箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

イノベーションスピードの劇的変化は努力の価値すらも変容させている。

イノベーションスピード

 元からサボり癖のある人も、そうでない人も、「出来れば楽して成果を挙げたい」という、費用対効果や労働対効果を求める思考が少なからずあると思います。このような人類普遍の根底的共通認識のおかげで、テクノロジーが進歩した結果、我々の暮らしには「楽(ラク)」が溢れているわけで。

 

 そのようなラクな世の中になった現在において、巷でよく聞く「人類退化論」などはいったんすっ飛ばします。まあ、すっ飛ばすと言っても多少関連はあるんですけど。

 

 最近ですね。外国語を全く話せない他部署の先輩が、こんなことを話していたんです。「あと10年もすれば、会話やメールがタイムレスに自動翻訳される世の中になる。そうなれば別に他言語を学ぶ必要はなくなるし、今から語学習得に向けて勉強することは時間のムダになる」と。

 「10年」というのは、その先輩の見通しに過ぎませんが(根拠があったらすみません)、まあ、確かにそれほど遠くない将来において、そのような時代は来るのでしょうね。多くのビジネスパーソンにとって、外国語は単なるコミュニケーションツールに過ぎず、意思疎通を図ることが出来ればそれで足りるため、一生懸命努力して語学をマスターしても、それに代替するものがほぼ確約されているのであれば、「努力対効果が割に合わない」という先輩の言い分も一理あると思います。

 

 ただですね。その先輩は決して間違ったことを言っていないのに、私の胸には複雑な感情が去来していました。私は多少なりとも英語を勉強してきたつもりなんですが、そういった語学の勉強に時間を割いて来なかった先輩に対する怒りとか、批判感情ではなく、「こういったシーンに今後も遭遇するのだろう」という、何と形容してよいのか分からない気持ちです。

 

人類の歴史は“取って代わられてきた”もの

 この気持ちを説明するために、話を少し脱線します。誤解を恐れずに言いますと、人類の歴史は、テクノロジーの発展によって生活の豊かさを手に入れてきた反面、テクノロジーに裏切られてきた歴史だと言えます。

 かつて、長距離移動の手段を持っていなかった人類は、馬を家畜化し、騎乗技術を発展させ、陸上最速移動手段としての馬を飼い慣らしてきました。日常の移動手段としてだけではなく、戦争にも利用されていたため、多くの馬を繁殖させる必要があり、その家畜化・繁殖化の過程は決して平坦ではなかったと想像します。

 しかし、鉄道や自動車が発明されるに至ると、もはや移動手段としての馬は必要なくなりました。テクノロジーの発展が、移動手段としての馬を駆逐したのです。人類のこれまでの努力が無に帰したとは言いませんが、現在、馬は、競争馬や馬術競技などのエンターテインメント・スポーツ用途、食肉用途の方面で飼育されています。

 

 このように、人類がこれまで多くの時間と労力を費やしてきたものが、テクノロジーの発展によって覆されるという事例は、他にも枚挙に暇がありません。「覆される」というより、「取って代わられた(パラダイムシフト)」という表現の方が適切でしょうか。

 しかし、上記のとおり、馬の家畜化の努力は、別の方面で活かされていますし、その他人類が費やしてきた努力もこれに当てはまることが多いと勝手に思っています。例えば、コピー技術に "取って代わられた" 版画技術は、浮世絵などの伝統芸術の世界で今も生きています。

 会社の先輩から聞いた外国語の習得についても同じです。確かに、「コミュニケーション手段」としての外国語は、テクノロジーの発展に伴い、他の何かに取って代わられるかもしれませんが、例えば、日本人の中でも、正しい発音・アクセント・イントネーションで洋楽を歌いたいといった別の目的を有している人にとっては、語学を学習する意味は尚も存続し続けるはずです。

 

 ここまで書くと、「ああ、なるほど。テクノロジーの発展に伴って、これまで努力してきたものが、別の何かに取って代わられることはあるけれども、その努力の過程は別の形で活かされるから、決して無駄にはならないということを言いたいんだな?」と思われるかもしれませんが、そういうことが言いたいわけじゃないんですよ。

