箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

続・「反応しない」ということ。

今から約1年半ほど前に、僕はこういうブログ記事を書いた。

 

pochitto.hatenablog.com

 

これからの人生のテーマを「反応しない」と設定したのだ。

他人の評価、ネット上で交わされる意見、言葉の暴力・・・云々。そういうものを見るたびに「反応しない、反応しない」と自分に言い聞かせ、自分が不快に感じるものから徹底的に距離を取ってきた。

 

ただ、どうしてもメンタルが安定しないタイミングがあり、最近も創作活動をしていると、同じことがグルグルと頭の中を駆け巡り、後悔とか、怒りとか、悲しみとか、そういう感情が溢れてきて、あまりにも不安が強かったため、去年ぶりに心療内科を訪ねて、頓服薬を服用したりしていた。

 

そうやって僕が思わず反応してしまったのは「過去の記憶」である。

 

つまり、僕の身の回りで起こっている「現在の状況」に対して心を揺り動かされたのではなく、昔友人に言われたひどい言葉とか、僕自身が他人に迷惑をかけてしまった事とか、そういう「過去の記憶」がブワーッと頭にフラッシュバックしてきて、心がグチャグチャになってしまったのだ。

 

ちなみに、僕には、今となっては死ぬほど嫌いな友人がいて、その友人のことをボロクソに書き殴ってやろうと何度思ったか分からない。それぐらい感情がグチャグチャだった。

けど、それでは「反応しない」というテーマに反するし、僕は何とか溜飲を下げて、そんなことを書くのはやめよう、と思いとどまった。

 

*****

 

僕は普段、ほとんど自己啓発系の本を読むことは無いんだけど、自分の思考の整理のために、某教育系Youtuberが紹介したことによりベストセラーになった「反応しない練習」という書籍を読んでみることにした。

 

 

こちらの本のレビューを兼ねて、自分自身の思考を再度整理したい。

 

*****

 

著者である草薙さんの考え方は、なんというか、昔読んだ宮崎駿先生と養老孟司先生の対談集を読んでいる感覚に近いというか、「現代人は人間に対して関心を持ちすぎている!そんなもん捨てて、さっさと自然を体感しに行け!」と主張しているような印象を受けた。いや、もちろん、草薙さんはそんなことは言ってないんだけど、僕は近いと思っている。

 

この本の要点を僕なりにまとめると以下の通りである。

 

まず、人間の苦しみの原因は「心の反応(ムダな反応)」であり、「相手に対する期待」とか「自分の人生はうまくいかない」といった「判断」は、すべて頭の中で起こっている「妄想」に過ぎないと位置づけたうえで、自分の心の状態を客観的に理解することに努めろという。

そして、草薙さんは、頭(心)の中で発生している「反応」と、今自分が感じている身体の「感覚」を切り離し、後者の「感覚」を意識することで、ムダな反応は止まり、心は静まり、深い落ち着きを可能にすると主張している。

 

要するに、先程の宮崎・養老先生の主張に置き換えて言うのであれば、「人間への関心を捨てろ」というのは、例えば、芸能人のスキャンダルを聞いて胸がモヤモヤするとか、自分と異なるネットコメントを見て「コイツに一言ガツンと言ってやりたい」とか、そういう「ムダな反応」のことを言ってるのであり、「俺が正しい」とか「コイツが間違っている」といった「判断をやめろ」と言ってるのと同じである。

そのうえで、「自然を体感しに行け」というのは、自分の頭の中で起こっている「感情」や「判断」に振り回されるのではなく、自然に接することで、「風が気持ち良い」とか「水が冷たい」とか、今自分が感じている身体の「感覚」が研ぎ澄まされ、「ムダな反応」や「妄想に過ぎない判断」が止まり、心の平静を取り戻すことができる・・・と言ってるのと同じだ。

 

僕が両者の意見が近いと言った理由はそういう点にある。

 

僕はこの意見・主張は凄く理に適っていると思う。何故なら、身体の「感覚」というのは、今まさに自分に起こっている「真実」であり、自分の意識を「今この瞬間」に集中させることができるからだ。

