日本テレビの人気番組「イッテQ」において、やらせ疑惑が沸き上がっていますが、テレビのバラエティー番組におけるやらせについて、私は、
「一般論として、メディアによる虚偽報道を野放しにすべきではないのは言うまでもないが、バラエティー番組に限って言えば、たとえ番組内容に過剰な演出、事実の捏造等の "やらせ" が含まれていたとしても、番組の趣旨・目的、番組内容に含まれている虚偽部分の内容・程度、一般視聴者が番組内容に対して抱くであろう信頼の内容・程度等の諸般の事情に照らし、当該虚偽部分が、①一般視聴者による番組内容の真実性に対する信頼を過度に毀損するものではなく、②社会通念上妥当と言いうる範囲内にとどまっており、③番組の目的を達成する上で必要不可欠な要素であって、④一般視聴者の番組に対する満足度を高めているとの因果関係が認められるのであれば、当該虚偽部分を許容することが出来る」
という独自の規範を持っています(なげぇ)。
この規範の根拠を論じるとなると、更に長ったらしい講釈を垂れないといけないので、それは割愛しますが、かなり簡略化して説明しますと、以下のような感じです。
(ⅰ) メディアによる虚偽報道・フェイクニュースを公的に規制するにしても限界がある。
↓
(ⅱ) そうすると、メディアの情報に接するにあたって、情報受領者はメディアリテラシーを高めることで対抗するしかない。
↓
(ⅲ)とはいっても、情報の出所や情報源の真正性を全て確認できるわけではなく、ある程度「真実なんだろう」と信頼して情報に接するしかない。
↓
(ⅳ) だから、やらせとは、第1次的には、情報受領者が抱く信頼との関係において問題となる。
↓
(ⅴ) その一方で、バラエティー番組の場合、政治的世論の形成とは無関係なケースが多く、娯楽的な要素が強いので、「演出」として認めても良い領域も存在する。
↓
(ⅵ) だから、やらせとは、第2次的には、バラエティー番組(娯楽番組)が社会的に果たすべき役割や責任との関係において問題となる。
イッテQのやらせの場合
問題となっている祭り企画は、イッテQの人気企画であり、当番組の視聴率にも深く関係していたことなどを考慮しますと、「実在しない祭りをでっち上げる」という虚偽部分は、イッテQの必要不可欠の要素を構成しており、一般視聴者の満足度との因果関係も認められると思います。
しかし、「祭り」は地域に根ざした風習・慣習という色彩が強く、場合によっては、宗教的行事・国家的行事としての側面を有していることもあり、一般視聴者からすれば、民間テレビ放送局に過ぎない日本テレビが、海外の風習・慣習を捏造するとは思いもよらず、「そのような祭りが実在するんだろう」と信頼するのが自然であって、当該虚偽部分は、かかる一般視聴者の信頼を殊更に裏切るものと言えます。
また、今回のやらせを受けて、ラオス政府が対応に動き出すなど、国際問題にまで発展しており、当該虚偽部分が社会的妥当性を有しているとは到底言えません。
以上より、個人的には、「実在しない祭りをでっち上げる」という虚偽部分は、社会的に許容できるものではないと言わざるを得ません。
どうせだったら、自治体とかに、「新たな祭りを一緒に作りません?」とかけあって、地域を活性化していく企画として売り出していけば良かったのに…と思いますね。視聴者にも説明したうえで。
ポスト真実っぽいバラエティー番組?
最後に、バラエティー番組のやらせ問題についてひとつだけ。
下記ニュース記事にも言及されているとおり、バラエティー番組については、やらせを問題視しない意見が一定数存在する一方で、少し違った見方をする人もいるみたいですね。
それは、「ポスト真実」(※)という視点からバラエティー番組を見たときに、本当に「バラエティーだから良いじゃん」というスタンスで良いのか?という問題意識です。
(※)「ポスト真実」とは、 「事実であるかどうかが重要視されない状況」を意味し、イギリスのEU離脱の際の国民投票、トランプ・クリントンのアメリカ大統領選の頃から使われだした用語・概念。
オックスフォード辞典では、「ポスト真実(post-truth)」を「relating to or denoting circumstances in which objective facts are less influential in shaping public opinion than
appeals to emotion and personal belief.」と定義しています。
(直訳)世論を形成する上で、客観的事実よりも感情や個人的信念に訴えることの方が影響力が大きくなっている環境
例えば、海外の人がやたらと日本のことを褒める「日本礼賛番組」。最近よく見かけるやつですね。
海外に居住している日本人からすると、日本のことを礼賛する外国人の方が少なく、こういう番組を見ると違和感を感じるとの意見をよく耳にしますし、こういった番組から取材を受けた外国の方が、演出が過剰だったと証言しているケースも見受けられます。
要するに、このような過剰な演出が、「ポスト真実っぽい」と言うわけです。例えば、こちらの記事を執筆された木野さんもその論者の一人かと思います。
www.from-estonia-with-love.net
うーん。どうなんですかね。。
政治的議論が、ある種のショーっぽくなってきた傾向を受けて、「ポスト真実」などと言うようになったんだと勝手に認識してるんですが、バラエティー番組って、最初からショーじゃないですか。ポスト真実と言えばそうかもしれないけど、それを言うんだったら、「昔からポスト真実だよ」と言いたくなりますね。今に始まった話じゃないと言いますか。
少なくとも、私にとって、日本の民間テレビ番組が、「日本は海外から絶賛されています!」と喧伝するのと、トランプ氏が、「オバマ大統領はアメリカ生まれではない!」と繰り返し発言するのは、全くの別物だと感じてしまいますね。