箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

澤井先生が「ボボボーボ・ボーボボ」から作風を大きく変更されたことについて僕が思うこと。

かつて少年ジャンプで「ボボボーボ・ボーボボ」を連載されていた澤井先生について、僕なりの視点で少し語りたくなったので、ちょっとブログを書いてみる。

(なお、ここで書いていることは、僕個人の想像の話も含まれており、予想の範疇を出るものではないことを予め注記しておく)

 

「ボボボーボ・ボーボボ」は、2001年に少年ジャンプで連載を開始した伝説的なギャグ漫画である。とにかく破天荒な作品であり、唐突に繰り広げられるハイセンスなギャグ、理不尽な暴力、個性的なキャラたちのぶっ飛んだリアクションが強烈な印象を与え、熱狂的なファンを多数生み出した。

同作はその後のギャグ漫画に多大な影響を与えた歴史的名作と位置づけられており、連載開始当時、まだ少年だった僕は、「ボボボーボ・ボーボボ」というリズミカルなタイトルを聞いただけで爆笑したのを覚えている。それぐらい、この作品のインパクトはすごかった。

 

ちなみに、「だが◯◯、テメーはダメだ」の元ネタはボーボボである。そういうネットスラングを生み出してしまうぐらい、ボーボボの影響力は凄かったのだ。

 

しかし、ボボボーボ・ボーボボの連載終了後、2008年から連載を開始したヤンキーギャグ漫画「チャゲチャ」は、たった8週で連載打ち切りとなってしまう。これは2024年現在においても、週刊少年ジャンプ史上最短である。

 

このあたりから澤井先生の作風や絵柄に迷いが見られるようになる。

 

2011年からボーボボのスピンオフ作品「ふわり!どんぱっち(途中から「ほんのり!どんぱっち」にタイトル変更)」の連載を開始されるが、ボーボボの頃と絵柄が大幅に変わっており、ジャンルも「理不尽ギャグ漫画」から「ほのぼの日常ギャグ」へと変更されていた。

 

この作品は2015年に連載を終了し、その後は、2018年に「ミンチ食堂」、2021年に「フロントライン・スピリッツ」という読み切り作品を発表したのを最後に、澤井先生名義での作品は発表されていない。

(ちなみに、「フロントライン・スピリッツ」は、ボーボボ連載開始から20周年を記念して描かれた特別読み切りである)

shonenjumpplus.com

 

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僕が思うに、澤井先生は画力タイプの作家ではなく、少なくとも初期の頃は、「デッサンを無視して、勢いで突っ切ってしまうタイプ」の作家だった。こういう作家さんは、ギャグ漫画との相性が良く、熱狂的なファンを生み出す点に特徴がある。たぶん、ギャグ漫画家はほとんど全員がそうだと思う。

 

ただ、僕には少し気になることがあって、澤井先生のWikipediaには次のように記述されている。

幼い頃から絵が下手であり、小学生の頃からマンガのイラストを描いて見せあっても周りと比べて下手で、高学年になって周りに触発されてオリジナルのものを描き始めても雑で下手な絵であったと回想している。活動当初も「絵が汚い」という自覚の元で漫画を描いていた。ギャグ漫画を描こうと思ったのも「絵が汚くても、ストーリーがめちゃめちゃでも、とにかく笑いを取ればよい」と思ったためである。

 

・・・仮に、このWikipedia情報が正しいとしよう。

 

もしそうだとすると、澤井先生はご自身の絵にコンプレックスを抱えており、そのコンプレックスを克服したいと考えていたのではないかと僕は思っている。と言うのも、澤井先生自身が、自分の絵を「雑で下手」と述懐されており、ギャグ漫画を描き始めた理由も「絵が汚くても面白ければ成立する」という点に求められているからだ。

つまり、「自分はギャグ漫画家になりたいから、面白い作風を目指そう」と考えていたのではなく、「本当は上手い絵が描きたいんだけど、それが描けないから、今の自分の画力に合ったジャンルを描こう」と考え、戦略的にギャグ漫画を描かれたのではないかと僕は勝手に想像している。

 

結果として、この澤井先生の戦略はバチッと歯車が噛み合った。澤井先生の「ギャグセンスの高さ」と、「雑だけど勢いのある絵」が奇跡的に融合し、とんでもないギャグ漫画が生まれたのだ。

 

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だけど、これが澤井先生の本望だったのかと言われると、僕はそうだとは思えない。もし仮に、澤井先生が過激なギャグ漫画に活路を見出したのであれば、ずっとボーボボ路線でやっていこうと思うはずだからだ。

