箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

少年漫画と青年漫画の違いを整理しながら次の方針を練る。

少年漫画を描いてた人間が、青年漫画に本格移行するにあたって、少年漫画と青年漫画の違いを自分なりに考察しながら、今後の方針や方向性を考えてみたい。

 

 

テーマとキャラの位置付け

以前、少年漫画と青年漫画の違いについてブログで取り扱った際に、僕はこういう記事を書いた。

 

 

ここではストーリーの優先順位について言及し、少年漫画と青年漫画のどちらにおいてもストーリーの位置付けは低いという話をしていたのだけど、それは既に僕も分かっているので、敢えてここで取り上げることはしない。

 

改めてこのトピックについて考察するに、僕が着目したいのは「テーマとキャラの位置付け」である。すなわち、少年漫画ではテーマよりもキャラが重要であり、逆に青年漫画ではキャラよりもテーマが重要になる。完全にテーマとキャラの位置付けが逆なのだ。

確かに、青年漫画を読んでいると、キャラに惹かれるというより、その作品が持っている世界観とか、そこで伝えようとしているテーマに惹かれることの方が多い。おそらく、この点に青年漫画の本質があるんじゃないだろうか。

 

その点についてさらに深く考察すると、「キャラの変化(カタルシス)」という論点に行き着く。実は以前にも同じことを議論していて、僕はこういう記事を書いた。

 

 

要するに、少年漫画では主人公の変化(成長)が強烈に求められていて、「あんなにも弱かった主人公がこんなにも強くなった」という変化を楽しむ物語構造になっている。その変化幅が大きくなればなるほどカタルシスが強くなり、作品のエンタメ感が増していくことになる。少年漫画で求められているのはそういう「主人公の成長を楽しむエンタメ」である。

 

つまり、少年漫画では主人公の変化にフォーカスが当てられており、「主人公に共感してもらおう」という基本コンセプトがあるため、自ずとキャラの優先度が高くなるというわけだ。

逆に、青年漫画では主人公の変化がそれほど強く求められておらず、最後のオチも読者の想像に委ねるようなものでもOKとされていて、その代わり主人公の背後にあるテーマをしっかりと説得的に描くことが強く求められている。

 

キャラ描写

そういう事情もあってか、青年漫画におけるキャラ描写は、明らかに少年漫画とは違う。

 

少年漫画では、主人公の変化・成長を読者に共感してもらう必要があるため、主人公が抱えている悩み、葛藤、願望、目的、意志といったものを分かりやすく明示しなければならない。例えば、ルフィが「海賊王に俺はなる!」と叫んでいるのは、決意をセリフで言わないとルフィの成長が読者に伝わらないからだ。このように、直接表現によってキャラを分かりやすく伝えるのが少年漫画の特徴だと言える。

 

しかし、青年漫画では、「海賊王に俺はなる!」と主人公が叫ぶことはほとんどない。現実世界に自分の決意を大声で叫ぶ奴はいないし、そんな表現をすれば途端にリアリティがなくなってしまう。

例えば、小山先生の「宇宙兄弟」の第1話は、主人公(六太)が宇宙飛行士になることを決意するエピソードが描かれているけど、六太は「宇宙飛行士に俺はなる!」と叫んではいない。キャラの変化を分かりやすく伝えることよりも、六太の人間性を掘り下げるエピソードを積み重ねながら、作品のテーマ(「人生をやり直そうとしている大人の挑戦」とか「兄弟の絆」など)を伝えることに重きを置いていることがよく分かる。

 

 

だから、青年漫画のキャラはあっさりとした見た目をしていることが多い。

 

例えば、少年漫画にはやたらと肌を露出したお色気キャラとか、奇抜な服装・髪型をした破天荒キャラが出てきたりするけど、「なんじゃこのキャラは!?」という衝撃を読者に与えて、キャラに一番注目して欲しいからである。

