最近、ヴィレッジヴァンガードの経営が不調だという。
2024年5月期の決算によると、営業利益は約9億円の赤字、最終的な純損失も11億円を計上するなど、ここ数年不振が続いている。店舗数も最盛期は全国に400店舗を誇っていたが、現在はそこから100店舗ほどが閉店しており、このまま赤字が続けば、さらなる閉店ラッシュは避けられないと予想される。
経営不振の背景には、イオンモールなどの大型ショッピングセンターへの多店舗展開を進めた結果、「他とは違うセンス」を売りにしていたヴィレヴァンらしさが失われてしまい、「ただの普通の雑貨屋」になってしまったことが背景にあると語られている。
また、こういった大型ショッピングセンターは、都市郊外に位置していることが多く、客層のほとんどは、「普通のファミリー層」であり、「サブカルを愛するコアな若者ファン」が集まりづらいことも理由のひとつに挙げられている。
僕は、インド香が好きで、「HEM」というブランドの御香を愛用しているのだけど、僕が知る限り、HEMを扱っている近所の実店舗はヴィレヴァンしかなく、イオンモール内にあるヴィレヴァンに足を運ぶ機会が多い(逆に言うと、それ以外にヴィレヴァンに用はないのだけど)。
実店舗に行って感じることとしては、昔の「サブカルの聖地」みたいな雰囲気は全くなく、どの店舗に行っても、扱っている商品や店内のレイアウトはほぼ同じだし、なんというか「新しいものを取り入れよう」とか、「もっと冒険しよう」みたいなチャレンジスピリットも感じない。ある意味で、「ヴィレヴァンというのはこういうお店です」みたいな最適解を全店舗が共有して、画一的な経営をしているように感じる。これは「他とは違うセンスを提供する」というヴィレヴァンのコンセプトからすると、確かに真逆である。
(ちなみに、元々ヴィレヴァンの良さは「変わったサブカルの本が買える」という点にあったはずだが、書籍コーナーも店内の奥の方にレイアウトされていて、完全に本がオマケになっている)
僕がもっと若かった頃は、「ヴィレヴァンに行けば、変わったもの(人と被らないもの)が買える」という風潮があって、とある友人への誕生日プレゼントを購入するために、複数の友人で資金を出し合い、「ヴィレヴァンの商品詰め合わせ」を贈ったこともあったが、たぶん今だったら絶対にそんなことをしないだろうなと思う。今の若い人たちも、ヴィレヴァンに対してそんな特別感は持ってないだろう。
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僕は漫画を描く身として、ヴィレヴァンの経営不振をある種の反面教師として見ている部分がある。
と言うのも、漫画も大きく分けるのであれば、「皆が楽しめる大衆的なエンタメ作品」か、「一部のコアなファンだけが楽しめるサブカル作品」のどちらかに分類されるからだ。
いわば、ヴィレヴァンが陥っている問題というのは、本来マイナー誌で連載を続けるべきだったサブカル作家が、ちょっと人気が出たからといって、ジャンプのようなメジャー誌に移籍し、そこで大衆的なエンタメ作品を描こうとしているようなものである。その結果、その作家の尖っていた部分が削られて丸くなってしまい、他の作家との違いがなくなって、「普通の作家」に成り下がってしまったという感じだろうか。
僕は、「その作家の感性を好きになってくれる一部のコアなファンたちが集まれる小規模コミュニティ」が必要だと思っていて、むしろこれからの時代を生きるクリエイターのほとんど大半は、大型ショッピングモールへの出店を目指すのではなく、田舎でこじんまりとしたお店を出して、同じ感性を持った人たちが気軽に集まれる場所を作った方が良いと個人的には考えている。
僕は以前この記事の中で、次のように書いた。
自分だけのコミュニティを作り、自分の作品を好きになってくれるコアなファンを増やしながら、そのファン向けにコンテンツを販売していく方が、これからの漫画クリエイターの生き方として理に適っていると思う
要するに、大谷翔平選手のような大天才(万人受けする画力オバケ)は別だとしても、星野伸之投手のような変則的でニッチな作品を描く人は、150キロ以上の速球を投げることを求められる商業漫画界で、ほぼ確実に編集者に絵柄・作風を矯正されながら描くことになる(自分の個性・魅力を消されて平均化されてしまう)。
そんな憂き目に遭うぐらいだったら、自分の作品を好きになってくれるニッチなファンを自力で獲得しに行った方が絶対に良い。たとえそれが、現在の商業漫画のトレンドから外れていようが、自分の作品を好きだと言ってくれるコアなファンに刺さればそれで良いからだ。
この理屈で言うなら、ヴィレヴァンは、ジャンプのようなメジャー誌に移籍した結果、ヴィレヴァンの個性・魅力を消されて平均化されてしまい、コアなファンを失ったばかりか、大衆的にもウケなくなってしまったということになる。
つまり、「大衆受けするエンタメ作品が描ける作家」なのか、それとも「他の作家とは違うセンスでコアなファンを作っていくニッチな作家」なのかを冷静に見極めて、もし前者のタイプだというなら、メジャー誌を目指していく戦略で問題ないけれど、ヴィレヴァンのように後者のタイプだというなら、自分だけのコミュニティを作る戦略に切り替えた方が良いというのが僕の結論になる。
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僕は、どっちのタイプなのか、正直自分でもよく分かっていないけど、僕の中でハッキリしていることがひとつだけある。
僕は、メジャー少年誌の新人賞を受賞したこともあり、大衆エンタメ方面に適性があるような気がしなくもないが、「じゃあコンスタントに面白いものを描いて」と言われると、途端に難しいと感じる。
つまり、「大衆的なエンタメ作品」については、ごくたまに面白いアイデアが思い付いて、それが評価されることはあるんだけど、作家性という意味でいうと、実は「大衆受けする作品」というのは自分には合っていなくて、無理やりにでもアイデアを出そうとすると、過去作品の焼き直しになってしまうと感じている。コンスタントに「新しくて面白いアイデア」を出せないのだ。
先ほど紹介したニュース記事の中でも触れられていたが、ヴィレヴァンのようなサブカル分野のお店の強み(ベネフィット)は、「他のお店にはないヴィレヴァンならではのイメージ・雰囲気」にあるという。僕もそう思うし、漫画における作家性も同じだなーと思う。その作家にしか出せない雰囲気こそが、その人の「作家性」であり、極論を言ってしまえば、それをコンスタントに出せるかどうかが一番重要だと感じる。
要するに、「この部分は他の作家とは違う」という差別化ポイントを探し、それをコンスタントに表現し続けられた場合に限り、「作家性」と呼べるものになって、最終的にはその作家にしかない「イメージ」や「雰囲気」に繋がっていく。それは大衆的なエンタメ作品を描く場合であっても、ニッチなサブカル作品を描く場合であっても同じである。
僕の場合、過去に評価された作品は、「たまたま他の人とは違う面白いアイデアがポッとひとつだけ思い付いた」というだけであり、じゃあその「他の人と違うポイント」をコンスタントに継続して出し続けられるかというと、残念ながらそれだけの引き出しはなく、だから「自分だけの良さ」とか、「自分だけの雰囲気」に繋がっていかないんだなーと感じる。
その点を踏まえて、もう一度「この部分は他の作家とは違う」というポイントを整理し、それを継続的に伸ばしていきたいのかどうか、自分だけのイメージ・雰囲気に繋がるのかどうかを考えて、どういう風に自分の作家性を深めていきたいのかを再考する段階に差し掛かっているように思う。
それが分からない限り、どこにいっても結果は同じである。