箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

個性を追求するレベルじゃないと気づいた。

最近、もう一度初心に返って、模写をやるようになってから気づいたんだけど、僕は「個性」を主張するようなレベルじゃないんだなと思ったし、そもそも根本的に画力が低いんだなと痛感させられた。ていうか、個性なんて出そうと思って出るもんじゃない。勝手に滲み出てくるものなんだよ。

 

だから、ちゃんと自分のことを下手だと認めて、もっと謙虚になって、もう一度イチから練習し直そうと決意した。自分の個性が認められないことに対して、商業誌や大衆への暗澹たる思いが頭をかすめることもあったけど、違うそうじゃない。個性とか言う以前に下手なのだ。素直に認めろよ。俺。

 

んでもって、ここ1ヶ月ぐらいは、自分の方向性をぐーたらと考えていたけど、「自分の理想の絵を追求する」という前回の記事の方向性は間違っていないと思う。

pochitto.hatenablog.com

 

だけど、誰とも被らない完全オリジナルの絵柄とかはダメだ。それは確かに新しい表現かもしれないけど、誰にも共感されない独りよがりでしかない。そうならないように、ちゃんと世間のニーズを研究して、世間で「良い」とされているものに対する理解を深めていこうと思う。個性というのは、そういった流行から派生したものだからだ。

 

◇◆◇◆

 

僕は「描きたい」という感情が先にあって、その感情に基づいて絵を描くもんだと思っていた。だから、そういった自身の内なる感情を優先していたんだけど、僕の中にある「描きたい」という欲求はたびたび暴走しておかしな方向にいく。「他人と違うことをしたい」という願望が強すぎるあまり、世間のトレンドなどをガン無視して独自路線でやっていくことが多かった。

 

僕は昔からそういう傾向があって、例えば髪型とかファッションなんかもまさにそうで、ファッション雑誌で流行りの服を研究するといったことを一切せずに、自分が「カッコいい」と思ったものを特に何も考えずに組み合わせて着ていた。たぶん、超絶ダサかったと思う。思いつきでチェック柄のパンツとか履いてたからね。

んで、ある時、IKKOさんが「自分が着たいと思っている服は、大抵の場合その人に似合っていない」という話をされていて、僕は自分がダサいということにやっと気づいた。それから、ファッションのことを多少勉強するようになったし、自分に似合う服が何なのかを真剣に考えるようになった。そこから「オシャレ」とは言わないまでも、「普通」ぐらいにはなったと思う。

 

ぶっちゃけ絵も一緒だと思う。「俺はこういうのが描きたいんだ」という感情を優先させて描くと、それこそかつての僕のファッションのように、超絶ダサいものに仕上がる。自分はそれを良いと思っているんだけど、周囲から見ればめっちゃダサい…みたいなね。だから、完全オリジナルはダメで、ちゃんと研究しろってのはそういうことなんだ。特に僕みたいな奴は。

 

僕は、今のトレンドを研究することについて、「自分の好みと違うことをやっても楽しくない」と勘違いし、ずーっとそれを遠ざけてきていた。だけど、今のトレンドを研究することで見えてくるものもあるし、「そういう方向性もあったのか」と気づくことで、今まで以上に絵を描くことが楽しくなる気がしている。前回の記事でも触れたとおり、「成長・変化」を楽しむとはそういうことだと思う。

 

◇◆◇◆

 

僕は自分が思っている以上に自分のことが分かっていない。自分の感性を信じて、個性的なことをやろうとしてきたけど、今から冷静に振り返ると、それは全く自分に合っていなかったようにも思う。何故なら、ほとんどアイデアらしいアイデアが思い浮かばなかったから。

 

たぶん、僕の理想というのは、僕の「現在の意識」の中には無くて、流行りの作品とか、自分の中にある「好き」を追求していく過程で、徐々にその輪郭が見えてくるんじゃないかなと思っている。

 

あと、他者評価に依存していたクリエイティブライフを根本的に変えようと思う。他者から評価されることが重要なのではなくて、自分自身が感動することが一番重要であり、自分自身の感動を他者にお裾分けしているうちに、気づいたらファンが増えていた…というのが理想なのだ。まず、自分自身が感動できるものを描く。そこからだと思う(逆に言うと、それすら出来ていなかった)。

 

というわけで、しばらくは練習の日々だなー。描きまくるかー。