箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

「得体の知れない人間の怖さ」を初めて体験した幼少期の話

高畑勲監督の「おもひでぽろぽろ」には、幼少期のタエ子が父親に打(ぶ)たれるシーンがある。大人になってから、タエ子はこの過去を回想し、父親に打たれたのはこの1回だけで、何故打たれたのか分からないと述懐している。

 

僕はこのシーンが妙に心に残っている。

 

普通に考えれば、ワガママで行儀の悪かったタエ子の態度に業を煮やした父親が、タエ子への躾として打った・・・と考えるのが自然だが、そう考えるといくつかの疑問が浮かんでくる。

 

この作品に出てくるタエ子の父親というのは、非常に無口で、絵に描いたような昭和の親父である。なので、常日頃から子どもに対して暴力を振るいそうな印象を受けてしまうが、決してそうではなく、タエ子を打ったのはこの1回だけだという。つまり、日常的に体罰を加えていたわけではない。

じゃあ、タエ子が非常に行儀の良い娘だったのかと言うと、決してそうだとは思えない。この時だけ、たまたま行儀が悪かったのであれば、父親に打たれたのも納得できるが、「なぜこの時だけ打たれたのか分からない」とタエ子自身が言うくらいなのだから、この時以外にも行儀の悪い態度を父親の前で取ることもあったんだろう。作中にもそういうシーンはいくつかある。

 

だけど、父親はこの時だけ打った。だからこそ、タエ子の記憶に強く残っているわけだ。

 

僕は、なんとなく、この父親の態度に「得体の知れない人間の怖さ」みたいなものを感じていて、タエ子が人生で初めてその人間の怖さに触れた瞬間なのではないかと解釈している。何故なら、僕にも「なぜ打たれたのかよく分からない」という体験があり、同じ感情を抱いたことがあるからだ。

 

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確か、小学3〜4年生の頃だったと思うが、祖父母の実家に親戚で集まって、茶の間でワイワイとみんなで談笑をしていた。夏の時期だった。

大人たちはテーブルに座って、子どもには理解できない大人の会話で盛り上がり、子どもたちは、スイカを食べながらテレビを見ていた。祖母が切り分けたスイカと、瓶に入った味塩が、こたつテーブルの上に並んでいたのをはっきりと覚えている。

 

そしたら、僕の父親がどこかに電話をかけ始めた。今みたいにスマホや携帯電話がある時代ではない。固定電話だ。しかも祖父母の家にあった電話は昔ながらの黒電話である。その黒電話が、ちょうど僕の斜め後ろの位置にあったので、僕がスイカを食べている斜め後ろの位置で、父親が電話をかけている・・・という位置関係になった。

 

僕がムシャムシャとスイカを食べていると、いきなり後頭部に衝撃が走る。

 

僕はビックリして振り返ると、父親が怒った表情をしていた。

父親に打たれたのだ。

 

父親は通話中だったので、テーブルの上を指差しながら、僕に何かを訴えかけていた。僕は困惑しながらも、その指さした方向を見ると、そこに味塩の瓶があった。いや、それが一体何だと言うのか。

僕は父親が怒っている理由が分からず、味塩の瓶のフタが開けっ放しになっていることに腹を立てたのだと解釈し、瓶のフタを閉めた。これでよし。僕は再びスイカを頬張り始めた。

 

すると、また後頭部に衝撃が走る。また父親に打たれたのだ。

アムロ・レイに言わせれば「二度も打ったな」である。打ったのは父親なのだが。

 

今度はさっきよりも怒った表情で、激しくテーブルの上を指さしている。どうやら味塩の瓶になるかあるらしいのだが、いかんせん通話中であるため、父親が何を言いたいのかさっぱり分からない。僕は動揺した。どうしろと言うのか。

しばらくすると、ようやく電話が終わり、父親が僕に対してこう言った。「塩をかけすぎや!」と。そう。「塩分を取りすぎだ」と僕に言いたくて、後頭部を2回も打ったのだ。

 

僕はこの出来事を強烈に覚えている。

 

タエ子の父親と同じく、僕の父親も日常的に暴力を振るう人間ではないし、たとえ体罰を受けたとしても、自分の中で納得できる理由(僕がワガママを言って他人に迷惑をかけている等)が必ずあった。しかし、この時だけはなぜ打たれたのか理由が分からない。殴られるほどのことをしたとも思っていないし、実際そうだからだ。スイカにパラッと塩をかけて食べていただけだ。

 

この時、僕は初めて、「人間が怖い」と感じた。「父親を怖い」と思ったのではない。

人間という生き物は、意味の分からない理由で急に感情を剥き出しにしてくることがあり、その感情が自分に向けられることがある」と、僕はこの体験を通して感覚的に察知した。

 

父親に対しては、この感情を抱くことが他にも何度かあり、昔実家で住んでいた頃、家族全員で川の字になって広間で寝ていた時期があったんだけど、僕がふと目を覚ますと、何故か父親が少し離れた位置から僕のことを睨みつけている。僕が「どうしたの?」と聞いても、父親は怪訝な表情をして、沢尻エリカみたいに「別に」としか言わない。

 

僕に対して怒る理由があるなら(僕が何か悪いことをしたのであれば)、ハッキリ言うはずだし、あれは一体何だったのか未だに分からない。

 

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断っておくと、僕は父親に対して負の感情を抱いているわけではないし、普通に良好な親子関係を維持出来ていると思っている。もちろん今はそんな昔のことなんて、何とも思っていない。

 

だけど、僕が人間に対して抱いている根源的な不信感というか、冒頭にも述べた「得体の知れない怖さ」みたいなものは、父親との体験を通じて初めて体感したような気がするし、僕は意味の分からない悪意が自分に向けられるたびに、子どもの頃の体験が頭をよぎる。

 

そして、この体験は現在の僕の心理状態に繋がってくるわけだけど、それはまた別の機会に。