箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

ネーム作業が進む時と行き詰まる時の差について

少しだけネーム原稿が進み、再び暗礁に乗り上げたので、気分転換にブログでも書こうかなと思う。

 

・・・もっとも、暗礁に乗り上げたとは言いつつも、何となく今回のネームは良い感じだと思っていて、少し目線・目先を変えれば再び軌道に乗るのではないかと勝手に予想している。と言うのも、「ネームがサクサク進む時」と「ネームに行き詰まってしまう時」との"差"が、ほんのり分かったような気がしているからだ。

 

まず、ネーム作業がサクサク進んでいる時というのは、キャラクターの人間性を掘り下げようという意識が先行していて、そこから逆算してエピソードを考えていることが多い。

例えば、「このキャラクターのセコい一面を見せたいなぁ」→「そうだ。自販機の下に手を突っ込んで小銭をネコババしているシーンを入れよう」・・・みたいな感じだ。キャラクターの人間性に焦点を当てているので、「何を描けば良いのか」が自分の中で何となくイメージ出来ており、それゆえ筆がサクサク進んでいく。

 

他方、ネーム作業が行き詰まってしまう時というのは、展開だけを考えていたり、説明が過多になっていることが多い。

例えば、「火星を探索中のNASAの隊員が、大嵐に巻き込まれて宇宙船を失ってしまう」というように、物語の展開"だけ"を考えているような場合だ。この場合、一見すると何を描けば良いのか明確なようにも思えるが、このシーンの中で、どういう人間性を見せたいのか、キャラクターをどのように掘り下げたいのかが自分の中で定まっていないので、どこに軸足を置いて描けば良いのか分からなくなってしまい、全く筆が進まなくなる。

(結果として、出来事だけを羅列したような説明臭いシーン描写になってしまう)

 

要するに、ネーム作業というのは、「キャラクターの掘り下げ」を先行させて、そこから逆算してエピソード・展開を考えないといけない。僕はついつい展開的な面白さばかりを追求してしまいがちであり、ネーム作業が行き詰まる時というのは、決まって展開だけを追っかけている。

この点はちゃんと肝に銘じて、「ちゃんとキャラの掘り下げから考えろ」と自分に言い聞かせたい。

 

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閑話休題。

 

最近、Twitterで炎上している某漫画編集者のツイートについて少しだけ。

 

 

これはクライアントとしての意見であれば分からなくもないし、100%間違ったことを言ってるとも思わないが、残念ながら漫画業界の実態として、ネーム作業は無報酬であり、漫画家は無報酬で編集者の修正指示に従っているという客観的事実がある。

つまり、この編集者の意見は、「無報酬だろうが何だろうが、プロならばクライアントの想像を超えるような仕事をしろ」と言ってるに等しい。そりゃ炎上するに決まってる。なぜ報酬も発生しないのに、そんなことを要求されなければならないのか・・という話になってしまうからだ。それこそ、この編集者の言うように「はあ?」と反応してしまう話である。

 

ネーム作業を有償にするか、あるいは、そういった意図をすべて漫画家に丁寧に説明した上で、「想像を超えるようなネームを描いて欲しい」と要求すべきではないかと思う。