例えば、うすた京介先生は「セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん」がヒットした後も、同じ路線をずーっと継続し、「武士沢レシーブ」や「ピューと吹く!ジャガー」においても、マサルさんみたいな同キャラを描き続けている。もしも、澤井先生もうすた先生と同じタイプだったのであれば、姿形は違えど、ボーボボみたいなキャラを描き続けるはずである。

 

しかし、澤井先生はそうではなかった。ボーボボの次に描いた「チャゲチャ」では、同じようにギャグ漫画を描いているものの、キャラの見た目は普通のヤンキーにとどまっており、ボーボボ路線を継続しているとは思えない。

また、「ふわり!どんぱっち」では、全体的に柔らかくて可愛い絵柄になっており、最新の読み切り作品「フロントライン・スピリッツ」でも、キャラクターは可愛く描かれている。たぶん、これが澤井先生が本当に描きたかった絵なんだろうと僕は思っている。

 

ただ、これらの作品はボーボボ並のインパクトを与えるには至らなかった。

 

純粋にビジネス目線だけで言うなら、「ボーボボがあれだけウケたのだから、そのままボーボボ路線を継続すれば良いじゃないか」と思えるし、たぶんジャンプ編集部も澤井先生にそのように打診したと思う。言わずもがな、多くの読者もそれを望んだはずである。

 

ただ、クリエイター目線で言うと、僕は澤井先生の気持ちが何となく分かる。そりゃ、絵を描いている限り、誰だって「上手い絵が描きたい」と思うに決まっている。澤井先生が尊敬する人物として挙げている島袋先生も、ギャグ漫画家でありながら、画力はめちゃくちゃ高い。こういう上手い絵に憧れないわけがない。澤井先生は、ボーボボの連載を続けながらも、心のどこかで「デッサンの崩れたギャグの絵柄ではなく、上手い絵が描きたい」と願っていたのではないだろうか。

 

そして、澤井先生は連載を続けながら、自身の画力の向上を実感し、途中から絵柄の変更を図った・・・というのが僕の想像だ。

 

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また、僕は、澤井先生の作風の変更について、違う観点からも別の複雑な感情を抱いている。その理由を頑張って言語化してみる。

 

自分の話で申し訳ないが、僕も小学生の頃にギャグ漫画を描いていて、その漫画はクラスメイトからも「面白い!」「早く続きを読ませて!」と好評だった。クラスメイトの中には、謎の漫画批評オタクみたいな奴もいて、「単純なバトル漫画に走るのではなく、日常系のギャグをノビノビと描いている点に親しみが持てる」との謎の講評を貰ったこともある。

あの頃の僕は、とにかくお笑いが大好きで、ダウンタウンのお笑い番組や吉本新喜劇などを見て、お笑いの間合いとか、ワードチョイスのセンスみたいなものを磨いていった。澤井先生と比べるのもおこがましいが、僕もギャグ漫画にある程度の適性があるタイプだと勝手に自負している。

 

だけど、じゃあ、今でも小学生の頃のようなギャグ漫画が描けるかというと、ギャグっぽいものは描けるかもしれないが、同じものは絶対に描けないと思う。あの頃と感性が違うし、お笑いに対する考え方もガラッと変わったからだ。特に、理不尽なイジリ・暴力のようなものに対しては、嫌悪感すら抱いている。

 

例えば、「ダウンタウンのごっつええ感じ」は、その当時こそゲラゲラと腹を抱えて見ていたが、コントの中で繰り広げられるセクハラや暴力について、今見るとかなりキツイものがある。また、「進ぬ!電波少年」の懸賞生活企画で一躍有名になった芸人・なすびさんについても、なすびさん自身の告発も相俟って、「虐待・人権侵害ではないか」と指摘されるようになり、現在は僕自身もそういう風に受け止めている。

 

さらに、最近、フジテレビの伝説的バラエティ番組「めちゃ×2イケてるッ!」で元レギュラーだった三中さんが、当時のことを述懐されており、「何も聞かされないまま岩手県の山奥にある『みちのくプロレス』の道場へと連行された」とか、「プロレス修行中のギャラはゼロだった」とか、「車の前に飛び出そうと思った」とか、「山を登っているときに倒れて、そのまま死のうと思った」とか、かなり衝撃的な証言が飛び出している。

news.yahoo.co.jp

 

