箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

「承の後半」から「転」にかけての描き方について考えてみた。

最初からやり直しているネームが30ページぐらいまで進んだので、ここらへんで一度ブログでも書いて、ちょっと頭の中を整理したい。一歩ずつ。一歩ずつ。

 

前回も触れたとおり、「キャラの魅力とは関係のないストーリー説明をしない」という点を意識しつつ、微妙だと感じたところを10ページぐらいやり直したところ、とりあえず今のところまでは良い感じにできたんじゃないかと思う。

僕が不満に感じていたところは、「主人公がストーリーに振り回されている感じ」であり、そうじゃなくて「主人公が自分の意志で局面を動かしていく感じ」に変更したら、変な説明も省略することができたし、うまくキャラの魅力が伝わるようになったと思う。

 

元ジャンプ編集者の齋藤氏も指摘していたことだけども、「キャラの人となりを表すシーンを出来るだけ入れる」というのはマジであり、例えば、キャラの魅力を伝えるシーンがひとつあって、そのシーンのインパクトが仮に大きかったとしても、それひとつだけでは全然足りないと感じる。

何と言うか、多すぎるに越したことはないっていうか。「何かイベントが発生したら、それに付随するキャラの面白いリアクションを最低でも1個描く」ということをしつこいぐらい自分に言い聞かせたい(そうじゃないと、僕の場合はめちゃくちゃあっさりとしたリアクションになってしまうので)。

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さて、今後の課題というか、これからクライマックスに向かって描き進めていくにあたり、僕がぶち当たっている壁について触れておくと、起承転結の「起承」まではすんなり進むことが多いんだけど、「承の後半から転にかけて」が一番ムズいと感じる。何故なら、「承の後半」はガラッと局面が変わる場面であり、読者に「おっ」と思わせなければならず、これまでの描き方とは少し違う方向に進む必要があるからだ。

もし仮に、前半の「起承」と同じようなテンポ・調子のままで「転」に向かって進んだとすると、特に何も変化が起きないままクライマックスを迎えることになり、何の捻りもない単調なストーリーになってしまう。だから「承の後半」で、「これは普通のストーリーではないぞ」と読者に思わせるような転換を用意しなければならない。

 

だけど、これが行き過ぎると、「ストーリーやキャラに意外性を持たせよう」という意識がデカくなってしまい、あまりにも奇を衒(てら)った展開や表現になりがちで、僕の場合は、ホラー要素とか、グロテスク・暴力表現とか、そういうもので安易に「驚き」を作ろうとしてしまう。大抵の場合は整合性なんて全く取れていないので、読者からすれば「なぜ急にそうなったんだろう?」という感想に繋がってしまう。

百歩譲って、「ストーリー展開が急すぎる」という感想については仕方ないにしても、一番最悪なのは「キャラブレ」であり、「このキャラがそんなこと言うかな?」「そんな行動を起こすかな?」と思われたら、そこで終わりである。

 

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この点について僕が少し感じていることとして、自分の中で最初に思いついたアイデアをそのまま採用してしまうと、後から冷静に振り返った時に「普通だな」「捻りがないな」と感じることが多い。だけど、かと言って大きく脱線してしまうと、さっき言ったような「キャラブレ」に繋がってしまう。

 

なので、「ありきたり」と感じたら、「自分が最初に考えた着地点を少しだけ変える」というのはどうかなと若干思っている。

例えば、仲の悪い2人が殴り合いの喧嘩をして、喧嘩のあとに友情が芽生えるという展開にすると、どこかで見たことのある「普通の展開」になってしまう。しかしかと言って、「2人の間に愛情が芽生える」という展開にしてしまうと、(それがギャグ漫画とかではない限り)あまりにもストーリー展開が急すぎてついていけなくなる。なので、「友情が芽生えたフリをする」とかね。とにかく読者に「思っていたのと"少し"違う」と思わせることができれば作者の勝ちである。

 

この「少し」というのがポイントだ。「少し違う」がちょっとずつ積み重なっていくと、最終的には「大きな違い」になっていく。要するに、急にカーブを曲がるんじゃなくて、ちょっとずつ曲がっていく。気づいたら目的地が全然変わってた・・・みたいな。

 

そういうことを意識しながら、後半に向けてネームを仕上げていこう。