ずっと気になっていたハヤテノコウジさん著「スケッチジャーナル・ビギナーズ」を読了した。
僕なりの解釈によると、ハヤテノコウジさんが言う「スケッチジャーナル」とは、日々の暮らしの中で見つけた「好き」「興味がある」と感じたものを、スケッチ形式で日誌にしたもの・・・ということになると思う。まさに「絵(スケッチ)日誌(ジャーナル)」というわけだ。
単なる「絵日記」と違うのは、その日あった出来事を機械的に記述するのではなく、必ずいったん自分の感情を整理し、ネガティブな感情を一切排除し、ニュートラルまたはポジティブな感情だけを描き残しているという点だ。
ハヤテノコウジさんは、このようなスケッチジャーナルを20年にもわたって続けてこられたことによって、日常生活が「気づき」や「発見」で満たされ、自分の好きなモノ・コトで人生が彩られたという。
僕はハヤテノコウジさんの生き方を聞いて、「自分軸で生きているとても素敵な方だな」と感じた。
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かくいう僕は以前から、松浦弥太郎さんの「エッセイストのように生きる」を参考にした生き方を心がけている。
その生き方とは、日々の出来事とじっくりと向き合い、自分が「好き」「良い」と感じたものを大切にしながら、自分なりの「驚き」や「気づき」を発見し、それを自分なりの解釈を交えながら、自分なりに表現していく・・・という生き方である。
僕はハヤテノコウジさんの考え方もほぼ同じだと思っている。
エッセイは他人の共感を得ることを目的としている一方で、ハヤテノコウジさんの「スケッチジャーナル」は完全に自己完結型の趣味であり、この点で両者は異なっているものの、日常生活の中に新たな「発見」や「気づき」を得て、それを「言葉」や「絵」で表現し、自分の人生を豊かなものにしていこうとする点で両者は完全に共通している。
(ただし、ハヤテノコウジさんは、他人と好きなモノ・コトを共有することを否定しているのではなく、出来る範囲でSNS公開はしても良いという考え方を持たれている)
僕はこういう生き方を「自分軸の生き方」と呼んでいて、「自分がなりたい人間」になるために欠かすことの出来ない「人生哲学」だと思っている。
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ただ、いくらそのような考え方が大切だと言っても、具体的にどのように生きていけばいいのか、どのように表現すればいいのか、その方向性がイマイチ分からず、ハヤテノコウジさんの「スケッチジャーナル」の考え方を参考にさせてもらった・・・という次第である。
ここ最近、ノートの使い分けに関する記事を量産しているのは、実はすべてここに繋がっていて、要するに「自分はどういうクリエイティブライフを送りたいのか」という疑問を解消するためだったわけだ。
そして、ハヤテノコウジさんの考え方を知った結果、自分の中でノートの使い分けというか、自分のクリエイティブライフの枠組みの考え方も変わってきたので、具体的なことは別の機会に書くとして、その概略みたいなものだけでも触れておこうと思う。
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実をいうと、僕は既にスケッチジャーナルをちょっとだけやっている。
ただ、その率直な感想を述べると、日常生活で起こった出来事(自分が出会った素敵なモノ・コト)を、たとえポジティブな感情に置き換えて表現したところで、別に楽しいとは思わなかった。
と言うのも、旅先で出会った素敵な風景をその場でスケッチするとか、それを本格的なアート作品として描くなら楽しいかもしれないが、その時のことを思い出して、ちょっとした絵を描くぐらいなら、僕からすると「その時、僕はこんなことを思った」という短文を記録するのと何も変わらないからだ。というか、自分の感情と向き合うだけなら、それだけで十分である。また、写真を見ながらスケッチを描くのであれば、写真を模写している以上の意味を感じないし、敢えて絵にこだわる理由がない。
「自分の歴史を残す」という点についても、上述した短文を記録するとともに、写真を保存しておくとか、旅先で入手したパンフレットをスクラップするとか、いくらでも保存・記録する方法はある。長文で何かを書きたいならブログに書けばいい。僕はそれを振り返るだけで十分だし、やっぱり敢えてスケッチにこだわる理由が見つからないのだ。
つまり、ハヤテノコウジさんのように、スケッチジャーナルを描くことに喜びを見出だせる人間じゃないと、やっていて面白くないし、続かないし、そもそもやる意味がないと思う。
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僕は、日常生活において、自分の感情がポジティブな方向に動くモノ・コトに出会い、その大切なモノ・コトと向き合って、自分なりの「驚き」や「気づき」を得ることは重要だと感じている。そのような「自分だけの発見」が「自分の人生を彩っていく」と考えており、この点はハヤテノコウジさんも同じだと思う。
ただ、その終着点が異なっており、ハヤテノコウジさんの場合は「スケッチ」だが、僕の場合は「漫画」や「イラスト」なのだ。つまり、自分の終着点に合わせて、クリエイティブライフのあり方をカスタマイズする必要がある。
なお、ハヤテノコウジさんは好きなことに没頭している時間を「フロー」と表現し、「自分探し」ではなく、「自分なくし」の時間が大切だと説く。その時間は一切の雑念から解放され、ただひたすら創作に没頭できる楽しい時間だという。おそらく創作活動に没頭したことのある人だったら、誰しもが共感できる話だと思う。
要するに、この「自分なくし」の時間(好きなことに没頭できる時間)をどうやってコンスタントに確保するかが、僕が求めているクリエイティブライフの答えなのかもしれない。
この点について、改めて別の機会にもう少し詳しく記事にしたいと思う。