箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

<判例>肖像写真をめぐる著作権・肖像権の問題

判例_肖像写真_著作権・肖像権

 ブログの運営をされる中で、無料写真素材をご使用されている方もいらっしゃると思いますが、その中でも、今回は「肖像写真」、すなわち「特定の人物の容ぼうを撮影した写真」にまつわる著作権・肖像権の問題を取扱います。

 

 当ブログでも写真素材を使用させて頂いている「photo AC」の利用規約を見ますと、会員登録したユーザーが写真をアップロードできること、アップロードによって写真の一切の著作権(著作権法27条及び28条の権利を含む)がACワークス株式会社(以下「ACワークス」)に譲渡されること、会員は著作者人格権を主張しないこと、アップロードした写真が第三者の知的財産権、肖像権又はその他の権利を侵害しないことを保証することなどが定められています。

 加えて、ダウンロードした写真の使用について、「以下の使用方法は禁止されます。禁止事項に違反する利用方法は、弊社の著作権の侵害となりますので、ご注意ください。」としたうえで、次のような規定を定めています。

(1)人物を特定できる写真をポルノグラフィや違法その他の不道徳な目的に使用すること、その人物の評判を落としかねない方法で使用すること、あるいは「お客様の声」のように製品やサービスの推奨者として表示する目的で使用することは認められません。
(2)本サイトの写真のモデル(人物、物品、風景など一切を指します)の特徴、品位、名誉または信用を害する態様での使用はできません。

(写真AC 利用規約より引用)

 

 本日は、この利用規約の規定に即しつつ、肖像写真の著作権・肖像権をめぐる問題に触れていきたいと思います。

 

 

肖像写真は著作物なのか?

 上記のとおり、ACワークスが禁止した使用態様にて、肖像写真(人物を特定できる写真、モデル写真)を使用した場合、ACワークスの著作権侵害に当たるとされていますが、ここでまず問題となるのは、「肖像写真は著作物なのか?」という点です。

 この点、著作権法第10条第1項第8号は、著作物の例示として、「写真の著作物」を挙げています。これは、写真は、単に機械的方法によって被写体を記録するにとどまらず、構図、撮影ポジション、カメラアングル、シャッターチャンスの捕捉、露光時間、レンズ・フィルムの選択といった点において、撮影者の独自性・創作性が発揮されるからだと説明されたりします(※1)。

(※1)ただし、特定の写真を見ただけでは、利用されている撮影技法は分からず、写真から知り得るのは、結果として得られた表現内容そのものであり、知財高判平成18年3月29日(スメルゲット事件)は、「結果として得られた写真の表現自体に独自性が表れ,創作性の存在を肯定し得る場合があるというべきである」として、その表現自体について創作性を判断しています。

 

 確かに、プロのカメラマンが撮影した写真と、素人が撮影した写真とを比較したとき、その差は一目瞭然だったりしますよね。素人である私でも、感覚的に、「工夫して撮影しているんだな」ということが分かります。

 ただ、その一方で、近時はカメラそのものの性能が上がり、オートフォーカス機能等によって、素人が撮影しても、それっぽい写真が撮れたりします。そのため、写真の著作物については、機械的作用への依存度が高まっていると指摘されています(岡村「著作権法(新訂版)」78頁)。

 

 以上を踏まえ、「じゃあ肖像写真はどうなんだ?」という話に戻します。

 上記の写真の著作物性に関する考え方や、判例の規範を敷衍しますと、例えば、証明写真やプリクラ(※2)は、単にカメラの機械的作用に依存しているにすぎず、一般的に著作物性があるとは言えないでしょう(撮影者による創意工夫性が介在せず、機械が被写体を記録・現像しているに過ぎないからです)。

(※2)プリクラ写真の中に、文字やイラストなどの加工を施し、それが、加工者の思想又は感情を創作的に表現したものと評価できるのであれば、著作物性を肯定できるかもしれませんが、一般的に考えづらいでしょう。

 