 

 イノベーションによって、現在の技術が別の何かに取って代わられることは人類の常なんですが、昔はこのスピードが100年、200年、下手をすれば1000年単位であったのに対して、ここ数十年で急激にスピードが加速し、取って代わられるスパンが10年ぐらいの単位になってきている(特にIT分野において顕著)というのが、まず1点目です。

 要するに、昔は、少なくとも自分が生きている間、技術水準はほぼ変わらないという前提だったのに対し、今や、自分が生きている間に、何度も "取って代わられること" がぼんやりと予測できてしまっていると言えます。今発売されているiPhoneの新型機種にしても、来年にはまた新しい機種が出て、その翌年にでもなれば、現行機種はもはや使い古されていると予測できます。10年後には、「スマートフォン」というデバイスに取って代わる別の何かが普及していると言われても、そこまで突拍子のない話だとは思わないでしょう。

 

 そして、そのような未来を予測できてしまうがために、眼前の技術水準に合わせた生活やビジネスは成立しづらくなってきており、我々は、常に、この "取って代わられる" ということを意識した行動を迫られます。

 しかし、その一方で、じゃあ10年後、20年後という近い将来を具体的に予測できるか?と問われると、首を縦に振ることはできません。ホリエモンこと堀江氏も、近畿大学の卒業式のスピーチで、未来を見通すことの困難さを説いています。時代の最先端を突っ走るビジネスリーダーでさえ、10年後どうなっているかなんてよく分からないんです。

 つまりですね。「10年後、間違いなく世の中は変わっている。だけど、具体的にどのように変わっているかは分からない」という状況です。これに対し、堀江氏は「未来を恐れず、過去に執着せず、今を生きろ」と卒業生たちに投げかけていますが、我々は、"取って代わられること" を前提とした生き方を選択しなければならないものの、具体的な選択については、不確定要素を多分に含んでいる中で、ある種のギャンブルをしなければなりません。

 

努力の価値は

 話を元に戻しましょうか。上記先輩の予測が正しいとすると、10年後、「一生懸命語学を勉強したものの、別の何かに取って代わられた人」と「そのイノベーションの恩恵を見事に享受できた人」が出て来ます。

    そして、おそらく、語学学習に限らず、あらゆる分野において、「取って代わられた人」と「恩恵に与られた人」が出てくるはずです。将来無くなる仕事とかいう特集がありますけど、あれに近しい話かもしれません。私の胸に去来した形容し難い感情は、「イノベーションによって人類の暮らしは豊かになったが、そこには、努力した人だけが報われるという大前提があったはずなのに、努力しなかった人も努力した人と同等の恩恵を受けられ、それどころか、別のことに労力を割いた分、イノベーションによる恩恵分だけ得をしているというおかしな図式になっている。イノベーションが物凄い回転率で発生したとすれば、我々が日々直面する数々の選択は、リスクの高いギャンブルそのものではないか」というものです。元々、資本主義社会とはそういうものだと言われたらそれまでですが。

 

    ね?形容し難いというか、訳が分からないでしょう?ww すみません。

    そんなことを長々と考えた夏の日でした。

企画競争入札での成功経験から学ぶ3つの企画提案術。

企画競争入札_ノウハウ

 私は、前職において、企画競争入札に10件ほどエントリーし、計3件ほど企画採用(落札)に至ったことがあるんですが、その経験を通して培ったノウハウをもとに、企画提案のコツ(らしきもの)を3つほどご紹介します。もしかしたら、営業提案などにも応用できるかもしれません。

 なお、企画提案型・公募型プロポーザル入札案件を専門にして、コンサルをしている企業もありますし、専門の書籍も世に出回っていますが、私は、そのような外部コンサルに企画書の添削指導を受けたこともなく、専門書を読んだこともありません。そのため、ここに書いてあることは完全なる自論です。

 

 

