箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

厳格な自主的ルールを定めることの弊害

厳格な自主的ルール_反感

 先日、当ブログでも書かせて頂いた神戸製鋼所の報告書の中に、「厳しすぎる社内規格」と題して、次のような記載があります。

真岡製造所等、一部の工場では、顧客規格よりさらに厳しい社内規格を設けていた。これは、そもそもより厳しい社内規格を設ければ、事前に工場の工程能力の不足に気づき、それを是正すれば顧客への不良品の流出を防げるとの考えで導入されたものである。しかし、本来出荷基準は顧客規格合格判定であるべきところを、社内規格を満たしていないと出荷できないといった仕組みとしていた。さらには顧客規格の厳格化が進み、一部の製品においては、社内規格はそもそも守れない規格として常態化していたこともあり、社内規格を満たさない場合において、工場の生産能力の見直しや顧客規格の緩和申し入れ等、正規の手続きを行うことなく、改ざんが行われるようになったと考えられる。

(下線は筆者によるもの)

 

 これを字面通りに解釈するのであれば、本来顧客規格が基準となるべきところ、それよりも厳しい規格を設けていたがために、「社内規格は守れない基準」という認識が従業員の間で一般化し、社内ルールを暗黙のうちに破る風土を作る原因となってしまった…と。

 ただ、ルールを厳格化することは、一見すると「コンプライアンスを重視する風土作り」に一役買っているようにも思えます。それでも、このような厳格な社内規格を設けていたことが、今回の不適切行為の原因の一つと分析したことは注目に値します。

 

 本記事では、この点を取り上げ、自主的ルールの在り方について考えてみたいと思います。

 

厳しすぎる自主的ルールは反作用を生む。

 私は、上記の分析は、かなり鋭いと思いますし、的を得ていると思います。

 その理由についてですが、第一に、本来のルールよりも厳しい自主的ルールを定めることは、かなりの確率で反作用(反感)を生むことになると考えられるからです。

 

 例えば、ある運送業者において、自主的に、ドライバーによる走行スピードを「法定制限速度マイナス10キロ」と設定していたとします。法定制限速度が40キロの道路においても、30キロで走行しなければならないというルールです。

 特にノルマが課せられているわけでもなければ、そのような自主的ルールに対して、反感は生じないかもしれませんが、1日にこなさなければならない運搬ノルマなどの定量的な作業が定まっていた場合、このような自主的ルールは「足かせ」でしかなく、自主的制限速度を定めて安全運転を徹底させつつ、その一方で運搬ノルマを課すことは、相反する事柄(ダブルバインド)を従業員に強いていることになります。

 

 そうすると、従業員から「安全運転を徹底させつつも、売上のために運搬ノルマを課すことは矛盾してるじゃないか」「そもそも、法定制限速度でいいじゃないか。自主的ルールを定めることに意味なんてあるのか?」という反感が生じることが予想されます。

 神戸製鋼では、厳しい社内規格を定めつつも、現場に収益を求めたがために、従業員による反作用が生じたのだと想像できます。そして、誰も自主的ルールなんて遵守しなくなったのだと。

 

ルールを破る心理的ハードルを下げることに繋がる。

 自主的に定めた社内ルールを破っているだけであれば、社内の問題だけで済みます。しかし、神戸製鋼では、そのような社内規格だけでなく、顧客規格も遵守されていませんでした。

 私は、社内規格と顧客規格は、対内的・対外的な問題だけでなく、別の問題も孕んでいると考えています。すなわち、「一度ルールを破れば、その次のルールを破る心理的ハードルが低くなる」という問題です。

 

 これは、コンプライアンス違反事例ではよくあることなんですが、常習的な違反者の中には、最初のうちは、違反回数は少なく、違反の程度も軽微だったのに、ルールを破ることによって、本人の中でストッパーが外れてしまったのか、徐々に違反回数が増えるなどしてエスカレートし、違反の程度が重くなっていったという人もいます。

 また、厳格な社内ルールを定めて運用していたところ、現場から悲鳴が上がり、「今回だけは特別に認めてもらえませんか?」といった相談に応じて、例外を許容しているうちに当初のルールが形骸化し、原則と例外が逆転してしまう現象にも近しいものがあります。こういうことが常態化すると、現場には「どんなに厳しいルールでもゴリ押しすれば何とかなる」という風潮が漂うようになり、そのうちルールを軽視して、相談をせずにルールを破る人も出てきます。ルールの厳格さが希薄化し、知らず知らずのうちに、ルールを破ることに対するハードルが下がっているのです。

 

 以上を踏まえ、厳格な自主的ルールを定めることは、単に従業員からの反作用を生むにとどまらず、その次のルール(本来遵守しなければならないルール)まで危険に晒しているのではないかというのが私の意見です。

 

まとめ

 神戸製鋼の報告書によると、厳しい社内規格を設けた理由について、「より厳しい社内規格を設ければ、事前に工場の工程能力の不足に気づき、それを是正すれば顧客への不良品の流出を防げるとの考えで導入されたものである」と述べられており、言わんとしていることは凄くよく分かります。

 ただ、法令や契約上の仕様よりも基準を厳格にするなら、それ相応の合理性が必要ですし、全ての従業員を納得させるのは無理でしょう。上記のとおり、弊害の方が大きいと思われます。神戸製鋼の事案を見ていますと、そんなことにも気づかされます。