 他方、東京地判昭和62年7月10日(真田広之ブロマイド事件)は、タレントのブロマイド写真について、以下の規範を挙げたうえで、タレントにポーズを取らせたり、表情を作らせたり、カメラアングル等を工夫するなどした点において、撮影者の個性、創造性の表出を認め、著作物性を肯定しています。

本件写真のような肖像写真は、静止した被写体をカメラで撮影し、その機械的、科学的作用を通じて被写体の表情等を再現するものであるが、かかる肖像写真であつても、被写体のもつ資質や魅力を最大限に引き出すため、被写体にポーズをとらせ、背景、照明による光の陰影あるいはカメラアングル等に工夫をこらすなどして、単なるカメラの機械的作用に依存することなく、撮影者の個性、創造性が現れている場合には、写真著作物として、著作権法の保護の対象になると解するのが相当である。

(下線は筆者によるもの)

 

 一般的に、タレントの写真は、プロのカメラマンが、専用のスタジオで、専用の機材を使い、タレントの魅力を引き出すために工夫を凝らして撮影することが通常ですから、上記判例のように著作物性が認められやすいと言えます。

 では、タレントではない一般人が被写体となった日常生活の写真はどうなのかと言いますと、東京地判平成18年12月21日(東京アウトサイダーズ事件)は、以下のように述べて、一般人が被写体となった日常生活の写真の著作物性を肯定しています(控訴審である知財高判平成19年5月31日もこれを支持)。

写真を撮影する場合には,家族の写真であっても,被写体の構図やシャッターチャンスの捉え方において撮影者の創作性を認めることができ,著作物性を有するものというべきである

本件写真は,父子の姿を捉えたその構図やシャッターチャンスにおいて,創作性が認められ,その著作物性を肯定することができ,撮影者である原告がその著作権を取得する。

(下線は筆者によるもの)

 

 この判例に対する評価はさておくとして、この考え方を推し進めていくと、日常生活で撮影した何気ない写真であっても(撮影者が素人だったとしても)、そこに何らかの創作性が表出されているのであれば、写真の著作物性が肯定されることになると言えます(※3)。

(※3)このように、写真の著作物性が認められる範囲が広いことの根拠として、同じ被写体を使用すれば、似たような表現になることが多く、自ずから写真の表現の幅は限られており、著作権侵害は、デッドコピーのようなケースしか想定できず、著作物性を厳格に解する必要はないとの理由を挙げる論者もいます(田村「著作権法概説〔第2版〕」96頁)。

 

 photo ACなどにアップロードされている肖像写真を見ていますと、被写体であるモデルの方が、ポーズを取ったり、表情を作ったり、正面だけではなく、アングルを変えて撮ったりするなどしている点において、撮影者の工夫を垣間見ることができます。

 上記判例を踏まえますと、おそらく著作物性が否定されることの方が少ないのではないかと思います。

 

肖像権はどうなる?

 著作権法第63条第1項は、「著作権者は、他人に対し、その著作物の利用を許諾することができる。」と定め、同2項において、「前項の許諾を得た者は、その許諾に係る利用方法及び条件の範囲内において、その許諾に係る著作物を利用することができる。」と規定しています。

 通常は、ライセンシー(許諾者)とライセンサー(被許諾者)との間で、著作物利用許諾契約が締結されますが、かかる許諾は、著作権者の単独行為によることもできるとされており(岡村・前掲382頁)、一方的な意思表示でも有効です。ですので、約款理論などを用いるまでもなく、上記利用規約は、 photo ACにおいて写真をダウンロードした全てのユーザーを拘束すると言えます(※4)。

(※4)ただし、写真をアップロードした会員によるACワークスに対する著作権の譲渡が有効であることを前提とします。

 

 となれば、著作権者であるACワークスが許諾した利用態様を遵守せず、写真をアダルトサイトなどに掲示すれば、著作権者による利用許諾範囲を逸脱した利用行為として、著作権侵害に当たり、著作権法上の救済規定(法第112条以下)が適用されることになります(加えて、著作物利用許諾契約が成立しているのであれば、債務不履行責任を負うことにもなるでしょう)。

 

 もっとも、肖像写真の場合、他の写真の著作物とは異なり、もうひとつ重大な権利問題を含んでいます。被写体の容ぼうに関する権利、すなわち「肖像権」です。

 この肖像権をめぐっては、著作権との関係も含め、以下のような問題点があると考えています。

 

著作権者は、肖像の利用態様(公表方法)を指定できるか?