企画競争入札で案件受託に至るまで。

 まず、私の本職は法務であり、日常的に企画書を作っているわけではなく、企画競争入札に限らず、企画提案自体がド素人でした。ただ、社内研修用にパワポなどを使ってスライド資料を作ることがあり、私の資料を目にした他部署の人が、「まさぽちさん、結構資料作りのセンスありますね~。企画競争入札用に企画書作ってみません?」と声をかけてもらったのが、最初のきっかけでした。

 

 んで、とりあえず、本業に支障がでない範囲で企画書を作ってみたんですが(プレゼンもしました)、最初の企画競争入札でこれが採用されちゃったんです。企画競争入札未経験者が、いきなり企画採用となることは凄いことだったらしく、企画書の作成を頼まれることが増えていきました。今から思えば、最初の企画書が不採用だったなら、その一度きりで終わっていたでしょうね。

 

 ただですね。私の本業じゃないですし、そこに100%のリソースは割けません。そのため、どうして採用されたのか、どのような点が評価されたのかと言った点を分析することもないまま、その後も機械的に企画書を作るだけでした。敢えて気にしていた点といえば、「どうやったら見栄えがよくなるか」といった体裁面ぐらいですかね。

 案の定、その後は全く結果が出ず、不採用の連続。最初の企画採用は完全なるビギナーズラックだったと気がつきました。とはいえ、「自分の本業じゃない」という理由から、そこまで気にすることもなかったんですけどね。

 

 私の意識が変わったのは、5~6回目の企画競争入札のとき。このプロポーザルでは、企画提案内容に点数がつけられ、公表されるものでした。いつものように企画書を作り、プレゼンをして、いざ結果を見てみると、企画採用となった1位の会社さんと、100点近い差をつけられていたんです。確か、300点満点で、その会社さんが250点、うちの会社が150点みたいな感じだったと思います。

 それに加えて、審査員のコメントがつけられており、酷評の嵐。「プレゼンで、~と説明していたが、その強みを持っているなら、提案書の中に詳細を記載すべき」「こちらの意図が伝わっていないと感じた」など。これにはさすがにショックを受けましたね。

 

 そこから、なぜ不採用となったのかを真剣に考えるようになり、自分なりに試行錯誤をしながら、企画提案方法を変えていった結果、その後参加した企画競争入札において、立て続けに2件採用されるに至りました(キリッ)。

 

私が意識して取り組んだ3つのこと。

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 以下、自分が意識して取り組んだこと、試行錯誤の末に辿り着いた企画提案方法を順番に書いてみます。かなり長々と書いていますがご容赦ください。

 

① 相手が抱えている課題に理解を示し、自分の言葉で言い換える。

 企画競争入札では、行政は何かしらの課題を抱えており、民間の力を借りてその課題を解決したいと考えています。言うなれば、相談者とアドバイザーの関係です。

 まず、自分の立場に置き換えて考えてみてください。あなたが借金を抱えており、返済する当てもなく、弁護士に相談したとします。その際、あなたの事情を一通り聞くだけ聞いて、解決策だけを提示する弁護士をどう思うでしょうか?私であれば、やっつけ仕事のように感じ、この人と信頼関係を構築することは難しいと感じます。おそらく、別の弁護士に相談し直すでしょう。

 この理屈は、企画競争入札においても同様です。お役所の人間はロボットではなく、心が通った人間だからです。そして、行政が抱えている課題に対して理解・共感を示さない事業者は、「事業趣旨の理解が不十分である」との評価を受けがちです。実際、公募型プロポーザル案件では、評価対象として、「事業趣旨に対する理解度」という、評価項目が設定されていることがあります。

 そのため、私は、企画競争入札のノウハウを社内に共有するにあたって、「まず、行政課題を正しく把握し、その課題に対し理解・共感を示すことが重要である。」と説いていました。

 

 また、理解・共感の示し方にもコツが必要です。

 公募型プロポーザル案件では、概要説明書のようなものが公示され、そこにつらつらと事業趣旨等が記載されているのですが、ここに書かれていることをオウム返しのように繰り返し述べても、理解を示したことにはなりません。

