箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

ネームコンペに参加して感じていることをツラツラと書き綴る。

最近、やたらと文房具(ノート・万年筆など)のことについて書いているが、裏では漫画制作もやっていて、ネーム作業が見事に躓いているので、たまには漫画のことについても書いてみようと思う。

 

僕の立場的なところで言うと、僕は職業漫画家でも何でもなく、一応、雑誌の新人賞を受賞して、Web掲載デビューをさせてもらったのちに、いわゆるネームコンペというものに挑戦している段階になる。

 

昨年の今頃は、「ストーリー漫画のコスパの悪さに辟易している」云々と文句を垂れていたのに、人生どうなるか分からないものだなぁ(しみじみ・・・)。

 

 

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ただ、「ストーリー漫画のコスパ(タイパ)が悪い」という根本思想は、実は今でも変わっていない。

もっと言うなら、新人作家が参加しないといけない「新人賞」とか「ネームコンペ」における「読み切りストーリー漫画のコスパ(タイパ)が悪い」と言った方が正確かもしれない。今でも本当に悪いと思っている。

 

まずもって、「新人賞」とか「ネームコンペ」と呼ばれるものは、新人作家が勝手に任意で提出している・・・という体裁になっているので、賞を獲ったり、ネームが採用されて雑誌掲載でもされない限り、ずーっと無報酬である。一銭も貰えない。

 

この点については、以前noteでも同じ問題点を指摘していた方がいらっしゃって、その方は、編集部(依頼主)の意向に沿ってネームの提出・修正に応じているのに、なぜ請負人に報酬が発生しないのか・・・という至極真っ当な疑問を呈示されていた。ぶっちゃけ僕もそう思う。

「◯日までにネームを提出して下さい」「こういう風に修正して下さい」と依頼している時点で、それは仕事の発注であり、本来的には報酬が発生しなければおかしい。たぶん、出版社の言い分としては、プロ作家としてデビューさせるための指導であって、そのコンサルティングを無償でやっているという解釈なんだろうと思う。僕の勝手な想像だけど。

 

ただ、僕が思うに、本当の問題はお金じゃない。

 

最悪、お金については無償でも構わない。もし「ネーム料をよこせ」ということになってしまったら、たぶん新人賞はもっと狭き門になって、デビューできる可能性のある新人作家の数はかなり絞られることになってしまうだろう。

そうなると、凄く良い感性を持っていて、成功できる可能性のある人だったとしても、「実力不足」という理由でその人を切り捨てなければならないことになる。中・高校生ぐらいの年齢ならば、「お金なんて要らないから、漫画家としてデビューするために必要なことを教えて下さい!」というチャンレンジスピリットに溢れた人も多いだろう。なんというか、ゲスい大人でゴメンね・・・という気持ちにもなる。

 

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僕が思うに、本当の問題は「時間」である。

 

僕は、既にネームコンペに一度落ちているので、めちゃくちゃ分かるんだけど、ひとつのネームを完成させるために、物凄い「労力」と「根気」と「集中力」と「モチベーション」を必要とし、場合によっては、取材をしたり、背景資料も用意しなければならないし、圧倒的に「時間」がかかる。新人賞に応募した作品なんて構想期間も含めるなら完成までに5ヶ月ぐらいかかっている。

 

なんでこんなに時間が掛かるかと言うと、読み切り漫画というのは、いわば「連載漫画の1話目を描け」と言ってるのと同じであり、毎回新しいキャラと設定とストーリーを考えなければならず、そんな簡単に、読者の興味関心を惹く漫画なんて思いつかないからだ。

例えば、漫画をよく読む人なら分かると思うけど、新人賞を受賞したのを最後に、その後まったく名前を聞かなくなった新人作家さんが世の中にはゴロゴロいる。これは要するに、たまたま1作品だけ面白いアイデアが思いつき、見事に新人賞を受賞できたものの、その次の面白いアイデアが出てこない・・・ということに他ならない。というか、僕がまさにそれである。

 

なので、編集部としては、「コンスタントに面白い漫画が描ける人かどうか」「ファンを作れるような作家性のある人かどうか」を見極めるために、このような過酷な試練を新人作家に課しているわけだ。

 

んで、じゃあ頑張って描いたとして、それが新人賞で賞を獲るとか、雑誌に掲載されるとか、何らかの結果に結びつけば問題ないが、それが落選した場合にどうなるかと言うと、なーんにも残らない。