 法第59条は、「著作者人格権は、著作者の一身に専属し、譲渡することができない。」と定め、財産権的性質を有する著作権(支分権)とは異なり、人格権たる性質を有する著作者人格権の譲渡性を否定しています。

 そして、著作者人格権は、名誉権・プライバシー権その他の人格権と比べて異質のものではなく、それらと同質であって、ただそれが著作物に顕現したものにすぎないと指摘されています(岡村・前掲294頁)。

 

 だとすれば、人格的利益、すなわち人格権としての性質を持つ肖像権についても、これを譲渡することは出来ないと考えるのが自然であり、利用規約に同意して写真をアップロードしたとしても、肖像権は、未だ被写体であるモデルに属していると言うべきでしょう(利用規約上も、肖像権は被写体にとどまったものであることを前提として構成されています)。

 

 つまり、著作権はACワークスに帰属し、著作者人格権は撮影者に帰属し、肖像権は被写体に帰属しているという権利関係になります。

 ここで、photo ACのサイト上には、「写真ACの人物写真には、被写体であるモデルに肖像権使用の許諾を得て、書面にて肖像権使用許諾書(モデルリリース)を交わして撮影した写真と、そうでないものがあります。」「弊社では、特定できる人物を含む写真ごとに書面によるモデルリリース(肖像権使用許諾書)を義務付けていません。そのため、弊社は特定できる人物を含む写真については、利用者が写真を当該人物の承諾なく使用できることを保証しかねます。」との記載があります。モデルリリースを取得した肖像写真は良いとして、問題はモデルリリースを取得していない肖像写真です。私が疑問なのは、肖像利用の許諾を得ておらず、肖像権の主体たる被写体の意思が不明確な写真の利用について、なぜ利用態様を限定できるのか?という点です。

 

 初めて肖像権について言及した有名判例である最判昭和44年12月24日(京都府学連事件)は、

個人の私生活の自由の1つとして何人も、その承諾なしに、みだりにその容貌等を撮影されない自由を有する。

 として、肖像権(当該判例は明確に「肖像権」と呼称しているわけではないが)の内容を「その承諾なしに、みだりにその容貌等を撮影されない自由」と定義しています。

 

 また、最判平成17年11月10日(法廷内被告人イラスト事件)は、「みだりに自己の容ぼう等を撮影されないということについて法律上保護されるべき人格的利益を有する」としたうえで、更に、

また,人は,自己の容ぼう等を撮影された写真をみだりに公表されない人格的利益も有すると解するのが相当であり,人の容ぼう等の撮影が違法と評価される場合には,その容ぼう等が撮影された写真を公表する行為は,被撮影者の上記人格的利益を侵害するものとして,違法性を有するものというべきである。

(下線は筆者によるもの)

 と述べ、肖像権の内容として、「自己の容ぼう等が撮影された写真をみだりに公表されない」権利も含まれると認めるに至っています(東京高判平成15年7月31日も同旨)。

 

 著作者人格権のひとつである公表権(法第18条)が、著作物を公表するか否かを決定する権利だけでなく、公表の時期や方法を決定できる権利も含んでいるとされていることとの関係上(岡村・前掲301頁など)、肖像権の内容としても、「自己の容ぼう等を撮影した写真を公表するか否かを決定する権利」だけでなく、「公表の時期・方法を決定できる権利」も含まれていると解するのが自然のように思います。

 