 例えば、「最近、寝不足でなかなか疲れが取れないんだよね」という相談に対し、「分かる。寝不足だとしんどいよね」と、相手が述べたことを繰り返すだけでは、理解・共感を支える理由が欠落しているために、理解・共感のアピールとしては弱いのです。そこで、私は、自分の言葉で言い換えることを意識してやっていました。相手の言ったことに少し自分の言葉を付け足す…と言ってもいいかもしれません。

 

 例えるのが難しいのですが、「若者の後継者が育たず、A市の伝統工芸品Bの技術承継が進んでいない。」という行政課題が示されたとしますと、例えば、「厳しい規律と礼儀を重んじる伝統工芸の世界では、厳しい上下関係や、キツい・汚い・危険な仕事を嫌う傾向にある若年層の人材が定着しないがために、次世代への技術承継が進んでいないことに加えて、長年にわたり伝統工芸に携わってきた職人たちの高齢化に伴い、伝統工芸品Bの存続自体が危ぶまれている。」などと言い換えます。

 この回答では、「若者の後継者が育っていない」という問題について、その背景にある若者の労働意識に言及することで、「なぜ伝統工芸の世界に若者が定着しないのか」という隠された問いにも回答する形となっており、さらに、「伝統工芸Bの技術承継が進んでいない」という課題から一歩進めて、「職人たちの高齢化」を原因として、「伝統工芸品Bの存続自体が危ぶまれている」という問題の本質にまで立ち入ることにより、理解・共感の根拠を示しています。

 

 別に、自分の考えでもいいんです。このように、相手の言ったことに対して、自分の考えを付加し、あるいは別の言葉に置き換えて表現することで、理解度・共感度に深みを持たせることができます。その結果、相手から、「そうそう!こちらが言いたいことをよく分かってくれているじゃないか!」という逆共感を得られやすくなるんじゃないかと思います。

 実際、この部分を意識して取り組むことで、目に見えて、審査員の評価は変わったように思います。

 

② アピールすべきは会社実績と横のつながり

 私は、当初、自社のサービスの特徴や強みなどに多くの紙幅を割いていました。しかし、このアピール方法が有効と言えるのは、おそらく業界内で最上位に位置する企業だけでしょう。それ以外の会社(市場シェア率が低いもしくは普通、扱っているサービスがニッチなど)の場合、どれだけ自社サービスをアピールしても、「他の会社と大差ない」と受け止められると思います。どこの会社も自分たちの商品やサービスを良く見せようとするに決まっているからです。

 

 そうではなく、企画競争入札においてアピールすべきは、まずもって実績です。転職活動に例えるのであれば、「TOEICで満点取りました」などと英語力をアピールしたところで、企業からすれば、「じゃあ、具体的に英語力を生かしてどんな仕事をしてきたの?」「どんな実績があるの?」という部分を聞くでしょう。営業提案でも同じです。お客さんに対し、自社の商品やサービスの良さをアピールしたところで、「じゃあ、他の導入事例を教えて」となるはずです。結局一番知りたいのはそこだからです。

 自社サービスの概要を簡潔に説明し、具体的な実績を詳細に記載する。これが一番相手に刺さるアピール方法だと思います。ちなみに、とある役所に勤めている友人に聞いた話ですが、企画競争入札は、「ほぼ実績で決まると思う。」と話していました。「保守的な考え方が強い役所では、実績のない会社に案件を任せるような冒険はしない」というのがその理由です。

 

 もう一つ、アピール材料を挙げるとすれば、横のつながり(人脈)です。

 会社ホームページでも、大口のナショナルクライアントと取引実績があれば、その旨を記載していることが多いですよね。それは、「そのような有名企業にも自社の商品やサービスが受け入れられている」というアピールに他なりません。あるいは、与信審査が厳しいであろう、大手のナショクラと取引があるということは、ある程度財務基盤もしっかりしているという安心感を与えることにもなります。

 また、企業単体で出来ることなんて、たかが知れています。そのことは行政もよく分かっていて、プレゼンでの質疑応答の際にも、「〇〇という分野について、外部委託は可能ですか?(そういう横のつながりがありますか?)」という質問はよく受けたように思います。そんなときに、横のつながりをアピールすることが出来れば、「業務範囲の幅が広い」という安心感にも繋がります。

