箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

無理して人付き合いをすることの限界を悟った出来事

確か、20代後半ぐらいの頃だったと思う。

 

その当時の僕は、資格浪人をやっており、試験が一段落ついたタイミングで、以前勤めていた会社の先輩2人と飲みに行こうという話になった。

 

1軒目は普通の居酒屋レストランであり、ここで気分を良くした先輩の1人が、「2軒目にどうしても行きたいお店がある」と言い出した。僕ともうひとりの先輩をそこに連れて行きたいらしい。僕ともう一人の先輩がその提案を了承し、その先輩に付いていくと、そこはいわゆるゲイバーだった。

(面倒臭いので、ゲイバーに通っている先輩を「Aさん」、もう一人の先輩を「Bさん」と呼ぶことにする)

 

僕は、楽しくお酒を飲めれば、キャバクラでもゲイバーでも何でも良かったのだが、本質は根暗のコミュ障なので、本当は仲の良い人と一緒に静かにお酒を飲みたいと思っているタイプである。しかし、Aさんの面子を潰すわけにもいかないし、「そういう夜のお店でも俺は楽しめる陽キャだぜ」と誇示したかったのか、僕はそのゲイバーでも「楽しんでいるフリ」をしていた。

 

つまり、内心では「さっさとこの時間が過ぎてくれ」と願っており、会話内容もまったく楽しんではいない。ノンケがどーたらこーたらとママさんや他の常連客と盛り上がっているんだけど、僕はそっちの界隈にほとんど興味がないので、表面上は笑いつつも、心底どうでもいいと思っていた。

 

すると、そういう僕の本質を見抜いたのか、ママさんの僕に対する態度が徐々にキツくなってくる。

 

Aさんは常連客なので、「Aちゃんはカワイイ!」とべた褒めなんだけど、「アンタ(僕)はどうでもいいわ」と平気で僕に毒を吐いてくる。こういうお店のママは皆こういう性格なんだろうか。

ちなみに、人当たりの良いBさんについては、「Aちゃんほどではないけど、アンタとは仲良く出来る気がする」と、Bさんに対しては良い印象を抱いているみたいだった。要するに、この場にいる人間の中で、僕だけが「気に食わない奴」と敵認定されていた。

 

そのため、会話の中で僕がどんな発言をしても、基本的には冷たく返されるし、僕の行動ひとつひとつにケチをつけてくる。例えば、Aさんがキープしたボトルのタグに名前を書けと言うので、僕がマジックペンを使って名前を書くと、「Aちゃんが入れてくれたボトルなんだからもっと大きく書きなさいよ。気が利かないわねー」と冷たく突き放す。終始そんな感じだった。

 

僕はどんどん疲弊していった。パニックになる一歩手前というんだろうか、昔うつ病で苦しんでいた頃に味わった感覚を思い出していた。僕はこういう場を切り抜けるための最低限の話術みたいなものは持っていると自負していたけど、この時はまったくそういうわけにはいかず、会話も成立しているのかしていないのかよく分からない感じだったと思う。Bさんが「普段はもっと面白い返しが出来る奴なんです」とフォローするぐらい挙動不審になっていた。

 

そして、僕にとって地獄のような時間がやっと終わり、帰路につく。別れ際にAさんに「楽しかったです。また行きたいですねー」と社交辞令を言ったが、かなり無理があったと思う。そう言ったあとにBさんを見ると、Bさんが何とも言えない表情を浮かべながら「お疲れさん」と僕に言った。

 

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この出来事がトラウマになっているとか、そういうわけではないが、僕はこの頃から、「無理して人付き合いをすることの限界」みたいなものを悟り始めていたような気がする。

 

20代の頃の僕は、頑張って世間の「普通」を理解しようと努力し、そういう付き合いにも積極的に関与したけど、今から冷静に振り返れば何の意味も無かったように思う。現に、そういう付き合いをする友人や先輩との繋がりは今は全くない。

そんなことより、「自分の時間」を大切にして、映画を観まくったり、小説を読み耽ったり、ゲームに没頭したり、黙々と創作活動をしている人生の方がよっぽど有意義だったんじゃないかと思っている。こういう1人の時間を大切にできる人生をずーっと送ってきた人が羨ましい。

 

まあ、その事実に30代で気づけただけでも良かったと考えるべきか。無理して色んな人と繋がることにより、大切な「自分の時間」が削られてしまうことの弊害を今はヒシヒシと痛感している。

 

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今日は修正が8ページ進んだ。まだ作業をするつもりなので、上手くいけばあと1〜2ページぐらいは進むと思う。

 

ここまで修正を進めてきて僕がふと思ったことは「なんだか変だな」「ちょっと物足りないな」と思っている絵は、根本的な基本構造(デッサンとかデザイン)に絶対に何かしらの問題がある。ちょっとデッサンが狂ってるとか、デザインがやや手抜きになってるとか。

 

だけど、この違和感は時間が経ってみないと分からなかったりする。要するに、その時の自分の感覚としては、「間違っていない」「大丈夫だ」と判断したけど、後から冷静に振り返ったときにようやくデッサンやデザインのミスに気づくことができる・・・という感じなのだ。こういう点でも、自分の実力はまだまだだなーと思う。

 

と言うのも、今回の作品は昨日今日描いたものではなく、ネームを含めるなら、今年の1月からずっとイメージを練ってきたものであり、修正回数だって1回や2回ではない。そうやって何度も何度も修正しても、まだ不完全な部分が浮き彫りになってしまうのだ。しかも、じっくり時間をかけて冷静に作品を見直して、ようやく「何だか変だな」と気づくレベルである。第一線で活躍しているプロの漫画家であれば、たぶん最初の下書き段階でミスや違和感に気づいているだろう。

 

そういう意味では、週刊連載をしているプロの漫画家が凄すぎるというか、なぜ1週間であのレベルの原稿が描けるんだろうと思う。いくらアシスタントの補助があるとはいえ、あの完成度までもっていけるのは人間離れしている。

 

だけど、こうやって何度も原稿を修正しながら、自分の絵をブラッシュアップしていくしかないんだろう。自分はまだまだ下手くそだ。これからも謙虚に練習を重ねていきたい。