箱庭的ノスタルジー

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高齢ドライバーの限定条件付き免許と居住・移転の自由

高齢ドライバー_限定条件付き免許

 近年、高齢ドライバーによる交通事故が多発し、ニュースでも取り上げられるなど、社会の関心が高まっています。

 

 昨日の弁護士ドットコムの記事によりますと、警察庁は、高齢ドライバーの事故対策として、自動ブレーキを搭載した車などに限って運転を認める「限定条件付き免許」の検討を進め、2018年度中には方向性を取りまとめるとのことです。
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 同記事では直接的には述べられていませんが、このような規制は、憲法の保障する「居住・移転の自由(22条1項)」を侵害するおそれがあり、本日は、この件に関して憲法上の論点をピックアップしたいと思います。

 

 

居住・移転の自由の沿革と侵害の歴史

 元々、居住・移転の自由は、経済活動の自由を支える不可欠の権利であり、封建的な経済構造を解体して自由な経済市場を確立するために要求されたものです(高橋「立憲主義と日本国憲法」227頁)。現代では考えられませんが、中世封建社会では、人々は、住む土地を限定され、自由に移住・移転することは許されませんでした。

 

 居住・移転の自由が認められないとどうなるか。例えば、A村でお米を栽培している田中さんが、品種改良の研究を重ねて、すんげえ美味しいお米の栽培に成功したから、B村に移り住んで、この技術を広めたいと思っても、それが出来ません。つまり、居住・移転の自由が認められないと、人々は自由な経済活動を行えなくなり、経済活動を通じた人格の形成が望めないことになります。加えて、市場経済も発展しません。

 

 人々が自由に経済活動を行うためには、その不可欠の前提として、自由に住む場所を決定することができ、あるいは、自由な移転を認める必要があるのです。日本国憲法は、この点を明文において定めています。

 

居住・移転の自由の生存権的側面

 以上のとおり、居住・移転の自由は、経済的自由権を支える権利として認容されてきました。

 しかし、本件の限定条件付き免許は、居住・移転の自由の経済的自由の側面を制約する性質を有する一方で、生存権的側面を制約する性質もあるのではないかと思われます。これが、今までの居住・移転の自由に対する制約とはひと味違う部分です(※)。

 

 すなわち、地域によっては、車がなければ生活できないという土地もあり、運転可能な車種を、自動ブレーキ搭載車や高齢者が操作しやすい小型軽量車に限定したり、運転可能な地域や道路を制限したりすることは、高齢者に対して過度の負担を求めるものであって、限定条件を満たすことのできない高齢者は、結果として車を運転出来ず、生活に多大な支障を及ぼすおそれがあります。場合によっては、それが死活問題となり、生活が成り立たないという方が出てくるおそれすらありますね。

 

 そうすると、高齢者の運転免許に限定条件を付することは、間接的に生存権を侵害していると評価できる場面もあり得るのではないかと思えるのです。

 ただし、生存権の具体的内容を定める権限は国会に属し、これを具体化する法律がない限り、裁判所は介入できないと考えるのが一般的なので(抽象的権利説)、生存権侵害を直接の論点とすることには難があります。

 

(※)立法上、居住・移転の自由を直接制限するものとして、夫婦の同居義務(民752条)、破産者が裁判所の許可なしに居住地を離れることの禁止(破37条1項)、自衛官に対する居住場所の指定(自衛55条)などがあり、いずれも合憲と解されていますが(高橋・前掲231頁)、これらは生存権を制約する性質のものではありません。

 

限定条件付きの免許の合憲性

 まず、結論から言いますと、限定条件や代償措置の内容にもよりますが、限定条件付き免許は、合憲と解釈される可能性が高いと思われます。理由はいくつかありますが、まず第一に、運転免許は、一般的禁止からの部分解放であるという点です。

 

 先ほど、現行憲法の下で、人々は自由に経済活動を営むことが出来るし、その前提として、自由に住む場所を決めることができ、自由に移動できると言いましたが、いくら自由に移動できるからと言って、免許もないのに車を運転したり、飛行機を操縦したりすることまでは認められません(犯罪です)。

 そんなことを許容すれば、一般市民の身体・生命の安全が脅かされることになり、そのような重大な公益を守るためには、車の運転行為を一般的に禁止することにも高度の必要性があると考えられ、立法政策上も相当であるといえます。

 

 そして、車の運転行為を一般的に禁止とし、どのような者に対して、車の運転免許を付与するかは、国に広範な裁量があると思われます。そういう意味で合憲性の推定が働くと言えます。

 

 ただし、運転免許を取得した者に対し、事後的に限定条件を付加することは、一度付与された運転免許を基礎として既に一定の生活が営んでいる人に対し、その人の私生活上の自由を奪う危険性があります。

 もっとも、運転免許に事後的に限定条件を付加することは、経済活動の自由や移転の自由を直接制約するものではないし、仮に、生活に支障が及んだとしても、それは間接的なものに過ぎません。また、どのような者に対し運転免許を付与するかは、国に広範な裁量があると考えられる以上、高齢ドライバーが置かれている状況を一定程度配慮する必要はあるとはいえ、著しく合理性を欠き、明らかに裁量の逸脱・濫用と言えるような場合でない限り、これを違憲と言うことは出来ないと考えます(あくまで個人的な意見です)。

 

より良い安全社会を目指して

 この記事を読んだとき、真っ先に浮かんだのは、「共存」という言葉です。

 我々人類は「車社会」を望み、「車と共に生きる」という選択をしました。豊かさを得る一方で、公害問題や交通事故という弊害に直面し、これらの問題と共存する方法を模索し、生活の中に受け入れ、共存関係を築いてきたのです。

 そして、次は「高齢ドライバー」という問題に直面しています。おそらく、これは車社会を望んだときからの宿命でしょう。多言を要するまでもなく、我々は「高齢ドライバー」を受け入れ、「共存関係」を築いていく必要があると思います。

 

 もし、限定条件付き免許が、高齢ドライバーを社会から排斥するようなものであり、共存関係を放棄する内容なのだとすれば、あまりにご都合主義でしょうね。