箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

ロースクール制度の破綻と日本の法教育の今後について

ロースクール_法教育

 日本国内において、法曹人口の増加に伴う法律業界の競争過多や就職難等が問題視されるようになって久しいですが、日本の法教育は一体どこに向かうのでしょうか?今日はそんな話をしてみたいと思います。

 

 

ロースクールの模倣制度を推進した有識者たちの罪

 日本のロースクールは、ピーク時には74校ありましたが、その後、ロースクール志願者は減少の一途を辿り(ピーク時の1割程度)、これまでに15校が廃止、20校が募集停止となり、今年、青山学院大学立教大学桐蔭横浜大学の3校が、来年度の募集を行わないと発表しました。

 

 このようなロースクール制度を取り巻く問題について、政府の法曹需要の予想が甘かったとか、読み誤ったとか、様々な批判がありますが、私はそういうことじゃないと思うんです。

 そもそも単純に法曹人口だけを増やす目的だったのであれば、旧司法試験の制度下でも達成できたはずだし、わざわざロースクールという教育カリキュラムを別途提供する必要性に乏しいのです。と言いますか、ロースクール制度導入時の「グローバル経済や知的財産分野に対応できる法律家を増やす」という日本政府の方向性は正しいとさえ思います。

 問題なのは、グローバリゼーションが加速する中で、法業界とビジネスとの関わりあい、求められる法サービスと人材の本質を完全に勘違いし、一部の意識高い系の有識者アメリカのロースクール制度を模倣したことにあると思います。

 

 当初、ロースクール制度を導入するにあたって、推進派は「予備校教育の弊害」を主張しました。元々、ロースクール制度のない日本において、受験技術を教授する予備校が、法曹養成機関として機能しており、これが法曹の質の低下を招くと主張したのです(散々批判された論点です)。

 そして、法曹需要が増加するとの予想の下(外れましたが)、前述したような法曹の養成を目的として、設立されたのが法科大学院ロースクール)です。

 

 しかし、グローバリゼーションに対応できる法曹を養成すると謳っておきながら、ロースクールで行われている教育は、予備校の焼き直しのようなもので、とある上位ロースクールでは、「ロースクールの講義はいいから、予備校に行け」と指導している教官もいたと聞きます。

 要するに、「学費の高い予備校」みたいなもんです。司法試験の受験資格を得るためにウン百万円という入場料を支払わされるのです。かつての司法試験制度の下で、司法試験に合格するために予備校に通って勉強してきたルートと何が違うというのか。アメリカと同じように専門職大学院を作って、それっぽい教育をしていたら、法曹の質は上がるだろうと安易に考えていた有識者の罪は深いですよ。

 

ロースクール制度が直面している問題

 そもそも、アメリカのロースクール制度自体が成功していると思えません。こちら昨日のLAW.COMの記事ですが、次のようなことが書かれています(会員登録しないと見れないかもしれません)。

www.law.com

 同記事は、米ロースクールが、毎年45,000人の卒業生を輩出している一方で、2018年までに若手弁護士による新規開業は毎年25,000人に及ぶとの政府統計が発表されていることに言及し、このような弁護士の過度の供給現象は、アメリカだけでなく他の先進国でも起こっていると指摘。実際に採用されるよりも多くの学生をロースクールが受け入れてきたことに対して批判を向けています。

 

 その後、更に論を進め、ロースクールでの教育カリキュラムについて、

In many law schools, the law is taught as it was in the 1970s, by professors who have little insight into or interest in the changing legal marketplace.

(多くのロースクールでは、法律市場の変化に対して洞察や関心がない教授によって、1970年代のように教えられている)

 

 と批判し、洗練された技術、ビジネスに対する機敏性を併せ持ち、国境や専門性を超越することのできるハイブリッドなプロフェッショナルを養成するという観点が欠如しているのではないかとの懸念を示しています。

「Is there a place for the future in the busy law curriculum?(多忙な法律カリキュラムに未来の場所はあるのか?)」という末尾の一文は印象的です。

 

 法曹養成に特化した長い歴史を持つアメリカのロースクールですら、その法教育の方針をめぐって、議論が紛糾している状況です。よもや、予備校の焼き直し教育を行い、模擬裁判や法律相談ロープレのようななんちゃって実務科目をやっている日本のロースクールが、この問題に直面しないわけがない。

 日本のロースクールは、司法試験の合格者数を増やすことに躍起になり、今の法律業界・法律市場で飽和状態となっている「法律の知識(だけ)はバリバリあります」っていう法律家を、現在進行形で大量に輩出し続けています。

 

司法試験を媒介とした相互依存性の枠組み

 そして、司法試験合格者数が頭打ちとなり、予備試験ルートが徐々に一般化したことなどによって、入学志願者が減ってくると、一転して、「じゃあ、廃止しまーす」「募集停止しまーす」って、国の見通しもおかしかったけど、ロースクール側も相当おかしい。

 

これからの日本の法教育の発展や、グローバルに活躍できる法律家の養成に寄与しようというビジョンや信念はなかったのだろうか?

 

 入学志願者が減少し、定員割れを起こせば、ロースクール経営が成り立たないのは分かる。そういう意味ではロースクールも被害者であることは否定しないが、これからの法律市場において何のバリューもない予備校の焼き直し教育を提供しておいて、被害者面をするのはやめて頂きたい。

 

 上記LAW.COMの記事では、ビジネススクールと同じカリキュラムを導入すべきとか、人工知能の分野を学ぶべきとか、米ローファームのお偉いさんが、各々未来の法曹教育のあり方について意見を述べていますが、結局のところ、日本のロースクール大学のネームバリューと司法試験合格率が全てです。どんな教育カリキュラムだろうが、司法試験合格率が高い上位ロースクールに学生は集中するし、ここに、日本の法教育の構造的欠陥があると思います。

 

 学生からすれば、司法試験に合格できなければロースクールに通う意味はないし、ロースクールからすれば、司法試験に合格できるカリキュラムに傾倒しなければ存続できない。この司法試験を媒介とする相互依存の枠組みの中でしか法教育が醸成されないのだとすれば、日本の法教育はますますグローバリゼーションに対応できなくなると思う。