箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

漫画のキャラクターが「立っていない」とは何か?

漫画では「キャラが弱い」とか「キャラが立っている」とか、キャラの重要性を説かれることが多い。

 

ただ、これは別に創作に限った話ではなく、我々の日常生活においても全く同じであり、学校や会社においても、「キャラが立っている人」や「キャラが弱い人」が貴方の周りにいるはずである。

つまり、孫悟空やルフィのような空想上のキャラクターをわざわざ想起しなくても、自分の周囲にいる友人とか同僚、あるいはテレビやYoutubeの世界にいる有名人なんかを見ていれば、キャラの強い・弱いは何となく分かるはずであり、僕たちは日々色んなキャラクターを目の当たりにし、キャラクターとはどういうものなのかを体感しているのだ。

 

では、ここで問題です。

「キャラが立っている奴」と「キャラが立っていない奴」の差は何でしょう。

 

・・・これが今日の記事で書きたい内容である。

 

この問いに対する答えは、僕の中で結構はっきりとしていて、先に結論を言ってしまうと、両者の違いは「そいつの反応が予測できるかどうか」だと思っている。頭の中にはてなマークが浮かんだ方のために、全くキャラが立たない人生を歩んできた僕が全力で解説しよう。

 

自分の体験談から(キャラが弱いとは何か?)

僕は、学生時代にあまり友人が多くなかった自負がある。交流のある人間関係も非常に限定的であり、連絡を頻繁に取り合っていた友人なんて片手で数えられるほどしか居なかった。

もともと人見知りの性格で、人付き合いが下手だった…ということもあるが、他人との交流を完全に断っていたわけではなく、むしろその逆で、陰キャなりに頑張って他人と交流しようとしていた時期もある。その交流が発展することは無かったけれど。

 

さて、そのような僕の涙ぐましい努力は、呆気なく泡と消えるのだが、そうなってしまったきっかけは、僕が交流を図ろうとしていた人から言われた一言にある。今でも耳朶にこびりついている。

 

僕はその人からこう言われた。

◯◯(僕の名前)が何を考えているのか分からない」と。

その人は更に続けてこう言った。

 

キャラが分からないから、どう接していいのか分からない

 

・・・その人の何とも言えない表情は今でも忘れられない。

 

ただ、怪我の功名と言うべきか、僕は青春時代に経験した暗い過去の中に、実はキャラクター創作の答えを見出していたのだ。今となっては分かる。この言葉こそがキャラクターの強い・弱いの答えだった。

 

つまり、「キャラクターが分かる」というのは、「そいつが何を考えているのかが分かる」ということと同義である。

 

そして、ここでいう「考え」というのは、今この瞬間にそいつが考えていることを指しているのではなく、そいつの「考え方の傾向性」のことを意味しており、「分かる」というのは、「理解している」というニュアンスではなく、どちらかと言えば「予測できる」という意味に近い。

すなわち、「こういう状況になったら、コイツはこういう風に対応するだろう」…という予測が立つ、ということだ。

 

例えば、「コイツだったら、テスト直前まで試験勉強をサボるよな」とか、「コイツだったら、今度の大会に向けて必死に練習するはずだ」といった、その人の対応・反応を予測できる状態こそが、そいつのキャラクターが「分かる」という状態だと言える。

 

そして、友人同士においては、この予測が立つことが多い。「コイツだったら、ここまで失礼なことを言っても大丈夫だろう(怒らないだろう)」と反応を予測できるからこそ、ふざけたり、相手をイジったりすることが出来るのだ。

その予測が出来ない相手だったら、もしかしたらキレるかもしれないし、怖くてそんなことは出来ない。「キャラが分からないから、接し方が分からない」とその人が言った意味はそういうことだ。

 

キャラが強い・弱い理由

そう考えると、キャラが弱い理由はすぐに分かる。

キャラが弱い奴というのは「反応が弱い」のだ。

 

なにか話題を振られても、感情が顔に出ない。自分の意見を言わない。自分から話題を振り直すこともしない。

だから、そいつが何を考えているのかが分からない。どういうポジションの奴なのかが把握できないから、そいつにどう接すれば良いのかも分からない。

 

要するに、自己主張をしない奴である。

 

逆に、キャラが強い奴は「反応が強い」のだ。

 

ちゃんと感情を表に出す。自分のスタンスを明確にする。自分から絡んでいく。自分なりの考え方や意見を表明する。

そうやって、「俺は(私は)こういう人間ですよ」ということを対外的にアピールしている奴であり、「この人だったら、こういう反応をするだろう」ということが容易に予測出来てしまう。こういう奴が「キャラが立っている」ということなのだ。

 

例えば、誰でもいいので、売れっ子のテレビタレントや人気のYoutuberを頭に思い浮かべてみて欲しい。思い浮かべたら、その人にドッキリを仕掛けた場面を想像してみよう。

朝倉未来さんだったらどうか?ヒカルさんだったら?堀江さんは?ふわちゃんだったら?ひろゆきさんは?長州力さんだったらどう反応する?

