箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

SNSの終焉と「人と距離を取る時代」の到来

岡田斗司夫さんは、人間がSNSにハマってしまう理由について、自己承認欲求を充足させたいからではなく、人間の生存本能に基づくものである…ということをYoutube動画で力説されていた。面白いので、興味がある人は是非見てほしい。

 

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まあ、岡田斗司夫さんがフンフンと鼻息を荒くして、人間の本質というか本能のようなものを掘り下げようとしなくても、人間にとってSNSが害毒でしかないのはもう半分以上答えは出ていると思うけどね。

何というか、共産主義の終焉ならぬ、SNSの終焉みたいなディストピア世界が、近い将来、SF界隈で描かれるようになるのではないか・・・というぐらいSNSは終わってる。SNSの興隆を先導したのが国家ではなく一部のIT企業であるという点において、共産主義の流行とは異なっているけども、10年ぐらいかけてSNSというプラットフォームに人間を集め、そこで自由に交流させた結果、人類は見事に対立とマウントの取り合いしかしなかった。

しかも、この壮大な社会実験が示した結果データは、何も目新しい部分はなく、最初から分かりきっていたことであり、その事実がより人類への絶望を深めた。あるいは、人によっては、人類の愚かさを再確認し、「もはや人間を信じまい」と決意を強固にしたことだろう。

 

思想や属性といったものを取り払って、人間をひとつのコミュニティに集約しようとすること自体が無謀であり、さっさと人間の限界を悟ってSNSを根絶やしにするほうが、人類にとっては遥かに有益だと思うけどね。どうせ対立しかしないんだし。

ところが、この社会には人間の可能性を信じている人が未だに多いらしく、心無い誹謗中傷に対して、「相手のことを考えよう」「投稿する前に言葉を見直そう」と、学校の教師みたいなことを言う人があとを絶たない。もちろん何も間違ったことは言っていないが、そんなことを言っても無駄だと早く理解した方が良い。犯罪者をゼロに出来ないのと同じ理屈で、人のことを傷つけないと気が済まない人間も紛れ込んでしまうSNSの世界においては、誹謗中傷を根絶することはもはや不可能である。

 

承認欲求を肥大化させて苦しんでいる人も同じである。

岡田さんの主張する説によれば、人間は「自分は群れにとって有益な人間である」ということをアピールしないと気が済まない生き物であり、全ては生き残るための生存プログラムだという。もし、自己存在アピールが生存本能に基づくものだとすれば、SNSという群れの中に身を置く事自体が人間にとって害悪でしかないということにならないだろうか。

 

まあ、いずれにせよSNSなんてろくなもんではない。たぶん、人類全体を巻き込んで壮大な社会実験を行った一部のIT企業もとうの昔に分かっているし、本当は「SNSは人類にとって害悪でしかない」という結論に至っているはずだ。それでもなお、SNSを廃止できない理由は、国民をコントロールする装置としてSNSが超優秀であり、多くの企業体や国家にとって、SNSのある社会の方が都合が良いからだろう。

もしそうだとすれば、テレビが支配していた時代に情報リテラシーを高めて防衛機制を張っていたのと同じく、SNSと適度に距離を取るなどして、私たち各人がそれぞれ自己防衛を図るしかない。

 

SNSが流行った当初は、「人との距離をいかに無くすか」みたいなことが盛んに叫ばれていたけれど、今はその逆で「人といかに距離を取るか」ということがテーマになっていると感じる。

少なくとも僕はそれを強く意識しているし、人と距離を取らないと本当の自分が誰なのか分からなくなると思う。たぶん、多くの人にとってもそうなんじゃないかな。