 そうであれば、肖像権者ではないACワークスが、肖像の利用態様について、肖像利用許諾の有無にかかわりなく、これを一律に制限することは、肖像権者の意思を無視するものとして、問題があるように思えるのです

 ただし、著作権法上の公表権は、「まだ公表されていないもの(法第18条本文)」を対象としており、いったん公表されれば、著作権者の意思に基づかない公表を除き、公表権は消滅するとされています。そのため、「自己の容ぼう等が撮影された写真を公表するか否かを決定する権利」「公表の時期・方法を決定できる権利」が認められるのは、肖像の主体たる被写体の意思に基づかずに、photo AC上に公表された場合に限られ、photo AC上に公表されることに同意しているのであれば、それ以降、公表に関して、肖像権を主張することはできないと思われます。

 

許諾なくモデル写真を商業利用した場合は?

 上記利用規約によりますと、人物を特定できる写真を、「「お客様の声」のように製品やサービスの推奨者として表示する目的で使用すること」は禁止とされています。もし、この規約を破り、モデル写真を商品やサービスの推薦などの商業目的で使用した場合、肖像権との関係では一体どうなるのでしょうか。

 

 まず、そもそも論として、本人の意思に反して肖像写真を撮影したり、公表するなどして肖像権が侵害された場合、民法上の不法行為責任としての精神的慰謝料が発生します。しかし、肖像権はあくまでも人格権なので、財産的価値はなく、肖像を商業利用したとしても、財産的価値の毀損は認められないのが原則です。

 

 これに対し、知名度のあるタレントの肖像を利用した場合は、いわゆるパブリシティー権の侵害が問題となります。最判平成24年2月2日(ピンク・レディ事件)は、次のように述べ、肖像権の財産的価値(パブリシティー権)を認め、パブリシティー権侵害の判断基準を示しました。

肖像等は,商品の販売等を促進する顧客吸引力を有する場合があり,このような顧客吸引力を排他的に利用する権利(以下「パブリシティ権」という。)は,肖像等それ自体の商業的価値に基づくものであるから,上記の人格権に由来する権利の一内容を構成するものということができる。

他方,肖像等に顧客吸引力を有する者は,社会の耳目を集めるなどして,その肖像等を時事報道,論説,創作物等に使用されることもあるのであって,その使用を正当な表現行為等として受忍すべき場合もあるというべきである。

そうすると,肖像等を無断で使用する行為は,①肖像等それ自体を独立して鑑賞の対象となる商品等として使用し,②商品等の差別化を図る目的で肖像等を商品等に付し,③肖像等を商品等の広告として使用するなど,専ら肖像等の有する顧客吸引力の利用を目的とするといえる場合に,パブリシティ権を侵害するものとして,不法行為法上違法となると解するのが相当である。

(下線は筆者によるもの)

 

 かかる基準に鑑みると、仮に、モデル写真を何らかの商品・サービスの推薦者として使用したとしても、肖像等それ自体を独立して鑑賞の対象となる商品等として使用しているわけではなく、他の商品等との差別化を図る目的を有しているケースもほぼないでしょう。

 また、商品等を紹介する際に、モデル写真を用いたとしても、それが、「専ら肖像等の有する顧客吸引力の利用を目的とする」と言えるケースも稀だと思います。アイキャッチ画像ぐらいの使用であれば、「顧客誘引力を利用する目的」を有しているとは言えませんし、知名度のあるタレントと異なり、無料写真素材の被写体たるモデルが、顧客誘引力を有していると言えるかも不明です。

 

 以上より、モデル写真について、無断で商業利用(特定の商品やサービスの紹介等)したとしても、大抵の場合は、パブリシティー権の侵害とは言えず、本人の意図しない肖像利用として、精神的慰謝料が認められるにとどまると考えられます。

(そのような利用を推奨する趣旨ではありません)

 

 そして、それは著作物の利用許諾範囲を超えるものですから、著作権侵害となり、著作権者との関係においても、責任を負うことになるかと思われます。