箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

最近気になっている絵柄についての備忘録

最近、僕が気になっている作家さんが2人いて、絵柄についてめちゃくちゃ参考になるなーと思っている部分があるので、備忘録として書き残しておこうと思う

(なお、今回は絵柄についてしか言及していないけど、もちろん作品の内容も素晴らしく、機会があればそれはまた違う記事で言及したい)

 

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まず1人目は、月刊アフタヌーンで「メダリスト」を連載している『つるまいかだ先生』について。

 

僕がつるま先生の絵柄で「すげえ」と思っているのは、きっちりとした綺麗な線を引くのではなく、ややもすれば雑に見えてしまうラフな線を大胆に引いているところだ。ところどころ線が途切れたり、何本も線を重ねたり、雑に描き殴ったり、わざと偶然性を楽しむような描き方をされているように見える。

 

これだけラフな線を引くと普通は汚く見えるし、少なくとも僕だったら絶対にそうなる(だからもっと綺麗な線を引こうとする)。でも、つるま先生の絵は何故か「綺麗」と感じてしまう。とても不思議だ。特に、主人公・結束いのりの表情の描き方はエゲつない。一見するとグチャグチャな線で描いているのに、彼女の頬を伝う涙を「美しい」と感じてしまうのだ。

こういうふうに、絵全体を見たときに「綺麗」「美しい」と感じる絵を描ける人は、本当に画力が高い人だなと感じる。線も絵を構成する要素のひとつに過ぎないと理解されているというか、絵全体の印象をコントロールできているんだろうと思う。

 

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続いて2人目は、Twitterでオリジナル百合漫画「気になってる人が男じゃなかった」を執筆されている『新井すみこ先生』について。

 

僕が新井先生の絵で「すげえ」と思っているところは、「構図の素晴らしさ」と「生き生きとしたキャラクターの表情」だ。

 

本作は「バストアップ構図」が数多く取り入れられており、ほとんど顔しか描いていないようなページも多い。これは、新人漫画家がよく陥ってしまう「顔漫画」と呼ばれるもので、普通は良くないとされる。本作のような構図に対して、「状況が分かりづらいから、もっと引きの構図も描こう」と指導する編集者もたくさんいるはずだ。

しかし、新井先生の場合は、ドーンと目を引く魅力的なキャラの表情のおかげで、この点が全く気にならないというか、細かい問題を覆してしまうだけの勢いがあると感じる。もっとキャラクターたちの生き生きとした表情を見せてくれ…!と思ってしまう謎の中毒性があるというか、見ていてワクワクするような絵というか。「なるほど。こうやってキャラの魅力を伝えていくんだな」と僕は思わず納得してしまった。

 

新井先生の絵については、線の引き方がアナログっぽいところも僕の好みだし、先述したつるま先生とはまた違った上手さがあって、この人もマジで画力の高い先生だと思う。

(ちなみに、Twitterにあげられている過去絵を見ていると、本作のようなコミカルな絵だけではなく、物凄く緻密に描かれた繊細な絵もあって、本当に表現の幅が広い)

 

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このお二方の絵柄は、「大胆に描くところは大胆に描いて、繊細に描くところは繊細に描く」というメリハリが効いてる点で共通している・・・と僕は感じた。それは絵が上手い人全員に共通して言えることかもしれないけど。

 

僕も含めて、絵の力が弱い人はこのメリハリが全然ない。すべて同じような線で描かれたような淡白な印象を与えてしまい、キャラや作品のインパクトがどうしても弱くなる。すべて大胆に描いてしまうと大味な絵になってしまうし、すべて繊細に描こうとすると今度は弱々しい絵になってしまう…という具合に(大抵の場合は、そのどちらかに陥る)。

だけど、絵の印象をコントロール出来る人は、一歩引いた位置から冷静に絵を俯瞰出来るというか、どこに手をかけるべきなのかがちゃんと分かっている。「ここはもっと線を描き入れよう」「ここはアッサリと描こう」という総合判断ができるというか。

 

もちろん、作風も違うし、目指している方向性も違うので、自分がやりたい方向性で好きに絵を描けば良い。だから、必ずしも絶対に正しい絵の描き方があるわけではないけども、その根底にあるものは是非とも参考にしたい。そう感じた。