 

③ 相手の心に刺さるキラーワード・キラーエピソードを用意しておく。

 最後3つ目は、企画書というより、プレゼン用の話です。

 プレゼンでは、持ち時間が決められていて(30分未満であることが多かったように思います)、その時間内にプレゼンを完結させなければなりません。そのため、プレゼンに慣れていないうちは、それなりにプレゼンの練習にも時間を割く必要があります。

 んで、プレゼン後に、質疑応答の時間があるのですが、審査員によっては、結構鋭い質問をしてきます。基本的には粗探しなので、弱みなどをバンバン突いてきますし、回答に窮することもしばしばあります。

 

 私の場合、質疑応答に備え、案件ごとにキラーワード・キラーエピソードを必ず一つ用意していました。これを練るのは結構大変なんですが、これが相手に刺さったときは、気持ちいいったらありゃしません。

 具体的には、ある程度質問を予測しておき、その質問に対して、「例えば、ソフトバンク孫社長が、アップル社のスティーブ・ジョブズ氏に直接会いに行ったという有名な話がありますよね?そのとき、孫社長は…」というように、エピソード形式で回答するのです。なぜそのような形式にするのかと言いますと、エピソード形式での回答は、こちらの回答時間が長くなり、相手はずっとそれを聞くという図式になります。つまり、「ずっと俺のターン」ってやつです。このように、質疑応答では、いかにその場の主導権を握るか、という点を意識すると良いと思います。

 そのうえで、ただ長々とエピソードを語るだけではダメです。「こいつ、さっきから何言ってんだ?」と、その場が白けてしまい、逆効果になります。そうならないように、必ず話の結論を用意しておき、且つ、その結論をキラーワードで締め括るように意識します。これが刺さったときは、大抵の場合、質問が途切れ、そのまま終了します。

(立て続けに2件採用されたときも、そんな質疑応答だったように記憶しています)

 

おわりに

 以上、企画提案術いかがだったでしょうか?(;^_^A

 私は、企画提案のプロではないですし、本業は法務です。ただ、法務という仕事をするうえで、契約交渉などのスキルも求められるのですが、企画競争入札を経験することにより、企画提案の考え方が身についたと言いますか、自分の基礎土台づくりに非常に役立ったと思います。企画競争入札を経験できて本当に良かったと思いますね。

 もう、企画提案のお仕事をすることは当分ないと思いますが、また機会があれば、企画書を作って、プレゼンなどをやってみたいなぁと思います。

 ではでは、本日はこのへんで!

「Grammarly」のChrome拡張機能が最強過ぎる件

grammarly

 はてブの過去の注目記事の中に、こちらの記事を偶然発見し、「え、こんな便利なツールがあったの!?」と驚いたので、ちょと書かせてください。

 

 Grammarlyについて、どんな機能があるのかは、こちらの記事の中で詳細に書かれているので、省かせて頂きますが、私個人として特にお気に入りなのは、Chrome拡張機能です。

 と言いますのも、メールにしても、SkypeなどのSNSにしても、私は全てGoogle Chromeからアクセスして使用しており、ほとんど全ての作業がChrome上で行われています。そのため、この拡張機能は超嬉しい

※ あくまでもChrome拡張機能なので、メーラーを別途ダウンロードしているとか、Chrome以外のブラウザを使用しているといった場合には、恩恵がありません。。

 

 この拡張機能をONにして、メールでもチャットでも何でも良いんですが、Chrome上で英文を入力すると、右下の緑色のマークがクルクルと回り、文法が正しいかどうか勝手にチェックしてくれるんです。英文の中に間違っている箇所がある場合、間違っている数が表記され、クリックすると、どのように修正すべきか教えてくれます。

 こういう類の校正ツールって、その精度に疑問のないわけではないんですが、Grammarlyの精度は結構凄いと思います。例えば、「jurisdiction in」と打つと、そこが間違っているという指摘があり、「え?なにが間違いなの??」と思って修正文を見てみると、「jurisdiction over」という指摘が。よくよく調べてみると、どちらも文法的に間違いではないんですが、「jurisdiction over」の方がよりメジャーな表現らしいのです。

