箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

ネーム・コマ割りにおける「説明」の入れ方についての考察

この1ヶ月間で、ボツにしたものを含めて80ページほどのネームを描いてきた。ちなみに、過去に描いたネームを振り返ると、ペン入れした完成原稿を含めて、全部で500ページを超えるネームを描いた計算になる。

 

んで、こんだけ描いてようやくほんの少しだけネームやコマ割りのことが分かってきたというか、めちゃくちゃ偉そうかもしれないけど、「あーだからこのやり方はうまくいかないのかぁ」というポイントが自分の中で明確になってきた。もちろん未だに「正解」は分からんのだけど、「不正解」だけは少し分かるというか。

それを一言で表すと、「説明」の入れ方でネームの良し悪しが大きく変わるということになると思う。これを日々痛感している。

 

確か、漫画家の山田玲司先生がYoutubeで紹介していた話だったと思うんだけど、漫画の神様と呼ばれる手塚治虫先生が口酸っぱく言ってたのが、「説明するな」ということだったらしい。手塚先生の理論によると、「説明」は読者に対して大きな負担になってしまうので、説明するときには細心の注意を払い、キャラの魅力を伝えるエピソードを描いた後(読者がそのキャラに対して興味を持った後)に「1個だけ説明を入れても良い」という基準を設けられていた。

しかし、僕を含めて、新人作家にはこれが分からない。自分の頭の中にある「設定」や「ストーリー」を、キャラの「セリフ」を通して、どうしても「説明」しようとしてしまう。これを理解してもらわないと、読者に面白さが伝わらないと思っているからだ。だから、セリフが多くなるし、会話も長い。新人作家の作品を読んでいると、とても魅力的な設定やキャラクターを考えているのに、中身はキャラの魅力とは関係のない冗長な会話劇だったりする。これは手塚理論で言うと、ずっと「説明」をしていることに他ならず、だから読むのが辛いのだ。「説明」が読者にとって大きな負担になるという手塚先生の理屈がよく分かる。

 

以上を踏まえて、「説明」の入れ方の基準を考えるに、キャラの魅力とは関係のないストーリーの説明はそもそもしない。基本的には、ずーっとキャラのことを掘り下げるエピソードが続くべきであり、その過程において会話劇があっても構わないが、キャラと関係のないストーリーの事情説明はやらない。

ストーリーについて触れなければならない場面については、キャラの個性とうまく絡めながら、「主人公の意志で局面を動かしていく(主人公が自発的に行動した結果そうなった)」という視点をもつ。それなら、「キャラの魅力」と「ストーリーの説明」がうまく連動しやすい。つまり「説明を極力入れないようにする」のではなく、「説明はしない」と心に決め、そうするためにどうすべきなのかを全力で考える。そして、全力で考えた末に、「どうしてもここだけは削れない」という説明部分だけを入れる。それぐらいが丁度良いと思う。

 

あと、コマ割りについても触れておくと、見開きページの中に必ず主人公の演技を入れる。演技というのは、要するに主人公の「感情」や「意志」が表に発露しているものを言い、表情でも動きでも何でも構わない。ただし、この「感情」や「意志」はとにかく読者に伝わりづらいので、大ゴマを使って大袈裟に描くとか、多少オーバーに表現するとか、「デフォルメして描く」という意識をどこかに持っておく(それが漫画的な面白さでもある)。

僕の場合は、キャラの魅力とは関係のないストーリー説明をダラダラと続ける傾向があるため、主人公がずーっと真顔だったり、棒立ちだったり、何も演技をしていないコマ割りが延々と続くこともある。これではダメ。もしそういうコマ割りになってしまった場合は描き直す。

 

というわけで、ネーム・コマ割りにおける「説明」の入れ方についての考察でした。

 

  • キャラの魅力とは関係のないストーリー説明はしない(どうしてもここだけは削れないという部分だけを入れる)。
  • 主人公の意志で局面を動かしていくという意識をもつ。誰かの意志で動かされる受け身の主人公になってはいけない。
  • 見開きページの中に必ず主人公の演技を入れる。