しかし、青年漫画では、何度も言うようにキャラではなくテーマが主役なので、必ずしもキャラが衝撃的な見た目をしている必要がなく、テーマの邪魔にならないように敢えて普通の見た目を選択することが多い。これも青年漫画の特徴のひとつだといえる。

 

演出

キャラ描写の他に、もうひとつ大きな違いとして、「演出」の違いが挙げられる。

 

少年漫画では、キャラの魅力を分かりやすく伝えることが至上命題とされているため、「とにかく顔(表情)を描け」と言われる。キャラの感情を伝えるにあたって、表情を描くことが最も効果的だからだ。そうすると、自然と表情の割合が多くなり、いわゆる「顔マンガ」のようなコマ割りになってしまうことも珍しくない。

他方、青年漫画では、もちろんキャラの表情も描くが、カメラワークを工夫して、映像演出でキャラの心情を切り取ったり、物語の魅力を伝えていくことが多い。「分かりやすさ」よりも、「エモさ」とか「作品に漂う雰囲気・世界観」の方が大事だからだ。キャラの演技も直接的な感情表現ではなく、会話やカメラワークといったものを通して間接的・婉曲的に表現することが求められている。

(分かりやすい演出で描かれた青年漫画も中にはあるけども)

 

この演出の考え方の違いは、大ゴマにも現れており、少年漫画ではカッコいいキャラのポーズを見開きでドーンと見せることもあるけど、青年漫画ではほとんど大ゴマを描かないこともあるし、仮に描いたとしても、印象的なシーンの一部を大きく描くことが多い。これも少年漫画と青年漫画の大きな違いだと思う。

 

個人的には、テーマ・キャラの位置付けと併せて、演出の違いが少年漫画と青年漫画の決定的な差異であり、演出にその作家の個性・センスとか、その作家独自の空気感が現れると考えている。青年誌が重視しているのはおそらくそこである。

ゆえに、少年漫画ではキャラを描くのが上手ければそれだけで通用することもあるけど、青年漫画ではむしろキャラ描写の上手さよりも、演出の上手さが求められていて、そこで作家性を出せない人はたぶん通用しない。これが青年漫画を研究してきた僕なりの結論である。

 

絵柄・デザイン

もうひとつ、絵柄やデザインの違いについても言及しておく。

 

先ほど、キャラ描写のところで言ったとおり、青年漫画では少年漫画みたいな派手さは求められておらず、あっさりとしたキャラを描く人が多い。

ただし、総じて青年漫画の画力は高く、緻密な描き込みをする作家が多いのも特徴のひとつだと思う。例えば、「乙嫁語り」の森先生は、民族衣装や伝統工芸品などのディテールにこだわりまくり、細部まで描き込んだ絵を得意とされている。森先生が「描き込み魔」と言われる所以はここにある。

 

 

ただし、絵柄やデザインについては、少年漫画と青年漫画でそれほど大きな違いがあるわけではなく、ある程度トレンドに合わせることが求められるものの、「ちゃんとテーマと絵柄が合っていて、その作家さんの個性が出ていればOK」と言われることがほとんどだと思う。

僕が思うに、少年漫画ではコメディ要素が多いので、コミカルな絵柄の人が多いとか、逆に青年漫画ではリアリティを追求した作品が多いので、写実的な絵柄の人が多いといった「傾向」があるだけで、別に青年漫画でもコミカルなデフォ絵を描く作家さんはいる。例えば、僕の好きな山本和音先生の絵柄は思い切りデフォ絵である。

 

個人的には、少年誌・青年誌のいずれにおいても、今は画力タイプの作家さんがインフレを起こしていて、「ただ単に上手い絵を描くだけの作家は要らない」という風潮になっているような気がしないでもない。

少年誌・青年誌の双方で求められている人材とは「他の作家とは違う雰囲気の絵が描ける人」であり、最低限の画力さえ備わっていれば、それ以上の画力は求められていないような気がする。先程の演出と併せて、その作家独自の空気感を出すことが最も重要だと思われる。

