箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

現代人にとって正しい言葉遣いはタイパが悪い。

最近、活字メディアの誤字・脱字の多さが目につく。

ちょっと気になるというレベルではなく、ものすごーく気になる。いや、何だったら目も当てられないほど酷いと思っている。

 

例えば、↓この記事。

 

kusanomido.com

 

現在は既に修正されているが、当初の見出しは「昭和天皇に「なぜ切腹しないのか?」と訪ねたマッカーサー」だった。

この記事に限らず、最近こういうミスがあまりにも多い。言葉を正確に使うことが強く求められる報道機関・活字メディアにおいて、この傾向は由々しき事態だと思う。

 

ニュアンスが伝われば良いという考え方

そもそも、誤字・脱字が発生する原因について考えるに、それは正確な言葉を知らないからではなく、「何となくニュアンスが伝われば良い」というふわっとした考え方が根底にあるからだと個人的には考えている。

 

例えば、先ほどの記事の見出しについて、「尋ねて」と書くべきところを「訪ねて」と書いたとしても、本来の文意を読み取ることは可能であり、おそらく書き手の意図は読者に正確に伝わっていると思われる。

だからこそ、書いている本人は誤字に気づかず、それを重要なポイントだと認識できない。文意を伝えることが本来の目的であり、文字が間違っていたとしても目的は達成されているからだ。

 

それゆえに、「以外」を「意外」と書いたり、「初めて」を「始めて」と書いたりする。これらは、変換ミスを起こしやすい言葉の代表例だが、何となくニュアンスが伝わるがゆえに、書き手は変換ミスに気づかないケースが非常に多い。

(※「雲」を「蜘蛛」と変換するのとは訳が違う)

 

言葉遣いに注意を払うのはタイパが悪い。

そして、たとえ言葉が間違っていたとしても何となくニュアンスが伝わるのであれば、正確な言葉を使うことの重要性は薄れる。

言い換えるのであれば、現代人にとって、言葉遣いに注意を払うことのタイパ(タイムパフォーマンス)は悪いのだ。言葉の正確性を追求しても得られるものが少ないからである。

 

TwitterYoutubeのような個人メディアであればともかく、そのような傾向が法人の活字メディアにも派生しているところを見るに、情報の伝え方自体が変容しているんだろうなと思う。

スピードや共有(シェア)が肝要と言うか、メディアの権威性のようなものがどんどん薄れ、個人がメディア化していった結果、言葉が雑に扱われるようになったと。

 

最近はそういうことを強く感じる。