箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

実家に帰省して思ったこと

週末は実家に帰省していた。

 

僕の実家がある街は、とある下町なんだけど、最近は駅前を中心に開発が進み、古い建物はことごとく新しいマンションか、大手飲食チェーン店か、もしくはコンビニに生まれ変わっていた。

道路も綺麗に整備されていて、古い家屋はどんどん無くなり、新しい一軒家がチラホラと増えてきたし、オシャレな飲食店も増えてきたように思う。住む人が徐々に入れ替わってきた証拠だ。

 

昔の友人も既にこの街を離れ、別の場所で暮らしているケースが多い。とある昔の知人の両親は、定年退職後に実家を売却し、別の街にマンションを買って、そっちに移り住んだという。たまたま、その知人の家の前を通りかかると、家の外観は同じなんだけど、表札が別の苗字に変わっていた。もう知らない人がそこに住んでいるのだ。

 

そんな僕の地元の街には、昔ながらの商店街が今でも残っている。

 

ただし、残っているとは言っても、ほとんどのお店はシャッターが降りており、営業している気配はない。大変失礼な物言いになってしまうが、「商店街だったもの」が残っているだけで、中身は不良債権化してしまった「都会の限界集落」だ。

昔は元気よく営業していた八百屋さんも、行列が出来ていた精肉店も、スーパーファミコンのゲームソフトがずらーっとショーケースに並んでいた玩具屋も、今は見る影もない。近所の大型スーパーマーケットやAmazonなどのネットショップとの競争に敗れてしまったのだ。今はどこで何をされているのだろう。僕には知る由もない。

 

だけど、変わらないものもあった。

 

僕が子どもの頃によく食べていたコロッケ屋は未だに営業していて、大将は相変わらず元気そうに朝早くから仕込み作業をしていたし、子どもの頃によく利用していた本屋の店主は、あの頃とほとんど同じように感じた。

その本屋の店主は、強いこだわりがあるのか、いつも上下グレーの制服を着用していて、少し脚を悪くされているせいか歩き方に特徴があり、店主がトコトコと店の前を歩いているときに、僕は懐かしさが込み上げてきた。服装と歩き方があの頃と全く同じだったからだ。

 

まるで時が止まっているのではないかと錯覚した。あるいは、僕だけが30年後の未来からタイムスリップしてきたかのような感覚に陥った。変な話かもしれないが、僕は親に顔を合わせるだけでなく、この風景を見るために帰省しているのではないかと思う。「変わらないもの」を確認するために。

 

だけど、その風景もいずれ無くなっていく。気づけば、シャッターがおりていて、商店街はより一層閑散としていくのだろう。たぶんそんなに遠くない将来に。そういう哀愁を感じながら、僕は実家を後にした。そんな週末だった。