 

・・・おそらく、その人の表情や仕草も含めて、簡単にその人の反応が予測出来たはずだ。

 

このように、その人の反応が明確に予測出来れば出来るほど、その人のキャラは強く立っているということであり、逆に、その人の反応が予測できないのであれば、それはキャラが立っていないということになる。

 

反応が強いとは何か?

ここで、「反応が強い」の意味を誤解してはいけない。

別に、大袈裟なリアクションを取るとか、感情をオーバーに表現する…という意味ではない。あくまでも「印象に残る反応をする」という意味である。

 

例えば、Breaking Downに出場している選手の中に飯田将成さんという方がいらっしゃるのだが、飯田さんは口数も少なく物静かであり、汚い言葉で相手を罵ったりもしないし、安っぽい挑発もしない。声を荒げることもない。普段はいつもニコニコしている優しい雰囲気の方だ。

しかし、試合になれば、一気に目つきが変わる。まさに殺気だ。檻から解き放たれたライオンのごとく、百戦錬磨の覇気を放っている。そして、実際に強いし、めちゃくちゃカッコいい。つまり、ちゃんとキャラが立っている。

 

飯田さんの場合、あまり多くを語らないことでむしろ強さが際立っており、これが飯田さんのキャラを引き立たせる上での「正しい反応」だと言える。反応が強いとはそういう意味だ。

 

反応が強い=面白いキャラではない。

もうひとつ誤解してはいけないのは、反応が強いからといって、面白いキャラとは限らない…ということだ。

 

例えば、突然通行人からピコピコハンマーで頭を殴られるというドッキリを実行し、それに対して、大声で怒鳴り返す…という反応をした人がいたとしよう。

確かに、反応が強いし、キャラ自体は立っているかもしれないが、面白いキャラか?と言われれば、おそらく違うだろう。なぜなら、その反応自体は普通であり、何の意外性もないからだ。

 

しかし、ピコピコハンマーで殴られた瞬間に、突然大声で歌い出す人がいたとしたらどうか。面白いと思うかどうかは人それぞれだが、少なくとも他の人にはない意外性のある反応であることは間違いない。

 

面白いキャラというのは、そういう意外性のある反応ができる奴のことを指している。大声で喚き散らす奴のことではない。

 

反応は「言葉」ではなく「ストーリー」で見せろ。

そして、この「反応」は言葉で語ってはいけない。

「ストーリーで見せろ」というのが漫画創作のセオリーだ。

 

例えば、以下のショートムービーを見て欲しい。

 

www.youtube.com

 

これは、オーバーウォッチ2というゲームに出てくるキリコというキャラクターのアニメーションムービーなのだが、キリコというキャラをよく知らない人でも、キリコの境遇を想像できる内容になっているし、キリコが敵らしき組織と向き合った時に見せた決意にみなぎった表情(反応)も、何となく意味を推測できるものになっている。

このムービーの中には、一切セリフやナレーションが出てこないにもかかわらず、キリコというキャラのことを何となく分かったような気にさせてくれる素晴らしいムービーと言える。

 

このように、キャラを立たせたいのであれば(キャラの反応を見せたいのであれば)、ストーリーで見せるというのがセオリーであり、これが「キャラにストーリー性を持たせる」の本当の意味である。

例えば、イジメられっ子がイジメっ子に仕返しをする物語があったとする。このとき、読者は「仕返しをした」という反応そのものに共感をしているわけではなく、イジメっ子を見返すために必死に格闘技の練習をしているいじめられっ子の背後にあるストーリーに共感しているのだ。

 

まとめ

もし仮に、編集者から「キャラが弱い」とか「キャラが立っていない」と指摘された場合、それは「反応が弱い」という意味であり、そのキャラの反応が分かるようなものを見せろ…という意味だと理解した方が良い。

そして、ここでいう「反応」というのは、大袈裟なリアクションを取らせるとか、感情を爆発させるとか、そういう意味ではなく、印象に残るような反応をするということであり、他のキャラとの差別化を図りたいのであれば、意外性のある反応を見せる…ということである。

さらに、その反応はストーリーとして見せる。これが鉄則だ。