 これにはさすがに、「そんなことまで指摘してくれんの!?」と驚きました。

 

 もちろん、Chrome拡張機能を使用しない場合であっても、このアプリをダウンロードしておけば、英文を作成する必要が生じたときに非常に便利です。すぐにネイティブチェックを受けられる環境だったとしても、とりあえず、自分の文章の文法チェックができるので、ちょっとしたメールを返信したいときなどに役立ちますね。

 あとは、仕事で使わないという人であっても、ライティングの練習がしたいとか、そういう目的でも使えると思います。是非お試しください~。

少年野球チームの練習風景を見ていたら。

少年野球

 なんか、複雑な気持ちになったので、この記事を書いています。

 

 今日、良い天気だったので、家の近くの公園までブラブラと散歩に出掛けたんです。そしたら、少年野球チームが練習してまして。休日にはよく見かける光景ですよね。「あー、良いなぁ」なんて思いながら何気なく眺めてました。

 

 すると、監督さんが、子どもたちをホームベース近辺に並ばせ、ピッチャーマウンドよりも近い場所から近距離ノックを始めました。しかも、結構速い打球速度で。

 その距離にして15〜16mほどでしょうか。野球は多少かじったことがある程度ですが、大人でもこの距離から速いノックを打たれると相当怖いと思います。

 

 おそらく、ボールに対する恐怖心を克服させるための練習だと思うんですが、容赦のない近距離ノックが次々と繰り出され、しかも、「逃げんな、コラ!」などと怒号が飛ぶのを見て、段々と気の毒に感じると言いますか、「おいおい、なんだこの監督…」と思い始めていました。

 

 そのうち、打球を左右に振るようになり、横っ飛びジャンプをして捕れ、とか言い出したんです。プロの選手が華麗に横っ飛びをして、難しい打球をキャッチしているのを何度も見たことがありますが、それを真似してやれと。それが出来ないと、「飛べ!コラ!」と怒号が飛びます(「飛べ!」ってなんだよ…)。

 

もうね。カオスですよ。子どもたちは、恐怖心で腰が引けてしまい、ノックどころじゃない。横っ飛びジャンプも、ヤケクソって感じで、打球が飛んだ方向にゴテンと転ぶだけ。そりゃそうなるよ。

 

 これのどこが練習なんだ?恐怖心を克服させたいのか知らんが、余計に恐怖心を植え付けるだけなのでは?というか、まともに打球を捕れない子どもに、横っ飛びジャンプをして打球を捕れって何がしたいの?

 

 という感じで胸糞悪くなり、見ていられなくなってその場を後にしました。

 

 少年野球チームの監督って、近所の居酒屋のおっさんだったり、普段何をしているのか分からんおっさんだったり、飲んだくれのおっさんだったり、まあ、とにかくよく分からんおっさんであることが多いんですが、私は、自分の子どもを、そんなおっさんの元に預けて、よく分からん近距離ノックは絶対に受けさせません。かなりの高確率で、「もう行きたくない」って言われるのが目に見えてるので。

 

 少年サッカーの監督とかコーチをする場合、資格が必要と聞いたんですが、なんで野球の場合はそういう制度がないんですかね。不思議です。

まったり薄給のブラック企業に勤め続ける友人の話

まったり薄給_ブラック企業

 

 はじめに。 

 こちらの記事を読んで、共感する部分が多かったと言いますか、ふと大学時代の友人のことを思い出したので、今日は、その友人の話をしたいと思います(便乗する形になってしまいすみません…)。

 

 

出世タイプだったはずのSさん

 仮に、その友人を「Sさん」としておきます。

 Sさんは、新卒で就職せず、卒業後も就職浪人を続けるという道を選んだ同級生です。「行きたい業界が分からない」「やりたい仕事が分からない」という悩みと葛藤しているうちに、就職活動が泥沼化し、なかなか内定がもらえず、卒業を迎えてしまいました。

 

