漫画家であれば、誰しも一度は出版社や編集者との付き合い方に頭を悩ませたことがあると思うけど、僕なりの考え方をツラツラと書いてみたい。
まずもって、僕の担当編集者歴についてお話をさせていただくと、僕は過去に2人担当についてもらったことがあり、1人目はA社の某少年誌の編集者Hさん、2人目はB社の某少年誌の編集者Tさんである(現在)。
それぞれの特徴をザックリ掻い摘んで言うと、Hさんはコミュニケーションを重視するタイプであり、好きな漫画とか好きな作風などを事細かにヒアリングする人だった。フェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションを大事にされていたため、打ち合わせはすべてビデオ通話だったし、出版社まで足を運んで意見交換をしたこともある。じっくり相手のことを知って、その人に合った作風を二人三脚で練り上げようとするタイプと言えるかもしれない。
他方、Tさんは、必要最低限のコミュニケーションしか取らないタイプであり、担当についてもらってから1年以上経ってるけど、一度も会ったことがない。というか、顔も知らない(ビックリするかもしれないけど本当である)。ネームや原稿のやり取りはメールでやっており、それで全て完結している。お互いにそれ以上相手に関わろうとしない。
じゃあ、どっちの方が良いかと言うと、Hさんには申し訳ないけどTさんである。以下、その理由を述べる。
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まず、そもそも、お互いの好み・性格なんて知る必要がない・・・と僕は考えている。そんなものを知ったところで、別に良い漫画が描けるわけじゃない。というか、むしろ相手の好みなんてノイズでしかない。
実際のところ、僕は対面のコミュニケーションが大の苦手であり、フェイス・トゥ・フェイスでコミュニケーションを取ろうとすると、その場の雰囲気や相手の性格に合わせて、本心を隠してしまう傾向がある。
ぶっちゃけHさんとのコミュニケーションの時もそうであり、Hさんが「僕は◯◯が好きなんですよね〜」と言ったのに対して、こっちは社交辞令のつもりで、「ああ、◯◯って良いですよね〜」と相槌を打つと、これをHさんが真面目に受け止めてしまって、「え!じゃあ次は◯◯を題材にした漫画を描いてみませんか?」と打診されたことがあった。これは本当に困った。「本当は興味ない」なんて言えないからだ(僕が悪いのは分かっているけども)。
こうやってじっくりコミュニケーションを取ろうとすると、こっちが思ってもみなかったコミュニケーションエラーが起こる可能性がある。仮にそのような行き違いが起こらなかったとしても、相手の好みを知ってしまうと、「相手に寄せた方がいいのかな?」とか余計なことを考えてしまって、自分の漫画の方向性が歪んでしまうおそれがある。漫画家は自分の好きなことを勝手に1人でやるのが一番良い。他人による介入なんて不要である。
つまり、僕にとって理想の編集者というのは、こっちがやりたいことに対して、必要最低限の助言や指摘をしてくれる人・・・である。それ以上は何も望んでいない。自分の作品を客観視するために助力してくれればそれで足りるのであって、別に友達になりたいわけでもないし、オリジナルの作風を二人三脚で作りたいわけでもない。育成して欲しいとも思わない。そんなこと勝手に自分でやるからだ。
「自分の作風を深く理解してもらわないと的確なアドバイスが受けられない」と言う人もいるけど、じっくり言葉を交わさなくても、作風なんて作品を見せれば伝わる。それで伝わらない時点(じっくり言葉を交わさないと理解してもらえない時点)で、そもそもその編集者と相性が悪いのではないかと思う。
以上をまとめると、僕がやりたいことを言葉を交わさずとも感覚的に理解してくれて、そこに対して必要最低限の助言・指摘にとどめてくれる編集者こそが、僕にとって理想の編集者であり、そういう付き合い方こそ最善だと思っている。
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特に漫画家はそうかもしれないけど、クリエイターというのは孤独である。他の人と違う人生を歩んでおり、その喜びや苦悩を誰かと共有するのは難しい。その道の過程で、「誰かに自分のことを理解して欲しい」と願うのは至極当然のことなのかもしれない。
しかし、それを編集者に求めてしまうと、今度は面白い漫画が描けなくなってしまう。ちょっと気持ち悪いたとえかもしれないが、男女の漫才コンビ間で恋愛感情が芽生えてしまうと、面白い漫才が出来なくなる・・・というのと理屈は似ているのかもしれない。要するに、ある程度は「ビジネス的な距離感」というのが必要になる。
僕は、この考え方について、基本的にはビジネス以外の人間関係においても同じだと思っているので、それはまた別の機会に書いてみたい。