「過去の記憶」とか「感情」とか「判断」は、全て頭の中で起こっている「妄想」に過ぎないが、「自分の頬を撫でた風の冷たさ」とか、「歩いている時に足の裏に伝わる地面の凸凹」は紛れもない「真実」であり、この感覚に意識を集中させることによって、自分を苦しめている頭の中の「妄想(虚構)」から距離を取ることが可能となる。

 

日頃ネガティブな判断が心に湧いてきたら、そこで「ゲームオーバー」だと考えましょう。その先に待っているのは、自己否定という暗い妄想です。その闇の中に希望はありません。考えても答えは見つかりません。いさぎよく「感覚」の世界へ、心の別の領域へ、意識を向け換えようと考えるのです。そして、外に出るのです。

(本著79頁より)

 

これは読んでいて、思わずなるほどなーと唸ってしまった。

 

例えば、今の僕の身の回りに、めちゃくちゃ性格の悪い人がいて、偶然にもその人と関わることになってしまったとしよう。要するに「ムダな反応」が起こってしまう状況である。

厄介な問題だが、なんとか適当にその場を凌ぎ、次回以降はその人と関わらないようにすれば、ダメージは最小限で済む。これは、ネット上で嫌なコメントを読んでしまった場合でも同じであり、すぐにページをスクロールして読み飛ばすとか、ブラウザバックすれば、ムダな反応をすぐに静めることができる。

 

つまり、「現在発生している問題」については、「物理的に距離を取る」という戦法が使える。

 

しかし、「過去の記憶」については、「物理的に距離を取る」ということができない。否応なしに頭の中に浮かんでくるものだからだ。だからこそ、もう自分と関わりのない昔の友人のことが何度も脳裏に浮かんできて、その友人に対する怒りの感情(ムダな反応)とか、「その友人は間違っていた」という判断とか、相手はこうあるべき・自分はこうあるべきという期待・欲求とか、そういう「妄想」で悩み続ける状態が続いていた。草薙さんはこれを「終わりのないバトル」だと表現している。

 

「腹が立った」(怒りという感情が湧いた)ときには、もう即座に相手への反応ー「あの人はこう言った」「こんなことをしてきた」ーという思いで一杯です。あとは怒りの感情と「自分が正しい」「相手はこうすべき」という判断をぶつけ合うだけ。こうして、終わりのないバトル(悩み)に突入します。

(本著97頁より)

 

まさに終わりがない。いつまで経っても心が納得しない。あーでもない、こーでもないと考えて悩む。心が反応し続けているからである。

 

この負の連鎖を断ち切るために、草薙さんは「相手のことを判断しない」「記憶に反応しない」と主張したうえで、「反応の源を絶つ」すなわち「鬱陶しい相手と距離を置くこと」が重要であり、「いつの日か理解し合える日がくる」と考えて生きていけば良いという。「今」に集中しろと。

 

「過去を引きずる(過去を理由に今を否定する)」というのが、それ自体、心の煩悩、邪念、雑念なのです。

人生に、あやまち、失敗はつきものです。ただ肝心なのは、そのとき「どう対応するか」なのです。

落ち込まない。凹まない。自分を責めない。振り返らない。悲観しない。それより、今を見すえて、正しく理解して、"ここからできること"に専念するのです。

(本著84頁より)

 

そして、「今」に集中するために「感覚」を大事にしろという主張へと繋がっていく。

 

*****

 

心が反応してしまったとき、「過去の記憶」という「妄想」に支配されてしまったとき、そういう苦しいときにもう一度読み返したいと思えるような本だった。

この本を読んで、「じゃあ「感覚の世界」に意識を向けるためにはどうしたら良いんだろう?」と、次のステップのことを考えている自分がいる。

 

僕がこの本の中で、再確認したこととしては、「相手に反応すれば確実に自分の心を失う」ということであり、「自分自身が納得できる人生を送りたいという動機で生きていけば良い」とことだ。「自分が納得できるかどうか」という自分軸の価値基準を作り、(草薙さんの言葉を借りるなら)「快」を求めて今を一生懸命に生きていけばそれで良い。「快」というのは「自分が納得できる状態」なのだから。

 

自分の言葉と、この瞬間の思いと、今できることーそれ以外のことは、結局は「妄想」です。

(本著148頁より)