箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

「良い企画」というのは「従来の作品の意味を変えるもの」である。

「新しいもの」とは、「既存の価値観に、別の価値観や別の要素を付加したもの」といった表現をすることがある。これが「良い企画」と言ったりもする。

しかし、本当に「別の価値観を付加した」だけで新しいものが生まれるかというと、僕はそうならないと思っており、もうひとつ違う条件が必要になるんじゃないかと考えている。

 

それは、「作品の意味自体を変える」という条件である。

 

例えば、「葬送のフリーレン」が一番分かりやすいんだけど、この作品は「王道ファンタジー」という既存の価値観に対して、「魔王討伐後の後日談」という別の価値観を付加することにより、主人公たちが冒険する意味(作品の意味自体)を変えている。

 

 

もし仮に、「王道ファンタジー」という既存の価値観に対して、「勇者がヨボヨボのお爺ちゃん」とか「転生勇者が法律に詳しい元弁護士」といった新要素を付加したとすると、確かにその設定自体は見たことのない新しい要素かもしれないが、やっていることは「魔王討伐の旅」なので、「冒険ファンタジー」という作品の意味自体は変わっておらず、それほど新しいとは感じないと思う。

 

もう少し遡ってみれば、この条件の重要性が分かる。

 

例えば、「新世紀エヴァンゲリオン」も革命的な作品だったが、この作品の何が新しかったというと、「ロボットアニメ」という既存の価値観に「非常にユニークな見た目の生物兵器」「目的不明の謎の怪物」「めちゃくちゃ弱腰で頼りない主人公」「無表情の美少女ヒロイン」「謎だらけの秘密組織」といった新要素を付加することにより、作品の意味自体が「ロボットアニメ」から「重厚でシリアスな人間ドラマ」へと変わった点が斬新だったのだ。

もし仮に、「ロボットの造形がユニーク」ぐらいの新要素しかなかったのであれば、従来の「ロボットアニメ」の域を出ることはなく、作品の意味自体が変わっていないので、そこまで新しいとは感じなかったはずである。

 

こういうふうに、「新しい」と感じるヒット作品には、「従来までの作品の意味が変わる」という条件がほぼ備わっている。つまり、僕の考えによれば、たとえ別の新要素を付加したとしても、作品の意味自体が変わっていなければ、そこまで新しいとは感じない。

 

それを説明するために、最近リリースされた「運命のトリガー」というバトロワゲームを挙げて説明する。

 

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このバトロワは「PUBG」「Apex」「フォートナイト」といった人気バトロワゲームの要素を全てごちゃ混ぜにしたような内容になっており、キャラの外見を美少女キャラにするといった新要素が付加されている。

しかし、やっていることは結局バトロワなので、作品の意味自体は何ら変わっていない。だから新しいとは感じず、いまいち盛り上がっていない。

 

つまり、新要素を付加したとしても、作品のジャンルやテイストに変化が起きなければ、それは従来の作品の延長線上にある派生形でしかなく、消費者は既視感を覚えることになる。

(誤解のないように断っておくと、「新しくない」と言ってるだけで、「面白くない」と言ってるわけではない)

 

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ちなみに、ジャンルを変えれば良いという単純な話でもない。

 

というか、ジャンルを変えること自体は物凄く簡単であり、例えば、魔王討伐命令を無視して田舎でスローライフを送る・・・といったギャグ展開にしてしまえば、「王道ファンタジー」を「ほのぼのスローライフ」に変えることが出来る。

しかし、この手法は王道のパロディ手法であり、おそらく大半の読者は「パロディ作品」と認識するはずである。転生系の漫画と同じで、こういう類の作品は没個性的になりやすく、作家性やオリジナリティは感じづらい。擦るだけ擦ったら飽きられる「短期的な消費財」である。

 

つまり、「ジャンルを変える」だけなら、パロディにすれば済むが、それでは新しくはならない。僕が「意味」を変えなくてはならないと言ってるのはここに理由がある。

勇者が「魔王を討伐してこい」と命令されたのであれば、「魔王を倒す」という命令の「意味」を変えるのだ。葬送のフリーレンはその意味を変えることに成功したといえる。

 

他にも好例はある。

 

例えば、九井諒子先生の「ダンジョン飯」は、「ダンジョン」や「モンスター」の「意味」を変えた。普通はダンジョンの奥にいるボスを倒すために、その行く手を阻むモンスターを倒すのだけど、この作品はダンジョンに巣食うモンスターを食料にするためにモンスターを倒している。

 

要するに、「冒険ファンタジー」というジャンルそのものは変わっていないが、冒険する意味自体は変わっている。これは葬送のフリーレンと同じだ。

 

 

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僕が思うに、漫画を描くうえで一番重要になるのは「キャラ」か「企画」である(あるいはその両方)。

 

「ストーリー」「世界観」「設定」「テーマ」「絵」といったものが重要じゃないと言ってるわけではないが、仮に「新しいストーリー」とか「新しい設定」が思いついたとしても、所詮それが既存作品の枠内に収まるものだった場合、「今までの作品と同じやん」と言われて終わりである。僕が散々経験してきたので分かる。

なので、めちゃくちゃ美麗な作画で、「自分だけの絵」とか「自分だけのデザイン」を描けたとしても、それだけで「新しい」「面白い」と評価されることはない。「魅力的なキャラ」や「作品自体の意味を変えるような企画」があって、初めて「絵」「ストーリー」「世界観」が意味を為すのである。

 

なので、極端なことをいえば、漫画家としての戦略は、魅力的なキャラでゴリ押しするか、「葬送のフリーレン」や「ダンジョン飯」のように、これまでの作品の意味を変えるような新しい企画を立てるしかない。この2択である。

(極稀に「天元突破している超絶画力でぶん殴る」という戦略が取れる作家もいるが、超例外である)

 

んで、たぶん僕は「企画」で勝負しなきゃいけないんだろうなーと思ったりもするけど、それはまた別の機会に。。