 非常におこがましいですが、少なくとも私の知る限り、Sさんは出世とは縁のないタイプではありません。どちらかと言えば、何でも卒なくこなせる秀才であり、周囲への気配りもできる世渡り上手。大手企業へ就職し、今頃、同年代の中でも出世頭になっていてもおかしくないタイプです。だから、余計に「なんでSさんが…?」という気持ちを抱いたのを思い出します。

 もっとも、卒業後、程なくしてとある中小企業への就職が決まったという話を聞き、「仕事が決まって良かった」と安堵していました。

 

Sさんが勤める企業は…まったり薄給ブラックだった。

 それから3年ぐらいが過ぎた頃でしょうか。共通の友人を通して、久しぶりにSさんに会う機会があり、Sさんの近況を聞いてみました。すると、どうやらSさんが勤めている会社は、まったり薄給のブラック企業のようなのです。

 新卒1年目の給与は手取りで15万円ほど。残業代も賞与もなかったそうですが、社長の説明によると、「入社1年目は我慢して欲しい。2年目以降は、手取月収20万円以上と、残業代・賞与の支給を保証する」とのことであり、それほど激務でもないため、1年目は我慢したそうです。Sさんは、入社1年目から仕事で結果を出し、かなり会社に貢献したそうですが、当初の社長の説明どおり、それが給与アップなどに繋がることはありませんでした。

 

 しかし、2年目以降も社長は約束を守らず、それどころか給与は据え置き。残業代・賞与も出ず、いよいよ会社の異常さに気づき始めます。毎月のように人が辞めていき、それに伴って毎月のように人員を補充。新たに入社した社員に対しても上記のような説明を行い、あたかも「直ぐに給与が上がる」と期待させつつ、その実、待遇が改善される気配はありません。

 3年目。Sさんは、仕事で結果を出し続け、営業セクションのマネージャーになったそうですが、その肩書きは名ばかりであり、給与は新入社員と同額。信じられますか?入社3年目でバリバリ活躍している社員と、新入社員の給与が同額ですよ?どれだけ結果を出してもそれが給与に反映されることはなく、責任だけが増えていくという異常な会社です。

 

 この話を聞いたとき、私は、「Sさんの能力ならば、もっと好条件の企業に転職することは可能であろうし、今の会社で十分経験もノウハウも積んだし、その会社を辞めてはどうか」と、お節介ながらもアドバイスしました。「石の上にも三年」も経過しようとしており、何より、当初の約束を果たさないブラック企業にとどまり続ける理由はないと思ったからです。Sさんは、「確かに、そうだよなぁ」といった感想を述べていたように記憶しています。

 

 それから、さらに2〜3年が過ぎた頃。再びSさんと会う機会がありました。さすがに、あのブラック企業は辞めただろうと思いきや、何とまだ勤めているとのことであり、私は驚いてその理由を聞きました。Sさんから聞いた理由を整理すると、凡そ次のようなものです。

 人の入れ替わりが激しく、気づけば会社の業務内容を完璧に把握しているのはSさんだけになっており、新たに補充された新入社員はSさんを頼りにしてくるそうですが、その新入社員もそのうち辞めてしまいます。人が定着しないために、ノウハウの承継が進まず、古株社員の負担が過度に大きくなるという負のスパイラルに陥っているようでした。このような状況の下、Sさんは、「自分が辞めてしまえば、誰が新入社員の面倒を見るのか」という心配を抱えるようになり、退職しようにもその期をズルズルと逃し、今に至った…と。

 

まったり薄給のブラック企業に勤め続ける理由

 上記の話を聞いたとき、まず、Sさんの人が良すぎると思いました。

 社員を教育・育成するのは、会社の責任であり、社内の教育担当者(そもそも、Sさんは、教育担当者ではありませんが)が退職して、社員教育が円滑に進まなくなったとしても、退職する人からすれば知ったこっちゃありません。そうならないように、ノウハウを社内で蓄積・共有しておき、他の社員がカバーリングできるよう、組織や人員体制を構築し、リスクヘッジを図るのが普通だからです。

