箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

【レビュー】「すずめの戸締まり」は物凄く現代的な感覚の作品だった。

「すずめの戸締まり」を映画館で鑑賞してきた。何というか、良い意味でも悪い意味でも、今風だなーと感じてしまった。

 

(以下、ネタバレあり)

 

セカイ系なのは別にいい。「君の名は。」以降は、毎回同じような展開であり、毎回同じような映像を見せられている気がしないでもないが、それを言うなら、他のジャンルの作品もそうだし、もはやセカイ系をひとつのジャンルとして捉え、「少年少女が世界の危機に立ち向かう」「世界を救う特殊な力を持っている主人公またはヒロインが犠牲になる」と分かった上で鑑賞しなければならんと思う。異世界転生系と理屈は同じだ。

 

だから、別にそこは良いんだけど、今作は主人公の関係性がとっても薄い。

 

ヒロインのすずめは、閉じ師をしている宗像草太の旅について回ることになるんだけど、草太に対しては「イケメンだから」「一目惚れしたから」という理由以外に一緒にいる動機がない。物語の途中で要石にされてしまった草太を救出する理由も「惚れた男を助ける」という理由以外にない。

自分の命を賭けて危険な橋を渡るわけだから、それ以外にも何か特別な理由があるんだろう…と思って観ていたら、見事に理由はそれだけだった。千と千尋の神隠しにおける千尋とハクのように、実は幼少期に2人は出会っていた…というような運命的なものはないわけだ。

(※)正確に言うと、幼少期のすずめが迷い込んだ常世の世界には、宗像草太も居たんだけど、その場に居合わせたというだけで、幼少期のすずめとの接点はないし、幼少期のすずめに何かを働きかけたということもない。それをしたのは高校生になったすずめである。

 

そして、2人の仲が深まっていく描写も圧倒的に少ない。

物語の冒頭において、いきなりすずめは草太と出会い、いきなり恋をして、いきなり草太の後を付いていくんだけど、登校途中に草太から道を尋ねられただけである。別に何か特別なイベントが発生するわけでもない。

そこから一緒にミミズを後戸に封じ込める旅に出ることになるんだけど、長期間にわたって寝食を共にするような大冒険があったわけでもなく、作中での時間軸で言うと、おそらく数日間一緒に旅をしていただけである。しかも、その大半は椅子の姿だ。これで2人の関係性が深まったとか、特別な絆が生まれた…と言われても、さすがに無理があるでしょと言わざるを得ない。

 

これについては、それほど特別な理由というか、運命的なものを必要としない世の中になったんだろうなーと思う。

最近の恋愛作品においても、男女が紆余曲折を経ながら交際するまでを描くのではなく、最初から付き合っている状態からスタートするのが普通だという。つまり、現実世界の我々の恋愛に近い。「好き」という感情以外に特別な理由を必要としないし、それが普通である。千尋とハクのように、実は幼少期に出会っていた…というような運命的要素は無い方が自然だ。

だから、本作のような関係性でも現代人は納得できるんだろう。すずめはイケメンの宗像草太に一目惚れし、彼に恋心を抱き、好きだからこそ助けた。理由はそれだけで良いじゃないか…と。

 

しかし、だからこそ引っ掛かる…と言ってもいいかもしれない。

おそらく、新海誠監督は、そういった現代人の趣向を理解し、現代人の好みに合わせて、わざとそういう作り方をしたんだろうと思うけども、これは物語創作なのだから、現実に即して描かなくてはならない理由なんてない。むしろ、「君の名は。」とか「天気の子」はもっと現実離れしていたわけだし、僕はもっとファンタジーっぽくしても良いんじゃないかと思ってしまう。