箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

物語の内容が分かりづらいことはそんなに問題ではない。

これは岡田斗司夫さんの受け売りだけど、最近のアニメ制作では、「とにかく分かりやすく作ってくれ」と製作委員会が現場に要望を出すらしい。

鬼滅の刃なんかが良い例で、「そんなことまで説明しなくていいだろ」と思うようなことでも、セリフを増やしてわざわざ説明するんだとか。

 

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これはアニメ制作に限らず、漫画制作でも同じだ。

 

少しでも分かりづらい表現があると、編集者からすぐに「分かりづらい」と指摘が入り、説明(セリフ・ナレーション)を増やすか、あるいは絵を変えるか、何らかの修正が求められる。

だけど、僕はこういう風潮に強い違和感を覚えていて、本来「分からない」=「面白くない」ではないと考えている。何故なら、内容が分からなくても面白い作品というのは存在するし、むしろ分からないことが面白さを担保しているとさえ思うからだ。

 

例えば、僕の世代だったらエヴァンゲリオンなんかが最たる例で、あれは1話目から謎だらけだった。

ネルフとは何なのか、エヴァとは何なのか、使徒はなぜ襲ってくるのか、綾波レイとは何者なのか…等々。物語が進んでも一向に謎は解消されず、それどころかますます謎は深まっていくばかりで、ゼーレの目的とか、人類補完計画とか、渚カヲルの存在意義とか、色んな伏線を張り巡らせたまま、突然終焉を迎えてしまう。そんなアニメだった。

 

じゃあ、面白くなかったのかと言うと、全くそんなことはなく、むしろ革命的な面白さを誇っていた。その当時、エヴァをリアルタイムで見ていた人たちは、物語の展開に固唾を飲み、内容が分からないなりにも必死に脳内で補完しながら付いていこうとしたし、その結果、エヴァは社会現象にまで発展した。

岡田斗司夫さん曰く、そういうオタクはもう現代社会には居ないらしいが)

 

だとすれば、作品の面白さというのは、分かりやすさの問題ではなく、「説明されていない部分」を想像させるものかどうか…という問題だと言えるし、逆に言えば、内容が分からなかったとしても、説明されていない部分を脳内で補完させることができれば、何の問題もないと言える。

なので、某方の作品が面白くなかったとすれば、それは「分かりづらかったこと」が原因なのではなく、見る人に「想像させることが出来なかったこと」が原因なのだ。これが、「分かりづらいから面白くない」と「分かりづらいけど面白い」の決定的な差である。

 

以上をまとめると、分かりやすさを追求することは、作品の面白さとは関係がないと言い切ってもいい。というか、本質的には逆のことをやっている…と感じる。

何故なら、分かりやすいものを作ろうとすると、「1+1=2」みたいな定量的な答えを追い求めてしまい、ある程度皆同じ結論にたどり着いてしまって、表現が陳腐化するからだ。そうではなく、「1+1=3」とか「2×4=5」みたいなものを生み出すのが本来の表現活動のはずで、それを「分かりづらい」と言って排斥してしまったら、一生新しい表現なんか生まれないし、コンテンツの面白さもひたすら後退していく。

 

何度も言うが、「1+1=3」みたいな作品が面白くなかったとすれば、それは、「1+1=3」の意味が分からないことが原因ではなくて、なぜ「1+1=3」になるのかを想像させることが出来なかったことが原因なのだ。