箱庭的ノスタルジー

世界の片隅で、漫画を描く。

ただ淡々と毎日好きなことを積み重ねていく。

「もう既に人生の目的は達しているし、自分の人生に満足している」

 

僕はそう思いながらこれからの人生を歩んでいくのはどうかとある日ふと思った(というか、今日思った)。だから、いつ死んでも後悔はないし、極端な話をすると、明日ポックリ死んだって別にやり残したことはない。そのまま成仏すると信じたい。

 

僕は、ずっと「他人軸の人生」を送ってきたけれど、30を過ぎてからそういう人生に疑問を感じるようになり、子どもの頃から描きたいと思っていた漫画を描くようになった。

そんなに大した実績を残せたわけではないが、某漫画新人賞を受賞させてもらったし、漫画家としてWEB掲載デビューも果たせた。僕としてはもう十分に「自分軸の人生」を全うできたと思っている。めちゃくちゃ志は低いかもしれないが・・・。

 

だから、あとはより多くの創作の楽しみや喜びを味わうだけである。やや乱暴な言い方をすれば、堀江貴文さんの言うように、「暇潰し」をしているだけなのかもしれない。「名声」が欲しいわけでもないし、「富」が欲しいわけでもない。カッコつけて言うと、僕が求めているのはそういった「快楽」や「悦楽」だけなのだ。

 

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いや、強いて言うなら、「自分だけの高み」を目指すことが、僕のこれからの人生における唯一の目的なのかもしれない。

 

例えば、僕が尊敬している人物として、将棋棋士の加藤一二三先生が挙げられる。

加藤先生は「神武以来の天才」と謳われた天才棋士であり、将棋界の最高タイトル・名人位を獲得された実績を持つ。そのユニークで朗らかな人柄も相俟って、人気・名声ともに頂点を極めた1人と言って差し支えないだろう。

 

そして、もし仮に、「頂点になること」が目標なのであれば、別にそこで辞めたって良いはずである。実際、「M-1グランプリでチャンピオンになれたら漫才をやめる」と言っている漫才師もいる。だけど、加藤先生は頂点を極めたあとも、ずっと将棋を指し続けた。77歳5ヶ月で引退されたが、これは現役最年長記録である。

 

もう一人、例を挙げると、格ゲー界のレジェンド・梅原大吾さんもそうである。

幼少の頃から格ゲーを続け、紆余曲折ありつつも、日本人初のプロゲーマーになった偉大なる先人である。世界大会での優勝も経験され、「背水の逆転劇」という格ゲー界における伝説の名シーンも残されている。格ゲーの頂点を極めた1人だ。

しかし、頂点を極めたからといって、そこで格ゲーをやめるのではなく、今でもずーっと格ゲーを続けられている。EVO2024にも出場され、今年のSFL(ストリートファイターリーグ)にも参戦中である。バリバリの現役だ。たぶん、この先もずーっと格ゲーを続けていくんだろう。

 

両者に共通して言えることは、「ただ淡々と自分の好きなことを極める」という点に尽きる。

 

たゆたう水のように、淀みなく流れ続ける川の流れのように、毎日将棋や格ゲーと向き合う。僕は毎日視聴出来ているわけではないが、梅原さんがほぼ毎日TwitchやYoutubeで格ゲーを配信されていることを知っているし、そうやって格ゲーを続けられている姿に多大な元気を頂いている。

加藤先生はSNSをされておらず、メディアにも積極的に出演される方ではないので、現在どのようにお過ごしなのか分からないのだけど、天皇・皇后両陛下が主催する園遊会に出席され、両陛下との会話の中で、「子どもに(将棋を)教えています。時々大学とか高校で講演もしております。将棋の話とか好きな音楽の話とか時々動物の話もします」と語られている。今でもお元気に将棋を指されている姿が目に浮かぶ。

 

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「ただ淡々と毎日好きなことを続ける」

 

ここ最近、このブログで話題にすることが多い「スケッチジャーナル」の考案者・ハヤテノコウジさんもそうだけど、いつもニコニコと笑っている人は、自分の好きなことをただ淡々と毎日続けている。

僕は思う。そうやって、淡々と好きなことを続けている人は、常にポジティブで、いつも自分の人生にワクワクしていて、満足感や達成感で溢れ返っている。もし仮に「自分の人生に満足すること」が人生の目的なのだとしたら、もう既にその目的は達成していると言っていいだろう。僕が冒頭に言ったのはそういう意味だ。

 

「今」を生きる。ただ淡々とそれを毎日積み重ねていく。僕が今後取り組むことはもうそれしかない。