 

ストーリー

優先順位としては低いが、一応ストーリーについても触れておく。

 

少年誌・青年誌のいずれにおいても「問題提起→解決」という基本枠組みは変わらず、ストーリーの本質はどちらも同じである。

ただ、ストーリー思考に偏ってしまうと、どうしても演出が「ストーリーの説明」になってしまい、キャラの演技(アクション・リアクション)も平凡で退屈なものになりがちでなので、ストーリーの大枠の流れだけ考えたら、あとは演出を工夫することにリソースを割くべきだと僕は考えている。

 

ストーリーの要素として、「導入のインパクト」「物語の方向性の分かりやすさ」「主人公に降りかかる困難の連続」「意外性のある展開」「テーマ性が伝わるクライマックス」といったテクニカルなポイントはあるものの、それはあくまでも要素であって、重要なのはそれをどう演出するかという点である。それを決して忘れない。

 

所感

漫画初心者は、最初のうちは演出に凝っているのに、そのうちだんだんそういう尖った部分がなくなっていって、セリフやナレーションが増えていく傾向にある。なんでそうなるかと言うと、編集者が短絡的に「分かりづらい」と言っちゃって、漫画初心者はその言葉を「説明が足りない」というふうに受け取るからだ。だから、分かりやすく伝えようと思って、言葉や説明が増えていくことになる。

 

しかし、最近その認識が間違いだと僕は気付いた。

と言うのも、僕の今の担当編集がまさに「分かりづらい」とあけすけに言っちゃうタイプの人で、最初のうちは「説明が足りないのかな」と思って説明のコマを付け足したりしていたが、あるとき、セリフはそのままにして絵だけ変更したら、「分かりやすくなった」と言われたことがあった。

 

そのときに僕はピンときた。要するに、「分からない」というのは、「物語の意味が分からない」と言ってるのではなく、「納得できない」「共感できない」と言ってるのであり、「キャラの心情を裏付ける絵や演出が足りない」と言ってるのだ。あれこれと言葉や説明を付け足したところで、物語の意味が「理解」できるだけで、「納得」や「共感」はできない。結局のところ、漫画は絵である。

 

この点に気づいてから、僕は「もっと演出にこだわろう」「読者に伝わると信じて説明を極力省こう」と思うようになった。青年漫画で問われることはまさにそこであり、「テーマを作家独自の演出で伝えること」が青年漫画の本質だと考えている。まずこれが大前提となる。

 

そのうえで、青年漫画で好まれていることを分析するに、「その作家が持っている独特の空気感」が強く要求されているように思う。単純な上手さよりもそういった個性の方が100億倍重要であり、例えば、市川春子先生の「宝石の国」は、コマ割り、セリフ運び、会話の間合い、カメラワーク…等々、何もかもが個性の塊である。市川先生は決して画力タイプの作家さんではないけど、市川先生の作品からしか摂取できない栄養素があるように感じる。

 

 

この点に関していうと、僕はどうしても「上手く描こう」という意識が強くなってしまい、「上手い絵」にこだわる傾向がある。もちろん、ある一定の上手さは必要だし、プロとしてやっていきたいのであれば、上手さにこだわることも必要だけども、上手いだけではその先がない。「その作家からしか摂取できない何か」が要る。

 

***

 

というわけで、以上のポイントを踏まえて、次回作の制作に取り掛かっていこうと思う。

僕は過去の経験から、ネーム工程で印象的なエピソードと絵が思いつかなかった場合、どれだけ頑張って原稿のペン入れをしても、絶対にクオリティの高い作品にはならないと分かっているため、ここでしっかりと時間をかけることとし、来年の1月末までのネーム完成を目指すこととする。

 

さて、次のステップにいこう。一歩ずつ進んでいこう。