ちなみに、SNSの世界では、「供養」と言って、落選した作品やボツになったネームをSNSにあげている人もいる。それがきっかけでファンになってくれる人がいることも否定しないし、あるいは、そのネームに挑戦したことで新たな発見や知識が身につき、自身の成長に繋がることも否定しない。なので、すべて時間の無駄だったとは言わない。

 

でも、基本的には何も残らない。

僕は過去記事の中でこう表現したけど、まさにこれだ。

 

数ヶ月単位で、ウケるかどうか分からない運ゲーをやらされ、ダメだったら、また数ヶ月をかけて同じことを繰り返す。もちろん、その次もウケるかどうか分からない運ゲーである。

 

僕が思うに、単発の読み切りストーリー漫画に関して言うなら、その人の画力云々もあるけど、ほとんどアイデア勝負であり、良いアイデアを思いつけば評価されるし、それが出てこなければ落選する。そういうものだと思う。ほぼアイデアに依存している。

 

それが証拠に、どんなに売れっ子の漫画家(才能があると思われている作家)でも、大ヒット作の次に描いた作品が盛大にコケてしまうことなんてザラにある。高橋留美子先生のように、出す作品がことごとくヒットする稀代の天才もいるけれど、ほとんどの場合は、作家性云々ではなく、「アイデアが良かったかどうか」に依存している。

要するに、ストーリー漫画は、良いアイデアを思いつけば売れるし、そうでなければ売れない。そして、僕の考えによれば、アイデアは才能とは関係ない。僕みたいな凡人でも、ごくたまに良いアイデアを思いつくことがあって、たまたまそれが評価されて、新人賞を受賞させてもらうこともある。

 

つまり、言ってしまえば、「良いアイデアに巡り会えるかどうか」は運である。

 

そして、ストーリー漫画は圧倒的に時間がかかるくせに、得られるリターンがめちゃくちゃ極端だ。上手くいけばリターンは大きいが、上手くいかなければリターンはほぼゼロである。僕が「コスパ(タイパ)が悪い」「運ゲー(ギャンブル)」と表現したのはそういう意味だ。

 

今回のネームコンペに応募した作品は、1ヶ月強かかって落選した。つまり、こんなことを言うのもなんだけど、1ヶ月間無償で働き、何のリターンもなかったということになる。申し訳ないが「勉強になった」「成長できた」という感覚もない。

人生の時間は有限である。「たられば」を言い出したらキリがないが、この1ヶ月間を別のことに費やしていたら、もしかしたら、そっちで何かしらの結果が出ていた可能性もある。

 

漫画家の先生の中には、数年間にわたってネームコンペに落選し続けたという人もいると聞く。果たして、それは時間を「投資」したのだろうか、それとも「消費」したのだろうか。

 

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僕が思うに、「面白いアイデア」をコンスタントに出せないのであれば、たぶんネームコンペ方式は合っていない。何度も言うように、ネームコンペ自体が「面白いアイデアをコンスタントに出せる人かどうか」をテストしている企画だからだ。

もし、そうじゃないというなら、別の創作活動をやりながら、良いアイデアが思い付いたときだけストーリー漫画を描き、それを編集部に持っていくとか、あるいは、別の賞に応募するとか、いずれにせよその時だけ描く方が良い。

 

実際、プロの漫画家(イラストレーター)の先生の中には、普段はSNSで数ページ程度のショート漫画をちょいちょい出しつつ、徐々にファンを獲得していって、ファンの反応を見ながら、「これならイケる!」と思ったアイデアだけを編集部に持ち込む人もいる。物凄く合理的なやり方だ。

この方法なら、SNSで知名度(ファン)を獲得できるし、自分の作品がちゃんと形になって残る。売れる可能性のない漫画ネームを量産し続けて、しかも一切自分の作品が形に残らないネームコンペよりも、そっちの方がコスパ・タイパに優れている。何度も言うけど、一部の特殊な人間を除き、「良いアイデアに巡り会えるかどうか」は運だからだ。

 

んで、たぶんほとんど大半の人はそっちの方が合っていると僕は思う。

僕も今はネームコンペに参加しているけど、いつまでも参加し続けるつもりはない。アイデアがコンスタントに出せないのであれば、クリエイティブライフのあり方を考え直そうと考えている。他誌が良いのか、それともSNSが良いのか・・・等々。

 

そんなことをウダウダと考えていた夏の日でした。