかない。どうしても制作期間が長期に及んでしまうため、そんな簡単にトライアンドエラーを繰り返せない。だから、漫画の技術を伸ばそうと思ったら、ある程度の時間を要することを覚悟しなければばらないし、何度も言うように、時間によって面白さが担保されているわけでもなく、制作時間と面白さが比例しない。面白いかどうかは運ゲーなのだ。

つまり、数ヶ月単位で、ウケるかどうか分からない運ゲーをやらされ、ダメだったら、また数ヶ月をかけて同じことを繰り返す。もちろん、その次もウケるかどうか分からない運ゲーである。明らかにストーリー漫画を制作するために費した時間・労力と、それによって得られる結果が見合っていないと言わざるを得ない。

 

ちなみに、これはもう時勢だと割り切るしかないけども、数ヶ月かけて描いたストーリー漫画よりも、SNSにあげられているラクガキのようなショート漫画の方が評価されるということが現在は普通に起こっている。いや、というか、ストーリー漫画はその存在が認知すらされない。誰にも読まれず、誰かに読まれたとしても無反応か、あるいは「面白くない」と批判されて終わりである。一体そんなものを誰が描きたいと思うのか。

 

だからこそ、ストーリー漫画は、その人の中にある「描きたい」という純粋な気持ちが自然と溢れ出してこなければならないと思う。何故なら、そういう人じゃないとストーリー漫画の理不尽さに耐えられないから。ウケようがウケまいが、それを好きで描いてる人じゃないと、数ヶ月かけて描いた漫画が全く評価されませんでした…という現実に打ちのめされ、心がポッキリ折れてしまうことになる。

 

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じゃあ、僕の中にその「描きたい」という純粋な感情があるかと問われると、ぶっちゃけよく分かっていない。必死に探しまくって、「もしかして、コレが描きたいかも…」という微々たる好奇心がポッと湧いているだけであり、普通に考えれば違うんだろうなーと思う。

僕は3月頃に投稿先の媒体を変更しようと決意し、その新たな媒体のことを研究してきたんだけど、その媒体の傾向や特色に合わせて描くとしたらこういう作品が良いんだろうなーと妥協しているだけだ。つまり、今の僕が描こうとしているものは、ベストではなくベターな作品でしかない。

 

そのことを踏まえて、やっぱり自分が描きたいものはこれじゃないんだなーと確信した。そもそもストーリーを考えつくのに3ヶ月もかかっている時点で、「描きたい」という素直な感情が自然と発露したものではなく、めちゃくちゃ打算的な思惑に基づいて描かれたものであることは明らかなのだ。

百歩譲って、そのように打算的に描かれたものが評価されるならまだいい。しかし、評価されなかった時に、たぶん僕は絶望すると思う。妥協した上に、その目論見が外れたとなれば目も当てられない。

 

だから、今の僕に必要なのは、誰かの好みに合わせて描くとか、どこかの媒体の傾向に合わせて描くとか、そういうことではなく、自分の中にある「描きたい」という純粋な感情を探し出し、その感情に基づいて作品を描くことだと思う。ものすごく当たり前のことなんだけど、1周回って原点に帰ってきた感じがする。やっぱり、そういう原初的な表現欲求に基づかない限り、創作活動なんてやってられない。

 

そういう原初的な感情が見つかって、本当に自分が心の底から「描きたいものが見つかった」と思えた時に、改めて商業誌に投稿するなり、賞に応募するなりすればいい。今はそんなふうに思っている。

 

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最後に。

 

さっきも言ったけど、ストーリー漫画は完成させるまでに(場合によっては)数ヶ月のサイクルを要するというネックがあり、トライアンドエラーを容易に繰り返すことが出来ないという弱点がある。

つまり、作品の欠点を指摘されたとしても、それを次の作品に活かすことになるのは数ヶ月先であり、自分の弱点や課題を把握し、それを克服するまでにどうしても時間がかかってしまうのだ。

 

また、商業漫画あるあるとして、企画があまりにも通らないせいで、数ヶ月スパンで原稿制作に取り掛かることができないという問題も発生する。人によっては、ネームばかり描く羽目になって、1年〜2年の長期間にわたってまともにペン入れが出来ないという事態に陥ることだってある。

僕も今回そのことをめちゃくちゃ痛感していて、ネームがなかなか完成しないので、ペン入れや仕上げの工程に進むことが出来ずに、非常にやきもきとした気持ちになった。そういう意味においても、ストーリー漫画を描くことはコスパが悪いんだなと思う。

 

さて、「描きたい」という気持ちを見つけよう。大丈夫。きっと見つかる。もともとそういう気持ちで描いていたし、自分の原初的な動機に回帰するだけだ。たぶんそこにいる。本当の自分が。