 人が定着せず、そのような組織を構築出来なかったのは会社のせいなので、堂々と会社のせいにして辞めればいいのです。また、後に残された新入社員のことを心配していますが、皆成人した立派な大人であり、自立した社会人です。最終的には、誰にも頼らず、自分の力で生きていかなければなりません。Sさんが残った社員の心配をする必要なんてどこにもないと思います。

 

 次に思ったことは、人の良心につけ込むブラック企業の手口の卑怯さです。

 少し前の記事になりますが、こちらの記事の中に次のような指摘があります。

一見、使い捨てにするブラック企業と「辞めさせない企業」は真逆の存在のように見えるが、じつは「辞めさせない会社」も利用価値のない人は退職に追い込むが、利用価値のある人は潰れるまでとことん働かせるという意味では、同じブラック企業なのである。

 

 まさにこれだなーと。「利用価値のある人間」については、とことん飼い慣らし、辞められない状況を作っていくのもブラック企業の特徴です。「給与が上がる」と飴を与える。役職を付与して責任を課す。使えない人間は次々と切り捨て、慢性的な人手不足の状況を作り、簡単には退職できない雰囲気にする…など。

 私には、優しい性格であるSさんが、このような手口にまんまと嵌ってしまったように映りました。

 

 ここまでは、良い人ほどブラック企業に勤め続けてしまう理由としてメジャーなものであり、何となく想像がつきます。しかし、「まったり薄給」のブラック企業については、これらに加えて、もっと本質的な理由があると思っているんです。それは、そんなブラック企業ですら心地良いと思ってしまう心理です。

 

 Sさんの話を聞きながら私が感じたのは、「当初の約束を守らない」「仕事で結果を出しているのに、正当に評価されない」といった不満はあるものの、会社が自分のことを必要としてくれることや、自分が社内で一番上の部類の立場にあることに対して、心地良さのようなものを感じているのではないか?という点です。

 例えて言うのであれば、学校でのクラブ活動です。最初のうちは、一番下っ端で、先輩にも気を遣わなければなりませんが、そのうち学年が上がり、自分に対して意見できる人間は、監督やコーチなどに限られてきます。要するに、極端な言い方をすれば、部内でデカい態度がとれるようになるということです。そうすると、「練習がキツい」「頑張っているのにレギュラーになれない」という不満があっても、そのような環境を心地良いと思うわけです。

 

 人間は、本能的に環境の変化を嫌う生き物だと思いますが、Sさんは、安住の地から離れたくないという心理が働いているのではないかと思うのです。環境を変えて新しい職場に移ったとしても、Sさんなら順応できると思いますが、おそらく、新しい会社では、マネージャーという肩書きはなく、平社員からのスタートです。新たに一から人間関係も構築し直さなければなりません。せっかく手に入れた安住の地を手放してでも、環境を変えたいか?と問われれば、そこまでの熱意も欲もない…という感じでしょうか。

(ましてや、Sさんは、働くことの意義などについて、学生時代から暗中模索していたため、転職することに対して余計に忍び足になるのでしょう)

 

結語

 今の若者は、出世意欲がなく、車や腕時計などの高級品にも興味がなくなってきており、最低限暮らしていくことのできるお金さえあれば、それで足りると考えている人が増えています。また、結婚にも積極的ではなく、最悪独り身でも仕方ないという考え方の人が増えていると聞きます。

 そのため、精神的・肉体的に労働者を追い込み、労働者の心身に悪影響を及ぼす正真正銘のブラック企業は別としても、低賃金で人を使いまわす「まったり薄給」のブラック企業については、そういった欲のない人のニーズに応えているのでは…という気がしないでもないのです。別に給料が上がらなくとも、自分の仕事を正当に評価してもらえなくても、まったり働き続けることが出来るのであれば、敢えて就業環境を変えるというリスクを冒す必要はない…と。

 

 以上のSさんの話を通して、私は、「ブラック企業」という一元的な定義付けだけでなく、良い人ほどブラック企業を辞められない理由について、時代背景や労働者の労働意識の変化などを踏まえ、多角的に分析すべきではないか…と考えています。

 そして、場合によっては、そのようなブラック企業であっても、必ずしも「絶対悪」とは断言できないという気もしているのです。気がしているだけですが。