箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

自分だけのデザインを磨く方法を考えてみる。

「自分の作風を見つける」ということについて、実は器用な人ほど難しい。

 

「自分の作風」というのは、言い換えるなら「自分だけの強み」とか「他の人にはない自分だけの個性」ということであり、どれかひとつだけに特化した「一点突破」みたいな性格の人の方がそういうものがあると感じる。逆に、僕みたいな「器用貧乏タイプ」の人間は、総合点はそれなりに高くとも、突出したものがないので目立たない。

 

一般の会社員としてであれば、「ジェネラリスト(オールラウンダー)」として重宝されることもあるが、創作の世界では「スペシャリスト(職人)」が圧倒的に求められているので、「何でもそつなくこなせる」という人よりも、「出来ることが偏っている」「◯◯しか出来ない」という人の方が重要だったりする。そういうスペシャリストを何人も集めればいいので。アニメがまさにそう。

 

ちなみに、漫画家は「映画監督」に例えられることが多いけど、「ストーリー、作画、構成、デザインなどを全部自分で出来まっせ」という人が望ましい一方で、「全部平均点です」という人には市場価値がない。だから漫画家は難しい。

 

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話を元に戻そう。

 

ここ最近、僕は「自分のデザインを見つける」ということに執心していて、せっせとスケブに絵を描いているんだけど、「デザインを見つける」というのは、ある種の発明というか、「他の人があまりやっていないんだけど、自分はこう描くのが好き」という未知の領域を見つけることなのだと思う。

 

ただ、そうは言っても、これまでの絵の経験とか知識の蓄積があるので、当然自分の中には「表現の選択肢」として、色んな引き出しがあり、無意識のうちにその引き出しから知識やノウハウを引っ張り出してきて、上手く描こうとしてしまう。その結果、他の作家との差がなくなり、没個性的になっていく(ほとんど大半の人がそうなる)。

 

つまり、「自分の作風やデザインを見つける」ということは、「この場合はこう描く」という自分だけのルールを決めるというか、描き方を再構築(リビルド)するというか、画力を上げる作業とは全くベクトルの違う作業のように思う。

そして、再構築の過程において重要なのは、「可能性や選択肢を捨てる」ということに他ならない。要するに、「本当はこう描いた方が上手く見えるし、読者ウケも良いんだけど、他の人がやっている手法なので自分はやらない」といった判断が絶対に必要になる。じゃないと、皆がやっている「定番の手法」にあっという間に流される。

 

そんなことをツラツラと考えつつ、デザインを磨いていくための具体的なフローについても自分なりに考えてみた。

 

まず、自分の中で「テーマに沿った描き方のルール」を決める。これは後で変わっても良いし、とりあえず現時点における一時的なルールでいい。例えば、「等身バランスを6等身にする」とか、「髪を一筆で描く」とか、「カゲ線を描かない」といった自分なりの統一ルールをまず決める。

 

そしたら、このルールを守って、しばらく描き続ける。大事なのは「ルールを遵守してデザインに統一感をもたせること」であり、「上手く描くこと」はどうでもいい。統一感があるか、自分なりのデザインになっているかだけを見る。

 

ある程度描いたら、ちゃんとルールを遵守出来たかを確認したうえで、最初に決めたルールを見直す。ルールを入れ替えてもいいし、足してもいいし、減らしてもいい。このときにルール変更の基準となるのは、「テーマに沿っているかどうか」である。

見る人がどう感じるか、ちゃんと自分が目標とするテーマが現れているかどうか、現れていないのだとしたら何が足りないのか・・・を考えて、ルールを変更していく。

 

このトライアンドエラーを繰り返しながら自分のデザインを磨く。感覚派やセンスのある人であれば、こんなことを考えなくても一発で自分のデザインに辿り着けるんだろうけど、僕のような器用貧乏な人間は、こういう地道な作業を繰り返すことでしか、オリジナルには辿り着けない。コツコツと一歩ずつ登っていくしかないのだ。