箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

僕が漫画を描いている意義とは

なんか天気予報を見ていると、しばらく天気の悪い日が続くらしい。

僕の気のせいかもしれないが、この時期は雨が結構多くて、せっかくの桜が雨のせいで散ってしまうことが割と多いような気がする。たぶん今咲いている桜も、この連日の雨でほとんど散ってしまうだろう。嗚呼、諸行無常。

 

さて、今日の原稿修正作業は4ページ進んだ。5ページいけるかな?と思っていたけど、今日は体調の悪さも相俟って4ページ止まりだった。22ページまで完了したので、残り33ページ。

 

明日は、ちょっと厄介な作業があるため、たぶん2ページ・・・良くて3ページ進めば良い方だと思う。僕が懸念していた第一関門の鬼門が待っているからだ。

ただ、現時点で少しだけデザインのイメージが湧いており、「こういう方向性で描こうかな」というものはあるので、もし仮にそこがすんなりクリアできれば、4ページぐらいは描けるかもしれない。

 

ちなみに、金曜日から来週の月曜日までの4日間(4月5日〜8日)は、所用によりほとんど作業ができないため、明日のうちに出来るだけ難関をクリアしておいて、次にやるべきタスクを明確にしておきたい。

(その後もすぐに第二関門の鬼門が待っている・・・)

 

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僕は、漫画を描く意義とか、目的とか、そういうものを明確化・言語化することを避けてきて、「ただ自分が納得したいだけ」とか「自分が満足したいだけ」と言い聞かせてきたし、今回の作品はそういう動機で描き始めたし、8割ぐらいはそういう自己満足のために描いているわけだけど、その一方で、「漫画で社会貢献をしたい」という気持ちも僅かばかり心の中にある。

 

と言うのも、漫画って、描いている人なら分かると思うけど、ひたすら自分(あるいは自分の過去)と向き合う作業なんだよ。

 

例えば、主人公にすげえ正義感に満ちたセリフを言わせたとする。でも、それを描いている僕自身がそんな聖人君子ではないので、「ああ、綺麗事だな」って思ってしまっている自分がどこかに居る。「俺はこんな綺麗な人間じゃない」「自己矛盾だな」って。

僕は間違いだらけの人生だったし、人にもたくさん迷惑をかけてきたし、僕のことを知っている人が僕の漫画を読んだら、たぶん「お前が言うな」「矛盾している」と否定すると思う。何と言うか、漫画を描いていると、過去の自分とのギャップを嫌でも自覚せざるを得ない。だからこそ、最近は漫画を描いていて苦しいことも多い。

 

だからこそ、「これからは誰かのために生きたい」と強く思う。僕が描いた漫画を読んで心がホッコリと温かくなったとか、そう思ってくれたら嬉しいし、他にも、例えば、漫画賞の賞金とか少しでも頂けるなら、その一部を慈善団体に寄付したいと考えている。

それ自体も自己満足じゃないかと言われればそれまでだし、実際本当にそうだと思う。でも、たとえそれが偽善と罵られてもいいから、僕は納得したい。僕がこの世界の片隅で漫画を描いている意味はこれなんだと。過去を肯定したいとか、もちろんそんなんじゃない。僕は「今」を一生懸命に生きたいだけだ。

 

「誰かのために描く」とか「社会貢献がしたい」なんて、今の僕にはあまりにも高望みかもしれないけど、僕の目標はそこかもしれない。最近はそんなことを思ってる。