その当時のめちゃイケでは、三中さんは「根性の無い奴」という烙印を押され、メンバーをクビにされており、それをリアタイで見ていた僕自身も、三中さんに対して良い印象を抱いていなかったが、こういう証言を聞くと、「人権侵害ではないか」「三中さんの名誉を傷付けるような恣意的な演出がなされていたのではないか」と感じている。

 

要するに、その当時の僕が「面白い」と思っていたものの裏側では、理不尽な暴力とかパワハラが横行していて、ちゃんと傷ついている人が居たのだ。まさに「人を傷つけて笑いを取る」という蛮行に走っていたのが当時のテレビだった。

 

漫画も似たような部分がある。

例えば、先ほども例に挙げたうすた先生の「ピューと吹く!ジャガー」では、ハマーさん(本名:浜渡浩満)というイジられキャラがいて、仲間内からのイジリが常態化している様子が作品を通してずーっと描かれている。これは、あたかも「イジめられる奴が悪い」という印象を世間に与え、特定の人を仲間外れにしたり、暴言を吐いたり、暴力を振るったりすることを助長する表現ではないかと今になっては感じる。うすた先生の作品の価値を毀損する趣旨ではないが、少なくとも、そういうイジメを肯定しているかのような誤解を招く表現が一部含まれており、そのような表現について、ジャンプはOKを出していたと僕は解釈している。

 

このような風潮に対して、澤井先生がどのように考えられていたのか、僕は想像するしか無いんだけど、他人に暴言を吐いたり、唐突に暴力を振るって笑いを取るという手法に嫌気が差してしまったのではないか・・・と思わなくもないのだ。

最新の読み切り「フロントライン・スピリッツ」においても、ボーボボの時ほど、ギャグにインパクトがないと感じてしまうのは、人に対して汚い暴言を吐いたり、唐突な暴力が描かれていないからではないか。その代わりに、異常な性癖(ドM、BL)とか自傷行為とか、別の方法でインパクトを与えようとしているように僕の目には映る。

 

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ここから先は、完全に想像だけで書く。

 

ボーボボを連載しているとき、澤井先生には、「本当はもっと上手い絵を描きたい」という願望があり、そういう作品を目指したいという欲もあった。しかし、ジャンプ編集部はボーボボの路線継続を促し、もっとインパクトのあるギャグを澤井先生に求めるようになっていった。もっとギャグを過激にしろ、と圧をかけたのだ。

 

しかし、澤井先生はその風潮にどんどん疲弊していった。人を傷付ける表現を描いてまで、笑いを取りたくない。そういう風に思うようになっていった。その結果、澤井先生の絵柄は、「勢いのある激しいもの」から「柔らかく優しいもの」へと変化していき、内容も「過激なギャグ」ではなく、「ほのぼのとした日常系のギャグ」へとシフトチェンジしていった。

 

たとえ世間が自分に求めているものがそれじゃないと分かっていても、澤井先生は「人を傷つけて笑いを取るギャグ漫画」を捨てたのだ。僕はそのように想像する。

 

これまたWikipedia情報になってしまうが、澤井先生は、ボーボボの大ファンという難病の少年を見舞い、直筆サインをプレゼントしたり、単行本を読み聞かせたり、2人で食事をするなどの時間を過ごされたという。また、ボーボボの連載終了後に、溜まっていた6年分のファンレター全てに返事を出したと記述されている。こんなに思いやりのある優しい方が、他人への暴言や暴力といった表現に敏感にならないはずがない。

 

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ただし、何度も言うが、それは僕の想像でしかない。本当の真意は澤井先生しか分からない。

 

だけど、分からないがゆえに、澤井先生の作風変更について色んな想像をしてしまうし、同じく漫画を描く身として複雑な気持ちになってしまう。果たして、「ギャグ」とか「笑い」って何だろう、と。

もちろん、全てのギャグ漫画において、他人を傷付ける表現をしているわけではないし、思わずホッコリとしてしまうコメディ漫画だってたくさんある。誰も傷つかない優しい笑いだってあるのだ。

 

また、作家さんの本当に描きたいものが世間のニーズとズレてしまったときに、果たしてどうやってその齟齬を埋めれば良いのだろうか。これはクリエイター全員が抱えている永遠の課題だと思う。

 

僕は、もし仮に「ギャグ」や「コメディ」を含んだ作品を描くなら、誰も傷つかない優しい世界を目指したい。そして、澤井先生の優しい世界感の作品をまた読めれば嬉しいし、そういう作品を読者の目を気にすることなく、澤井先生が心から楽しんで描ける日が来ることを切に願う。